2018
Aug
15
-
私が「よく泣く」理由。パーソナリティは第1ハウスのサイン全てであること(占星術の基本に戻る)
読者様とメールでお話させていただいて、気付いたことがあったのでご報告致します。
※8/16 例外について追記
人の人格の最も基礎的な特徴が、ネイタルのアセンダントサインに表れるということはどうやら確かです。
当サイトの考え方: ⇒アセンダント・月・太陽の読み方
私はメール文だけでも、ある程度に慣れてくると相手のアセンダントサイン(ASCのある星座)が分かる、という特技があります。相手の心の開き具合によって個性の表れは異なりますので、毎回必ず当てることは難しいのですが、少なくともエレメントくらいは分かります。
※ただしこれは無意識的な交流があった場合に限ります。アセンダントサインを推測して欲しい一見様からのご依頼では難しいこと、ご了解ください。→アセンダント推測について、追記
しかし時々どうしても教えていただいたアセンダントサインと、その方の個性が合わないなと感じられることがあります。
「サイデリアルで計算したほうが良い人」というわけではありません。何故なら明らかに一つ前のサインではなく、一つ後のサインの特徴が強く感じられるからです。
相手が努力して本性を隠しているというわけでもないと思います。ご本人も無自覚に、一つ後のサインが使いがちな言葉を使われているからです。
出生時間が間違っている可能性もあるかなと考えたのですが、ある方に確認したらどうもそうではないらしい。
その方から詳細情報を教えていただいたところ
「第1ハウスに、アセンダントサインの次のサインも30度全て入る(インターセプト)」
とのこと。
※主にプラシーダス等の場合
なるほど、第1ハウスが包むインターセプト!
納得です。
長年の謎が解けました。感謝致します。
長年、私も自分のネイタルホロスコープについて疑問を抱いてきました。
自分のネイタルの感受点は風と火ばかりなのに、いったい何故感情が強く湧いてくるときがあるのだろう? と。
前に『村上春樹のホロスコープを推測する』でもこの謎について触れたと思います。
風と火ばかりの人間であるはずの私が、何故同じ風星座メインの、ドライな村上春樹の小説を受け入れることができないのか? という謎。
それどころか、私は水の要素が強い人の文章を読むのが好きなんですね。
ヘッセ(月等々・魚座/太陽・蟹座)とか。松村潔もそう(ASCと太陽・魚座)。
上の記事では、「自分には感情要素がないからこそ感情を求めるのだ」と書きましたが、やはり私自身が感情的であるような気もします。
と言うのも、私は人目もはばからず「よく泣く」タイプであるらしいからです。笑
(自虐であえてこの言葉を使っています。あくまでも現筆者についての話です)
ネイタルASCが本質、魂の性格を表すことは間違いありません。特にサビアンシンボルについては、もし出生時間が合っているなら誰でも腑に落ちるはずです。
私もASCに表れている通り、自分のベースは合理主義の水瓶座で間違いないと感じます。一般的な意味では「熱い」タイプではなく、現実にはしゃいで騒いだりすることはないので、感情のない欠陥人間のように言われることもあります。また食欲があまりなかったり、立てなくなるまで体調不良に気付かないという肉体への鈍感さは、明らかに本質が風星座であることの証です。(それと全体に風が強いせいでもあるでしょう)
しかし時々どうしても抑えきれない感情の波が襲って来る時があるのは、自分で不可解でした。
たとえば『我傍に立つ』(主著の小説です)を書いている時は、呼吸ができず死ぬかもしれないと思うくらい泣きながら書きました。笑
さらに、こういった、「泣いた」などという恥ずかしい事実まで言葉にしてしまうところがまた自分のおかしなところです。
普通なら隠しておきたい、「泣いた」という恥さえも正直に表現する者は、我ながらとても風と火ばかりの人間とは思えません。まるで魚座のようだと思います。
また、私は抑えきれない同情心に苦しむ時もよくあります。
何か悲惨なニュースを知るたび、他人の痛みが我がことのように痛く感じられ耐え難い。こういうところもやはり、魚座の人のようです。
しかし、私のネイタルホロスコープには魚座どころか水星座の要素がほとんどないのです。かろうじて蟹座に一つだけ惑星が入っているくらい。
魚座に関して言えば、小惑星も含めて一つも感受点がありません。
「月が魚座に近いからだろうか」
「蟹座の惑星がシングルトンだからか」
「もともと水瓶座に魚座のような要素があるのだろうか」
……等々と考えていたのですが、ただそれだけではこれほど自分の人格深くに魚座に似た要素があることの説明にはなりません。
もう一つ可能性として考えていたのが、
「第1ハウスに入るサイン全てが本質人格を表すのではないか?」
ということでした。
これは結局、古典的な占星術の解釈(第1ハウスはパーソナリティを示す)に戻ることになるのですが。
このたび読者様にご協力いただき、ようやく確信を得ました。
やはりASCピンポイントというよりも
第1ハウスに入るサイン全てが基礎性格を表す
と考えるのが最も妥当のようです。
具体例として自分の出生図第1ハウスをお見せします。
参照、筆者ネイタル第1ハウス:

この場合はASCが水瓶座半ばなので、第1ハウスの後半が魚座で占められることになります。
さらに、魚座がインターセプトです!
(プラシーダスやレジオモンタナスの場合)
どうやら第1ハウスのインターセプトは影響力大であるらしいですね。
一般にインターセプトのサインは影響力が弱いと言われていますが、第1ハウスは例外と考えても良いでしょう。第1ハウスがすっぽりと内包するサインは、その人のパーソナリティに大きなウエイトを占めると考えたほうが自然です。
ASC次のサインが、どれほどその人の個性を表しているかという度合いは、そのサインが第1ハウスにどのくらい入っているかで測ることができるはずです。
ASCがサイン前半にある場合、次のサインの個性はほとんどないことになり単体サインで読めます。
ASCがサイン後半にある場合、次サインの個性のほうが圧倒で強いでしょう。この場合もASCは重要ですが、次サインもよく学んだほうが役に立つかもしれません。特に第1インターセプトの場合は影響力大、なおかつ無自覚にそのサインの特徴が出ていることが多いので、自覚することが役立つはず。
ASCの場合、どのサインでも後半は次サインの影響を強く持ちます。
これは次サインへの「憧れによる」と解釈することもできますが、このようにハウスに入る分量として解釈したほうが、感覚的にも実態にも合っている気がします。
――私の占星術サイトも、この新たな発見によって文章を書き換える必要がありそうです。
結局、オーソドックスな占星術に戻ってしまった感があります。
しかし少なくとも現代占星術の、「太陽星座がその人の基本性格だ!!」と押し付けるのは間違いであることが、これでよりいっそう明らかになるのではと思います。
長年の謎を解いてくださった方へ感謝。
〔余談の呟き〕
しかしこうなると、ハウス計算をどうするか、という選択が大事になってきますね。
やはりアジア圏だとプラシーダスが妥当だったのかもしれません。または、レジオモンタナス。
最近ではハウスを否定する占星術師も増え、ハウスを出さない人も多いのですが、パーソナリティを分析したかったら出しておいたほうが良いのだと思います。
関連記事。第1ハウスが本人個性を表すという裏付け:
・ハウスの意味、現代と古典の違い
以下の実例は恥ずかしくなって撤去したのですが(笑)、やはり必要かなと思いまして上げておきます。

ASCサインは推測だから断定できないものの、たぶんこれで合っていると思う。さらに現実の度数はもう一、二度後ろにずれると考えられるから、見事に魚座インターセプト。
推測の過程、詳細はこちら:諸葛亮のネイタルホロスコープ推測
諸葛亮は「よく泣く」認定されているし、「人間関係に苦労した」ことは史実。一般に女々しいイメージを持たれている彼の史実が、この推測ホロスコープをいっそう裏付けている。
それにしてもこの裏付けは痛い。笑

元米国大統領バラク・オバマ氏は魚座インターセプトではないのだが、やはり第一ハウスの半分以上を占めるため「情に弱い」印象がある。さらに、魚座にキロンもあるため影響大だろう。
そう言えば、オバマさんの泣いたエピソードも数多くある。
そんなオバマ氏だから人気があるのだろうが、まさに同じところが「生理的に嫌い」と言うアンチを増やしているはず。
2018/8/16追記
この記事に書いた考えが当てはまらないはずの例外は、ASC牡羊座の最前半生まれの方です。
普通、ASCがサイン始まり生まれの方は、そのサインのステレオタイプな性格が強まります。
ただし牡羊座の0度~5度生まれの場合、サビアンシンボルにも「この世に生まれたばかり」で臆病なイメージがあり、牡羊座らしい気の強さが出にくいようです。
他に、同じ火のサインで獅子座の前半にも似たようなところがありますね。
若々しい思春期の子のイメージで、時に迷いがちなので「堂々とした王様」の風格のない人もいます。この場合も第1ハウスのサイン割合に関わらず獅子座の強さが薄れます。
こう考えると、結局はピンポイントのASC次第、ということになるでしょうか。
(ASCがそのサインを強める位置にあるかどうかによって、アセンダントサインの個性が決まる)
なので「ASC優先で読むべし」、ということになります。特にサビアンシンボルを読むことはお奨めです。
※8/16 例外について追記
アセンダントサインでは読めないパーソナリティの謎
人の人格の最も基礎的な特徴が、ネイタルのアセンダントサインに表れるということはどうやら確かです。
当サイトの考え方: ⇒アセンダント・月・太陽の読み方
私はメール文だけでも、ある程度に慣れてくると相手のアセンダントサイン(ASCのある星座)が分かる、という特技があります。相手の心の開き具合によって個性の表れは異なりますので、毎回必ず当てることは難しいのですが、少なくともエレメントくらいは分かります。
※ただしこれは無意識的な交流があった場合に限ります。アセンダントサインを推測して欲しい一見様からのご依頼では難しいこと、ご了解ください。→アセンダント推測について、追記
しかし時々どうしても教えていただいたアセンダントサインと、その方の個性が合わないなと感じられることがあります。
「サイデリアルで計算したほうが良い人」というわけではありません。何故なら明らかに一つ前のサインではなく、一つ後のサインの特徴が強く感じられるからです。
相手が努力して本性を隠しているというわけでもないと思います。ご本人も無自覚に、一つ後のサインが使いがちな言葉を使われているからです。
出生時間が間違っている可能性もあるかなと考えたのですが、ある方に確認したらどうもそうではないらしい。
その方から詳細情報を教えていただいたところ
「第1ハウスに、アセンダントサインの次のサインも30度全て入る(インターセプト)」
とのこと。
※主にプラシーダス等の場合
なるほど、第1ハウスが包むインターセプト!
納得です。
長年の謎が解けました。感謝致します。
筆者の例、「よく泣く」水瓶座
長年、私も自分のネイタルホロスコープについて疑問を抱いてきました。
自分のネイタルの感受点は風と火ばかりなのに、いったい何故感情が強く湧いてくるときがあるのだろう? と。
前に『村上春樹のホロスコープを推測する』でもこの謎について触れたと思います。
風と火ばかりの人間であるはずの私が、何故同じ風星座メインの、ドライな村上春樹の小説を受け入れることができないのか? という謎。
それどころか、私は水の要素が強い人の文章を読むのが好きなんですね。
ヘッセ(月等々・魚座/太陽・蟹座)とか。松村潔もそう(ASCと太陽・魚座)。
上の記事では、「自分には感情要素がないからこそ感情を求めるのだ」と書きましたが、やはり私自身が感情的であるような気もします。
と言うのも、私は人目もはばからず「よく泣く」タイプであるらしいからです。笑
(自虐であえてこの言葉を使っています。あくまでも現筆者についての話です)
ネイタルASCが本質、魂の性格を表すことは間違いありません。特にサビアンシンボルについては、もし出生時間が合っているなら誰でも腑に落ちるはずです。
私もASCに表れている通り、自分のベースは合理主義の水瓶座で間違いないと感じます。一般的な意味では「熱い」タイプではなく、現実にはしゃいで騒いだりすることはないので、感情のない欠陥人間のように言われることもあります。また食欲があまりなかったり、立てなくなるまで体調不良に気付かないという肉体への鈍感さは、明らかに本質が風星座であることの証です。(それと全体に風が強いせいでもあるでしょう)
しかし時々どうしても抑えきれない感情の波が襲って来る時があるのは、自分で不可解でした。
たとえば『我傍に立つ』(主著の小説です)を書いている時は、呼吸ができず死ぬかもしれないと思うくらい泣きながら書きました。笑
さらに、こういった、「泣いた」などという恥ずかしい事実まで言葉にしてしまうところがまた自分のおかしなところです。
普通なら隠しておきたい、「泣いた」という恥さえも正直に表現する者は、我ながらとても風と火ばかりの人間とは思えません。まるで魚座のようだと思います。
また、私は抑えきれない同情心に苦しむ時もよくあります。
何か悲惨なニュースを知るたび、他人の痛みが我がことのように痛く感じられ耐え難い。こういうところもやはり、魚座の人のようです。
しかし、私のネイタルホロスコープには魚座どころか水星座の要素がほとんどないのです。かろうじて蟹座に一つだけ惑星が入っているくらい。
魚座に関して言えば、小惑星も含めて一つも感受点がありません。
「月が魚座に近いからだろうか」
「蟹座の惑星がシングルトンだからか」
「もともと水瓶座に魚座のような要素があるのだろうか」
……等々と考えていたのですが、ただそれだけではこれほど自分の人格深くに魚座に似た要素があることの説明にはなりません。
もう一つ可能性として考えていたのが、
「第1ハウスに入るサイン全てが本質人格を表すのではないか?」
ということでした。
これは結局、古典的な占星術の解釈(第1ハウスはパーソナリティを示す)に戻ることになるのですが。
このたび読者様にご協力いただき、ようやく確信を得ました。
やはりASCピンポイントというよりも
第1ハウスに入るサイン全てが基礎性格を表す
と考えるのが最も妥当のようです。
具体例として自分の出生図第1ハウスをお見せします。
参照、筆者ネイタル第1ハウス:

この場合はASCが水瓶座半ばなので、第1ハウスの後半が魚座で占められることになります。
さらに、魚座がインターセプトです!
(プラシーダスやレジオモンタナスの場合)
どうやら第1ハウスのインターセプトは影響力大であるらしいですね。
一般にインターセプトのサインは影響力が弱いと言われていますが、第1ハウスは例外と考えても良いでしょう。第1ハウスがすっぽりと内包するサインは、その人のパーソナリティに大きなウエイトを占めると考えたほうが自然です。
ASC次のサインが、どれほどその人の個性を表しているかという度合いは、そのサインが第1ハウスにどのくらい入っているかで測ることができるはずです。
ASCがサイン前半にある場合、次のサインの個性はほとんどないことになり単体サインで読めます。
ASCがサイン後半にある場合、次サインの個性のほうが圧倒で強いでしょう。この場合もASCは重要ですが、次サインもよく学んだほうが役に立つかもしれません。特に第1インターセプトの場合は影響力大、なおかつ無自覚にそのサインの特徴が出ていることが多いので、自覚することが役立つはず。
ASCの場合、どのサインでも後半は次サインの影響を強く持ちます。
これは次サインへの「憧れによる」と解釈することもできますが、このようにハウスに入る分量として解釈したほうが、感覚的にも実態にも合っている気がします。
――私の占星術サイトも、この新たな発見によって文章を書き換える必要がありそうです。
結局、オーソドックスな占星術に戻ってしまった感があります。
しかし少なくとも現代占星術の、「太陽星座がその人の基本性格だ!!」と押し付けるのは間違いであることが、これでよりいっそう明らかになるのではと思います。
長年の謎を解いてくださった方へ感謝。
〔余談の呟き〕
しかしこうなると、ハウス計算をどうするか、という選択が大事になってきますね。
やはりアジア圏だとプラシーダスが妥当だったのかもしれません。または、レジオモンタナス。
最近ではハウスを否定する占星術師も増え、ハウスを出さない人も多いのですが、パーソナリティを分析したかったら出しておいたほうが良いのだと思います。
関連記事。第1ハウスが本人個性を表すという裏付け:
・ハウスの意味、現代と古典の違い
似たような実例
以下の実例は恥ずかしくなって撤去したのですが(笑)、やはり必要かなと思いまして上げておきます。
・諸葛亮

ASCサインは推測だから断定できないものの、たぶんこれで合っていると思う。さらに現実の度数はもう一、二度後ろにずれると考えられるから、見事に魚座インターセプト。
推測の過程、詳細はこちら:諸葛亮のネイタルホロスコープ推測
諸葛亮は「よく泣く」認定されているし、「人間関係に苦労した」ことは史実。一般に女々しいイメージを持たれている彼の史実が、この推測ホロスコープをいっそう裏付けている。
それにしてもこの裏付けは痛い。笑
・オバマ氏

元米国大統領バラク・オバマ氏は魚座インターセプトではないのだが、やはり第一ハウスの半分以上を占めるため「情に弱い」印象がある。さらに、魚座にキロンもあるため影響大だろう。
そう言えば、オバマさんの泣いたエピソードも数多くある。
そんなオバマ氏だから人気があるのだろうが、まさに同じところが「生理的に嫌い」と言うアンチを増やしているはず。
【例外】
2018/8/16追記
この記事に書いた考えが当てはまらないはずの例外は、ASC牡羊座の最前半生まれの方です。
普通、ASCがサイン始まり生まれの方は、そのサインのステレオタイプな性格が強まります。
ただし牡羊座の0度~5度生まれの場合、サビアンシンボルにも「この世に生まれたばかり」で臆病なイメージがあり、牡羊座らしい気の強さが出にくいようです。
他に、同じ火のサインで獅子座の前半にも似たようなところがありますね。
若々しい思春期の子のイメージで、時に迷いがちなので「堂々とした王様」の風格のない人もいます。この場合も第1ハウスのサイン割合に関わらず獅子座の強さが薄れます。
こう考えると、結局はピンポイントのASC次第、ということになるでしょうか。
(ASCがそのサインを強める位置にあるかどうかによって、アセンダントサインの個性が決まる)
なので「ASC優先で読むべし」、ということになります。特にサビアンシンボルを読むことはお奨めです。
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