『アルジャーノン』のこと

以前、「トラウマだ」と書いたことのある『アルジャーノンに花束を』の2015年版ドラマが始まりました。
また心の傷を思い出すので今回は観ないつもりだったのだが、相方がわざわざ録画して「観ようよ」と言ってくるし、俳優陣も雰囲気も『未成年』みたいで懐かしいのでつい観てしまいました。

このドラマの感想は、少しだけ読書館で触れています。
https://rainydaybook3.blogspot.jp/2017/12/blog-post_16.html

ドラマはともかく。
小説は、いいですよ。おススメの名作です。
特にあの技巧は未だに超えるものがないのではと思います。
ストーリーの流れではなく文体で悲劇を描き出すという、当時は衝撃的だった技巧。あのアイディアは誰にも真似できないし、真似しようとすれば必ず陳腐になる。
英語が分かる人は英語で読んだほうが良さそうですが、日本語でも鳥肌が立ちます。

アルジャーノンに花束を
アルジャーノンに花束を

ところでこのドラマを観ていて思ったのだが、先日私が書いた記事『努力は必ず積み重なっていく』を読んで、
「じゃあ知的障がい者は、前世で努力しなかったってことなのか!?」
と短絡的に思ってしまう人がいそうですね。

それは人それぞれだと思います。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
私は霊視能力などないので、個々の事例について「あなたはこうだ」と決めつけて言うことができない。
しかし少なくとも自分の体験や占星術でたくさんのホロスコープを見た結果の感覚として、障がいのある肉体に生まれた人は「努力しなかった」人などではなく、むしろ逆に高級な魂が宿っているという気がします。

“大は小を兼ねる”ではないが、乗りこなすことが難しい乗り物ほど高度な技術者が乗っているものです。

「乗り越えられない試練を与えられることはない」
という伝説は正しくて、障碍や病のある肉体に生まれる人というのはそれだけ強靭で、さらなる修行をするため生まれて来られているのだと思う。
あるいは、すでに人間を卒業している高級霊なのだが、人々に何かを伝える使命を持ち地上に戻って来られている。

そのような高級な魂の持つ試練や使命は、我々のような凡人にはとうてい理解が及ばないものです。

『アルジャーノン』のドラマなどを見て、
「知恵遅れの子はバカだから可愛い」
などと上から目線で言っている人たちは、相手がどれだけ先輩で見上げる存在なのか分かっていない。

差別する側と、差別される側、どちらが嘲笑される存在なのか?

下と見れば嬉々として蔑み、上と見れば嫉妬して足を引っ張り。
このような人間の醜さと愚かさに気付くためにも、『アルジャーノンに花束を』のような物語が必要なのだと思います。