~について(基本的な考え方)

    枝葉に囚われるのは何故? 「削ぎ落とす」のが、俯瞰思考のコツ

    『東洋人と西洋人との物の見方の違い』テストで、東洋人は「包括的な見方をする」と言われているのに、実際は枝葉に囚われる人が多いのは何故でしょう?

    改めて「俯瞰」について考えてみます。
    ここでは占星術を例にとって話をしますが、実は他のあらゆるジャンルに共通して同じことが言えます。
    (いつも同じことを少し表現を変えて書いています。過去記事と重複している箇所はご容赦ください)


    〔目次〕
    点について削ぎ落とさなければ、全体を見ることはできない
    例、占星術の場合

    tizu.gif


    点について削ぎ落とさなければ、全体を見ることはできない

    『星座の拡大解釈をしていると、やがて12星座が使えなくなる』という項目で私は
    「拡大解釈は百害あって一利なし。
    本来、解釈は削ぎ落としてシンプルにしてこそ初めて使い物になる」

    と書きました。

    しかし
    「削ぎ落とせ」
    と書くと、
    「お前はいつも“全体を見ろ”、“俯瞰思考をしろ”と言っているじゃないか。矛盾している!」
    と思われる人がいるでしょう。

    そのような方はたぶん、周辺の情報にこだわることを「全体を見る」と勘違いしているので混乱されるのだと思います。

    たくさんの情報を同じ力加減で、ただ漫然と眺めることは「俯瞰思考」ではありません。
    だから周辺の小さな情報をいくらたくさん集めても、「全体を見る」ことには決してなりません。それではむしろ周辺の枝葉に囚われていくことになります。
    同じように、一つの属性(たとえば〇〇座)の解釈を無限に広げていくことは「俯瞰思考」ではありません。

    「俯瞰思考」とは、面の情報から全体の構成を読むことです。
    2Dではなく3Dの視野なのだと理解すると分かりやすいと思います。
    漫然と見えていた平面図に等高線を重ねて、情報を立体的に見るわけです。

    そのためには大前提として、骨格の基礎となる「点」を読み取らなければなりません。
    だから先に「点」の意味を理解する必要があります。

    「点」の解釈は本質的な理解によって、可能な限りシンプルに削ぎ落とす必要があります。
    そのうえで、幾つもの「点」を掛け合わせていくのが「俯瞰思考」ということになります。
    だから「点」さえ理解できれば、情報がいくら増えても骨格が見えるので全体の構成が読み解けるわけです。

    ところがこのスタート時に「点」そのものの解釈を広げたり、周辺情報を増やしてしまうと、数多くの「点(枝葉)」に囚われてしまうことになり全体が読めなくなってしまいます。

    逆説的ではありますが、基礎の「点」を削ぎ落として理解しないと、細部に囚われることになるわけです。


    例、占星術の場合

    たぶんこのように概念的に説明しても理解されないと思うので、具体的な例で示してみます。

    占星術では、ホロスコープという地図を読み解くための基礎言語として12星座(サイン)を理解する必要があります。

    12星座を理解するには、本質を見る目が必要です。

    では、「本質を見る」とはどのような見方か?

    前記事で挙げた図を参考に示しますと、
    fukan1.gif
    この赤丸で囲んだ共通項に着目するのが、「本質を見る」ということです。

    「本質」とはもっと深い意味にもなりますが、ここでは技術として瞬時にポイントを見抜く場合のことを想定しています

    12星座の場合、
     ・二分類(男女)
     ・エレメント(地火風水)
     ・三区分(活動、柔軟、不動)

    で理解していくことが「本質を見る」ということになります。

    上の分類を把握せずに、
    「〇〇座の人には明るい人が多かった」「〇〇座の人は性格悪くて冷たかった」
    という、たまたま自分が見かけただけという人の情報を蓄積していくだけでは永久に本質は理解できません。

    情報蓄積タイプの人を例の図で表すと、
    fukan2.gif
    こういう思考をしていることになります。
    該当グループの本質は「花びら」なのか「葉」なのか分からずに、観察者によって違う情報全てを詰め込んでしまっています。
    そのように膨大な情報を蓄積していけば他のグループとの見分けがつかなくなって当たり前です。
    結果として、グループ分けが不可能になってしまい、「こんな分類は使えない」と言い出すことになるわけです。

    12星座について「私が見た〇〇座の人はこうだった」という話しかしない人たちは、この罠に囚われていると思います。
    拡大解釈をし過ぎたために各星座タイプを見分けることが全くできなくなり、結果、「12星座なんか使えない」と言い出しているのでしょう。
    (自分が棄てたいからと言って、「古代には12サインなんか存在しなかった」、と嘘の情報を流している人もいます。このような捏造は東洋人の悪い癖。最悪の行為です)

    なお、周辺情報に注目することが、どのような場合でも絶対に悪いというわけではありません。
    観察した情報をひたすら蓄積していくのは東洋の典型的な学問手法です。
    これは手相や顔相など、移り変わるものについてその時点での分析を行うには適しています。ただ西洋占星術のように本質タイプでグループ分けする分野には向かないというだけです。

    向き・不向きを考えて、適したやり方を選択すべきではないのでしょうか。


    【関連記事】(ほぼ同じことを書いています)
    ・俯瞰とは具体的にどうするのか
    ・東洋人が占星術を苦手とする理由

    ※花の図はhttps://jp.vonvon.me/quiz/22#introから引用
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