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いつ頃からか、私はアメリカ映画を観ることがなくなった。何故なら最近のアメリカ映画は自分の興味と合わず、退屈を覚えてしまうので。
今、映画で唯一お金を払っても観たいと思うのは日本映画かな。特にマンガ原作のもの。それはつまり、私がジャパニーズ・コミックの物語性に惹かれている、ということになるのだけど。
(日本人のストーリーテラーとしての能力は世界一)

最近私が観たアメリカ映画は『メッセージ』くらいだ。
あれはSFマニアにはすこぶる評判の悪い映画なのだが、SFを削ぎ落とした核心部分で知的好奇心を掻き立てられる内容で、面白かった。

昨夜テレビで放送されたアメリカ映画『オデッセイ』は、リアルな話。
と言っても、もちろんノンフィクションではなくて
IF(もしも),火星に人が一人ぼっちで残されたら生き延びられるか? 地球に生還することは可能か?」
という想定で描かれたSF。
“IF”をとことん追求した、言わばシミュレーションのような映画で、科学的に吟味された詳細な設定が面白かった。



ウィキペディアによれば
本作の製作に当たって、NASAの惑星科学部門の責任者であるジェームズ・グリーンが雇われた。グリーンは製作チームの科学的正確性を追求する姿勢を高く評価している[46]。原作を執筆したアンディ・ウィアーは丹念に調査をしたうえで、更なる正確性を期すために読者からの指摘に対するフィードバックも行っていた。それをさらに注意深く検討して出来上がったのが、本作の脚本である。

ワトニーが水を作るために用いた電気分解の技術は、NASAの火星探査機でも実際に使用されているものである[47]。ワトニーが放射性同位体熱電気転換器を使って熱を発生させたが、この方法も実際に可能な方法である[47]。
とのことで、気分が湧きたつ。

最近の私はこういう科学的にマニアックな設定の物語が好きだな。
長らく気付かなかったのだけど、私の本質タイプはあの映画に出て来る登場人物たち寄りだった。
自分は文系で、理数系は苦手だと思い込んでいたので自己認識を誤ってしまったところがある。
幼い頃からの訓練がないし、学もないので現代の理数ジャンルを理解することは不可能だけど、せっかくこの時代に生まれたのに惜しいことをしたなと思う。現代だったら、自分の知的好奇心を満足させてくれる科学の世界が広がっていたというのに……。

なんて自分の話はともかく。

映画『オデッセイ』で特に面白かったのは、火星に取り残された主人公が、初めて地球の人々との通信を成功させる場面だった。
主人公は、1990年代に火星に送られ捨てられていた画像送信機で地球スタッフとの通信を試みる。
90年代当時、火星からは画像を送ることしかできなかった。地球からの遠隔操作で360度にカメラを回転させ、写真を撮影して地球に送るだけのシステム。
主人公はこの、「地球からカメラを360度、好きな位置に操作できる」という機械の性質を活かし、地球との対話に成功する。
始めは原始的に
“イエス” “ノー”
の看板を左右に置き、どちらの回答かをカメラに示してもらう方法で地球スタッフと対話していたのだが、もっと複雑な対話をするためアルファベットを360度に置いて地球からメッセージをもらうようにした。

これはまさに、ウィジャ盤(日本で言う「エンジェル様」「こっくりさん」)の技法。
そして360度のメッセージはまるで、西洋占星術のホロスコープ。
地上言語に落とし込まれた、一般人にも分かりやすい言語的な文字ではなく、数学的な法則で対話している感じがホロスコープに似ている。

それで直観的に悟ったのだけど、我々はやはり「遠く離れた」どこかの世界から切り離され、地球に取り残された生命体であるのに違いない。
ここで言う「生命体」というのは小さな肉体に限定せず、魂という大きめの枠まで広げたほうが正確だと思うが。

前から私が思ってきたように、ホロスコープ等々は「魂の故郷」の言語の映しであり、地球に細々と残された通信手段だ。
この古い古い通信システムを使って、「神」あるいは「高次元」と呼ばれる高度な知性と対話するしかないので、結果は曖昧で理解しがたい神託のごとしとなる。神秘のヴェールに包まれた神託は過大な意味に捉えてしまうなど、誤訳も生じる。

シルバーバーチや、モーゼスが嘆いていた。「地上の人々との通信はとても難しい」と。
私もそう思う。
彼らと我々は、一億光年という宇宙の距離を越えて、前世代システムを使って朧げな画像で通信しているようなものなのだ。

映画『オデッセイ』のように、いつか彼ら高次元の存在と正確に通信できるシステムを見出し、正しいメッセージを受け取るようになりたいものだ。
そんな機械が発明されたら、霊能者は必要なくなる。
もちろん嘘をつく教祖もいなくなるし、存在しない神を崇めるカルト宗教もなくなる。何より人々が間違った方向に暴走して殺し合うことがなくなる、のでは。

などと、叶い難い夢が広がった映画鑑賞だった。


※ほとんどの人が科学とオカルト(魂や高次元の話など)は矛盾していて、対立するものだと思っているが、筆者は同じものと思っている。ただ、範囲が狭いか広いかの違いに過ぎないと。
ここはそういう変わり者が書いているブログです。一見様は驚かれることでしょう。うっかり検索で踏んでしまった方は申し訳ないです。スルーしてお帰りください。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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