2018
Jul
31
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B様、宝くじは買っても大丈夫です。笑
B様へ、いつもありがとうございます。
メールを読んでいて、思わず微笑んでしまった箇所から先に引用させていただきます。
す、すみません。宝くじを買うなという意味ではなかったのですが。
(分かってらっしゃると思いますが、笑)
たぶんその時は買うタイミングではなかったかもしれませんね。次回はどうぞ、ご自身の心の声に従って買う買わないを決めてください。
宝くじも厳密に定義すれば「ギャンブル」の一種でしょう。でも、宝くじは射幸性が低く、賭ける金額が少ないローリスクなものです。(当たる確率はギャンブルの中で最も低いので悪質だと言う人もいますが、むしろその当たる確率の圧倒的低さが射幸性を低くし、賭ける本人にとっては最もローリスクとなります)
なかには宝くじを買い過ぎて財産を失ってしまう人もいるのかもしれません。その場合は有害となりますけどね。何でも程度によります。
前記事にも書いた通り、私は「財産を失うほど有害でなければ楽しみはあってもいい」と思う者です。
それに、宝くじはそのゲームに「参加する」というだけのこと。
言わば会社の面接に行ったり、オーディションに行くのと同じなのでは。
当然ながらオーディション等で選ばれる人は、それまでの人生で努力してきた人だけです。
宝くじに当たるのは一見努力していないかのように見えるでしょうが、やはり同じ。強運と言われる人は過去世でその報いが得られるだけの努力を積んできた人なわけです。――あるいは、当たることによって展開する人生計画を味わうため。こちらの場合のほうが多いかもしれない。(金が与えられることは、決して幸福なだけとは限らない)
「金で運命を買おうとする」安易な行為、
つまり負のカルマを解消するために宗教団体へ金を貢いだり、風水のために大金を注ぎ込んだりする努力放棄と、宝くじに参加することは本質的に異なります。
消してしまった記事の箇所について、
人の温かさに救われてばかりです。
私も、来世では過去世を思い出せないかもしれませんが、再びお会いしたとき恥ずかしくないよう努力して生きたいと思っています。
今世のほとんどを怠けて過ごしてしまったことを反省しつつ。
次にずいぶん遅くなってしまいましたが前のメールのお話。
>今生の役目をしっかり生きればいつかの生でそれを生きることができるかもしれない
私にも、我がこととして響きます。
ネイタルにヨッドが多い場合は「器がない」と言うより「封印」に近い状態でしょうか。
ヨッドを持つ人は「器」、つまり世間で言うところの潜在能力は充分にあるはずだからです。これは過去世でそれだけの経験がある、というほどの意味です。
適度なヨッドであれば、生きている間に才能が開花して爆発的に成功することが多いのですが、……多重ヨッドだと一歩進むのも無理というほど重い足取りになって進めないでしょう。
ガイド霊たちが何故、このような試練を与えるのか?
これはたぶん今以上に自分を磨けと仰っているのだ、と私は理解しています。
"艱難 汝を玉にす"と言います。→ことわざ辞典
このことわざは、たぶん想像以上に真実です。
来世や再来世ではきっと、自分で満足できるような次元へ行けるのでしょう。
それともう一点、困難アスペクトにはセーフティ・ロックの性質があります。
実は経験を積んだ者にこそ「挫折」が必要だと言えます。才能は暴発しがちだからです。
現世で他者を超える才能は有害となる場合があります。チヤホヤされ調子に乗って身を破滅させる人も多くいました。きっとそんな暴発を防ぐために安全ロックが必要なのです。
ヨッドやTスクエア、グランド・クロスなどは、安全のために自らを縛る枷を選んで生まれたのだとも言えます。
そんなふうに自分の人生の障壁を前向きに捉えて。
お互い、感謝と努力を忘れずに目の前の日々を生きていきましょう。
(そう言いながら私は時々、感謝と努力を忘れてしまいますが。笑。このブログに書いている内容は自分への言い聞かせでもあります)
メールを読んでいて、思わず微笑んでしまった箇所から先に引用させていただきます。
才能関係なくやりたいことがひとつあって、でもそれを実現するためには、ぶっちゃけた話、お金がたくさんいるのですよね。ある日、仕事が終わったあとよらなければならない所があって、その隣に宝くじ売り場があることを思い出したのです。で、ひょっとしたらということもあるから宝くじ買おうかな、なんて思いました。その日の朝、出勤までに少し時間があったのでスマホをいじっていて吉野様の記事を読んだのですよね。そしたら……わー。
「金で運命を買おうとするな」
……すごい心に刺さりました。
というわけで、サマージャンボの勧誘の音楽を聞きながら、用事だけすませて「金で運命を買おうとするな」とつぶやきながら、宝くじ買わずに帰ってきました(笑
す、すみません。宝くじを買うなという意味ではなかったのですが。
(分かってらっしゃると思いますが、笑)
たぶんその時は買うタイミングではなかったかもしれませんね。次回はどうぞ、ご自身の心の声に従って買う買わないを決めてください。
宝くじも厳密に定義すれば「ギャンブル」の一種でしょう。でも、宝くじは射幸性が低く、賭ける金額が少ないローリスクなものです。(当たる確率はギャンブルの中で最も低いので悪質だと言う人もいますが、むしろその当たる確率の圧倒的低さが射幸性を低くし、賭ける本人にとっては最もローリスクとなります)
なかには宝くじを買い過ぎて財産を失ってしまう人もいるのかもしれません。その場合は有害となりますけどね。何でも程度によります。
前記事にも書いた通り、私は「財産を失うほど有害でなければ楽しみはあってもいい」と思う者です。
それに、宝くじはそのゲームに「参加する」というだけのこと。
言わば会社の面接に行ったり、オーディションに行くのと同じなのでは。
当然ながらオーディション等で選ばれる人は、それまでの人生で努力してきた人だけです。
宝くじに当たるのは一見努力していないかのように見えるでしょうが、やはり同じ。強運と言われる人は過去世でその報いが得られるだけの努力を積んできた人なわけです。――あるいは、当たることによって展開する人生計画を味わうため。こちらの場合のほうが多いかもしれない。(金が与えられることは、決して幸福なだけとは限らない)
「金で運命を買おうとする」安易な行為、
つまり負のカルマを解消するために宗教団体へ金を貢いだり、風水のために大金を注ぎ込んだりする努力放棄と、宝くじに参加することは本質的に異なります。
消してしまった記事の箇所について、
大切なひとが身近にいてくださったこと、よかったなあと心から思います。優しいお言葉、ありがとうございます。涙が出ます。
人の温かさに救われてばかりです。
来世でまたそのひとに会えるとしたらとても嬉しいことです。もちろん会ったからといって何かしたいわけではなく、たぶんかけらも覚えていないと思うのですが、ちゃんとした私をみてもらえるように今からしっかりしていこうと思います。仰る通りです。
私も、来世では過去世を思い出せないかもしれませんが、再びお会いしたとき恥ずかしくないよう努力して生きたいと思っています。
今世のほとんどを怠けて過ごしてしまったことを反省しつつ。
次にずいぶん遅くなってしまいましたが前のメールのお話。
どうしてもやりたいことがある、でも今の器では叶わぬことだとも薄々わかっていたので、その葛藤がすごかったです。願えば夢は叶うなんて便利な言葉がありますが、ふさわしい器でなければオリンピックの選手にはなれません。いえ私はオリンピックに出たいわけじゃないですけど(笑)私が伝えたかったことの全てを汲み取ってくださるようなお言葉、嬉しく思います。
でも、転生が今までの引き続きであるならば、今生の役目をしっかり生きればいつかの生でそれを生きることができるかもしれないと思うことができ、私はすっかり落ち着きました。
>今生の役目をしっかり生きればいつかの生でそれを生きることができるかもしれない
私にも、我がこととして響きます。
ネイタルにヨッドが多い場合は「器がない」と言うより「封印」に近い状態でしょうか。
ヨッドを持つ人は「器」、つまり世間で言うところの潜在能力は充分にあるはずだからです。これは過去世でそれだけの経験がある、というほどの意味です。
適度なヨッドであれば、生きている間に才能が開花して爆発的に成功することが多いのですが、……多重ヨッドだと一歩進むのも無理というほど重い足取りになって進めないでしょう。
ガイド霊たちが何故、このような試練を与えるのか?
これはたぶん今以上に自分を磨けと仰っているのだ、と私は理解しています。
"艱難 汝を玉にす"と言います。→ことわざ辞典
このことわざは、たぶん想像以上に真実です。
来世や再来世ではきっと、自分で満足できるような次元へ行けるのでしょう。
それともう一点、困難アスペクトにはセーフティ・ロックの性質があります。
実は経験を積んだ者にこそ「挫折」が必要だと言えます。才能は暴発しがちだからです。
現世で他者を超える才能は有害となる場合があります。チヤホヤされ調子に乗って身を破滅させる人も多くいました。きっとそんな暴発を防ぐために安全ロックが必要なのです。
ヨッドやTスクエア、グランド・クロスなどは、安全のために自らを縛る枷を選んで生まれたのだとも言えます。
そんなふうに自分の人生の障壁を前向きに捉えて。
お互い、感謝と努力を忘れずに目の前の日々を生きていきましょう。
(そう言いながら私は時々、感謝と努力を忘れてしまいますが。笑。このブログに書いている内容は自分への言い聞かせでもあります)
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