2015
Apr
08
-
リアルな戦争映像を「懐かしい」と思っていた件
戦艦大和沈没70年で、当時の映像がテレビやネットで流れています。
その映像を見ていてふと、いつの間にか戦争が「遠いこと」になっている自分に気付きました。
以前は大和が沈没する瞬間、「くっ」とまぶたを閉じる元乗組員の気持ちに同調し、元乗組員とともに泣いたのですが。
戦場で亡くなった人々を悼む想いがなくなった、ということでは全くありません。
今までがあまりにも、「我がこと」過ぎたのです。
私は幼い頃から戦争映像に目を向ける子でした。
戦争の話を繰り返すお年寄りたちの話に、「また戦争の話だ。つまんない」と逃げ出す子たちの中で唯一人、いつまでも耳を傾けていられました。
第二次世界大戦の映像はたくさん観ました。
人生で最も心揺さぶられ、号泣した映像は、『NHKスペシャル~映像の世紀』の戦争シーンでした。
一面の死体野原を何故か「懐かしい」と思ったものです。
良い気持ちでの「懐かしい」ではなく、自分には最も馴染みの深い光景のように思えただけです。
あの場所に帰らなければならない、あの死体野原の中心に立たなければならない、と激しい焦燥にかられたのです。
それはおそらく、リアルな戦争映像だったからです。
そもそも私が子供の頃から、歴史小説というものが大嫌いで虫唾が走ってしまうのは、
「リアルではない」
という理由が第一です。
あの人形劇的・京劇的・マンガ的な戦争の描き方、素人目線でのバカバカしい作戦、何よりも殺戮シーンの軽い描き方はとても許せるものではなく、生理的嫌悪で読めず早々に投げ出してしまうのです。
そのため『平家物語』は早い段階で投げ出してしまいましたし、源義経の物語も、織田信長ら戦国時代の物語も読めませんでした。
『三国志』は知りませんでしたが、もし子供時代に与えられたとしたら最も嫌悪する物語となっていたことでしょう。
幼い頃から私の心を揺さぶってきたのはリアルな映像、体験者の語る詳細な戦争の様子だけです。
このため、第二次世界大戦の映像や体験者の話が、私には「心の故郷」とも言える最も馴染みのあるものになったのです。
戦争映像ばかり見ている私を、「軍事オタク」と笑う人もいました。
「戦争が好き」なのだと誤解されたこともありました。
実はその逆で、戦争は最も嫌いなのに戦争のことを考えてしまう。戦争映像を見ると心が騒いで仕方がない。
……こんな気持ちをご理解いただけるのは、先の大戦を体験された世代の方たちだけなのではないかと思います。
だから、私はお年寄りの話を聴くのが好きだったのです。
しかしここへ来て、ようやく少しだけ「戦争」の呪縛から解き放たれつつある自分を感じています。
たぶん人生の三分の二を過ぎ、ようやく過去の戦争記憶から解放されつつあるのです。
もう私は第二次世界大戦の映像を見て、昔ほどに号泣することはないでしょう。
息もつけぬほど泣いて、両手で胸をかきむしった日はすでに遠い過去です。
これを哀しいことと思うか、それとも残念と思うか。
子供の頃、戦争の話に耳を傾ける私を見て喜んだお年寄りたちは残念に思うかもしれません。
でも人はこうして忘れてしまわないと前へ進めないのです。
自分としては、「良いこと」と捉えています。
今の人生はもう残り少なくなってしまいましたが、やっと新しい人生を歩めそうな気がしています。
ところで戦争から気持ちが遠くなったとは言え、戦争を知らない世代の日本人よりは遥かに戦争について身近に感じているでしょうか。
久しぶりに『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を聴いたら、やはり泣いてしまいました。
何度聴いてもこのフレーズに泣いてしまう。
※3番4番は『ムック』という雑誌に一度きり掲載された幻の歌詞だそうです。
http://www.izu3.net/id/123
よくこんな歌詞を世に提供してくださった、阿久悠先生。
戦場に赴く人の気持ちは同じ。
二度と帰れない、二度と踏めない地と思いながら国を去る。
「必ず帰って来る」
愛しい妻子にそう告げながら、結局は帰ることが出来ない。出来なかった。
「今むらさきの 闇路のなかで」
この箇所は表向き宇宙空間を表しているのですが、私には死の世界(黄泉路)の喩えだと分かりました。
これは確かに、二度と故郷の地を踏めなかった人々の視点で書かれた詩なのです。
……ああ、やはり駄目です。前言撤回。
涙が止まりません。
昔に近い号泣をしてしまっています。
その映像を見ていてふと、いつの間にか戦争が「遠いこと」になっている自分に気付きました。
以前は大和が沈没する瞬間、「くっ」とまぶたを閉じる元乗組員の気持ちに同調し、元乗組員とともに泣いたのですが。
戦場で亡くなった人々を悼む想いがなくなった、ということでは全くありません。
今までがあまりにも、「我がこと」過ぎたのです。
戦争映像から目が離せなかった子供時代
私は幼い頃から戦争映像に目を向ける子でした。
戦争の話を繰り返すお年寄りたちの話に、「また戦争の話だ。つまんない」と逃げ出す子たちの中で唯一人、いつまでも耳を傾けていられました。
第二次世界大戦の映像はたくさん観ました。
人生で最も心揺さぶられ、号泣した映像は、『NHKスペシャル~映像の世紀』の戦争シーンでした。
一面の死体野原を何故か「懐かしい」と思ったものです。
良い気持ちでの「懐かしい」ではなく、自分には最も馴染みの深い光景のように思えただけです。
あの場所に帰らなければならない、あの死体野原の中心に立たなければならない、と激しい焦燥にかられたのです。
それはおそらく、リアルな戦争映像だったからです。
死体野原を、「懐かしい」と思っていた
そもそも私が子供の頃から、歴史小説というものが大嫌いで虫唾が走ってしまうのは、
「リアルではない」
という理由が第一です。
あの人形劇的・京劇的・マンガ的な戦争の描き方、素人目線でのバカバカしい作戦、何よりも殺戮シーンの軽い描き方はとても許せるものではなく、生理的嫌悪で読めず早々に投げ出してしまうのです。
そのため『平家物語』は早い段階で投げ出してしまいましたし、源義経の物語も、織田信長ら戦国時代の物語も読めませんでした。
『三国志』は知りませんでしたが、もし子供時代に与えられたとしたら最も嫌悪する物語となっていたことでしょう。
幼い頃から私の心を揺さぶってきたのはリアルな映像、体験者の語る詳細な戦争の様子だけです。
このため、第二次世界大戦の映像や体験者の話が、私には「心の故郷」とも言える最も馴染みのあるものになったのです。
戦争映像ばかり見ている私を、「軍事オタク」と笑う人もいました。
「戦争が好き」なのだと誤解されたこともありました。
実はその逆で、戦争は最も嫌いなのに戦争のことを考えてしまう。戦争映像を見ると心が騒いで仕方がない。
……こんな気持ちをご理解いただけるのは、先の大戦を体験された世代の方たちだけなのではないかと思います。
だから、私はお年寄りの話を聴くのが好きだったのです。
しかしここへ来て、ようやく少しだけ「戦争」の呪縛から解き放たれつつある自分を感じています。
たぶん人生の三分の二を過ぎ、ようやく過去の戦争記憶から解放されつつあるのです。
もう私は第二次世界大戦の映像を見て、昔ほどに号泣することはないでしょう。
息もつけぬほど泣いて、両手で胸をかきむしった日はすでに遠い過去です。
これを哀しいことと思うか、それとも残念と思うか。
子供の頃、戦争の話に耳を傾ける私を見て喜んだお年寄りたちは残念に思うかもしれません。
でも人はこうして忘れてしまわないと前へ進めないのです。
自分としては、「良いこと」と捉えています。
今の人生はもう残り少なくなってしまいましたが、やっと新しい人生を歩めそうな気がしています。
やはり、まだダメだった
ところで戦争から気持ちが遠くなったとは言え、戦争を知らない世代の日本人よりは遥かに戦争について身近に感じているでしょうか。
久しぶりに『宇宙戦艦ヤマト』の主題歌を聴いたら、やはり泣いてしまいました。
何度聴いてもこのフレーズに泣いてしまう。
必ずここへ 帰ってくると
手を振る人へ 笑顔で答え
誰かがこれを やらねばならぬ特に3番と4番があることを知らず、この歌詞にノックアウトです。
期待の人が 俺たちならば
花咲く丘よ 鳥泣く森よ
魚棲む水よ 永遠(とわ)に永遠に
愛しい人が 幸せの歌
微笑みながら 歌えるように
戦いの前 旅路は遥か以上引用元 『宇宙戦艦ヤマト』(c)阿久悠
命の糸が張りつめている
別れじゃないと 心で叫び
今むらさきの 闇路のなかで
※3番4番は『ムック』という雑誌に一度きり掲載された幻の歌詞だそうです。
http://www.izu3.net/id/123
よくこんな歌詞を世に提供してくださった、阿久悠先生。
戦場に赴く人の気持ちは同じ。
二度と帰れない、二度と踏めない地と思いながら国を去る。
「必ず帰って来る」
愛しい妻子にそう告げながら、結局は帰ることが出来ない。出来なかった。
「今むらさきの 闇路のなかで」
この箇所は表向き宇宙空間を表しているのですが、私には死の世界(黄泉路)の喩えだと分かりました。
これは確かに、二度と故郷の地を踏めなかった人々の視点で書かれた詩なのです。
……ああ、やはり駄目です。前言撤回。
涙が止まりません。
昔に近い号泣をしてしまっています。
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