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死後のプライバシーや権利を考えてみた ※スピ的な雑感を含みます

〔常体記事〕

さくらももこさんが53歳で死去、というニュースに衝撃を受けていた。
改めて、自分もいつ死んでもおかしくないのだなと思う。

そんな折、『クローズアップ現代』で死者のプライバシーをどうするかというテーマを見ながら色々と考えていた。

※UP後、「おまけの話」や判例など追記

〔目次〕
死んだ後のデータをどうするか、現実の問題
自分の死後、家族にデータを見せたくない?
有名人の死後の権利は、特にないがしろにされている
自分の場合。エゴサーチなみにダメージを受ける"死者"への悪口
死んでいる間の評価を死者は見ているか?

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死んだ後のデータをどうするか、現実の問題


消えたデータがよみがえる!? “デジタルフォレンジック”の光と影
私たちの行動履歴が刻まれたスマホやパソコン。データ復元の技術が大きく発達している。デジタルフォレンジック(DF)と呼ばれるこの技術によって、水につかったカメラから大切な写真をよみがえらせ、スマホの位置情報から外回りの営業マンが長時間労働を証明、多額の残業代を取り戻すことも可能に。一方、家族の死後にパソコンを調べ見たくないものを目の当たりにするケースもあり、“死後のプライバシー”が議論にも。電磁的記録の解析という新たな技術との向き合い方を考える。
まず、法的な話として気になるところは多々ある。

何らかの事件の被害者が、裁判で勝つための証拠として消されたデータを取り戻す技術が普及してきている――という話はグッドニュースなのだけど、データを悪用しようという者には好都合な世の中になったという悪い面がある。

それからフェイスブック社が、亡くなった人のページに遺族がログインすることを拒否したという話。
結局裁判では遺族側が勝利してログインすることができるようになったらしいのだが、法的な問題は残る。
と言うのも、死者は権利を失うから問題は生じないとしても、メッセージを交換していた相手方の人にとって「公開されては困る」情報があった場合にフェイスブック社が訴えられてしまう可能性があるからだ。
遺族が勝ったのは少々不可解な裁判。(他者のメッセージを非公開としたなら別)

実際、遺族が亡くなった人のデータを必要とする場面とは、ほとんど相続の問題でだ。
銀行口座やその他にネット上コンテンツの自動更新などの情報がないと、遺族がどうにもできないうちに遺産が減っていく。
さらに最悪なのはFXや株などで莫大な借金を負ってしまうこと。
相続放棄できる期間内に検索できず、このような負の遺産を背負うのはあまりにも酷なので、せめてパソコンやスマホのデータくらいは見られるように復旧する(業者に頼んでパスワードを解除する)のは正しい。

追記
あ、と、知識ある者として言うけど、遺言書はやはり作成しておいたほうがいいですよ。
わずかでも不動産や株などの財産がある場合は必ず。
「子供がいないから関係ない」という人でも、兄弟姉妹が思わぬ争いをすることがある。
LGBTの方は特に、です。パートナーを不幸な目に遭わせたくなかったら、必ず公正証書で遺言書を作ってください。

自分の死後、家族にデータを見せたくない?


法的な問題は措いて、気持ちの話になるともっと複雑。
アンケートデータによれば、
「自分のデータは死後に家族でも見られたくない。削除して欲しい」
と願う人が多い一方、
「家族のデータは、その家族が死んだ後でも保存しておきたい。見たい」
と願う人が多いらしい。
理解できないでもない。
家族が死んでしまったらその面影に触れたくて、データは残しておきたいし、見てみたいと思うだろう。

自分の場合はどうかな? と考えていた――

私は特に家族へ隠したいこともないので、死後に家族がデータを見るぶんには全然構わない。パソコンやスマホの暗証番号も教えている。
でもこのブログなど厳しいことも書いているから少々ショックを与えてしまうかなと心配したりする。
スピリチュアル的な話は複雑な気分になるかもな。普段、家族にこういう話は一切しないので。
もちろんこれは世界中に大公開しているブログなのだが、今のところ家族が見ている気配はない。私が死んだら見るのかな? どうだろう、寂しくなったら見ることもあるかも。

誰でも身近な人に見せている顔と、ネット上や個人的な日記で表現している顔は違うはず。
特に私はギャップがあるかもしれない。
ここではオッサンそのものだけど、家族が見ている私はここまでオッサンではない、と思う。笑
(おそらく私は見た目のイメージと内面のギャップがあり過ぎる。現実でも自分そのままの言動をしているつもりなのだけど、やはり見た目が優先される)
こんな不快なブログ等でも構わないと家族が思うなら、覗いてもらっていっこうに構わない。

いっぽう、家族が死んだら私はデータを棄てることはできないだろう。
亡くなった人を忘れるなどということは私には無理。
何しろ前世で死に別れた人を忘れることができないくらいのしつこい人間だから。笑
大切な人の面影にはいつまでも触れていたいと思う。
もちろん嫌らしい気持ちでパソコンの中のデータを根掘り葉掘り探るなどということはしないけど、きっと写真などは眺めるだろうなあ。
ちなみにショックを受けるような写真はない、と分かっている。今のところ。


有名人の死後の権利は、特にないがしろにされている


ところで次元は変わるが、有名人のプライバシーについて考えてみる。

よく、有名人の死後に手紙が発見されたとか、未公開の作品などが公開されることがある。
あれは当然ながら、本人に許可は取っていない。死者に許可を取ることは不可能だ。
だから遺族や、遺産を管理している団体などに許可を取ることになる。

私はいつも
「本人の気持ちを無視して公開していいのか?」
と思ってしまう。
本人が生きていたら絶対に公開しなかったであろう、最高度のプライバシーに関わる手紙が公開されたりしていて、気の毒に思う。

たとえば織田信長など、若い男の恋人に送ったラブレターが公開されているがこれを本人が目撃したらどう思うか。憤って何をするか分からないな。

太宰治なども金を無心したり賞を求める書簡を公開されたりしているが、彼の性格上、この未来を目撃したら正気ではいられないと思う。
他の文豪も未公開作品を勝手に公開されている。作家として、自分自身が完成品ではないと思うものを勝手に公開されたら、それだけで正気ではいられない。

「死者に権利はない」、
これは法的には仕方のないことだと思う。
だから、
「死者に対しては何をしてもいい」
と言って、本人が生きていたら絶対に公開されない極秘プライバシーを暴露したり、場合によっては捏造のひどい誹謗中傷話を流したりする。
性的な侮辱などを描いた創作で歴史人物を貶める、などということも
「死者には権利がないから平気」
と言われていて正々堂々と行われている。

もし本人が生まれ変わって目にしたらどう思うか。
一瞬でも考えたことはあるのか?
そのようなことは「現実にあり得ない」という前提でこんな犯罪行為がまかり通っているのだが。

人道に悖るその行いに憤るし、心底から軽蔑する。
法で裁かれなくても、人としてアウトなことは明らかだ。


自分の場合。エゴサーチなみにダメージを受ける"死者"への悪口


このような憤りを覚えるのは、もちろん私の特殊事情による。

かつては
「いつでも過去と今は切り離せる」
と考えていた。
どうせ妄想に過ぎないのだし、忘れようと思えばいつでも忘れられる。自分自身で嫌だと思えばその瞬間に消せる、切り離せるものだと思っていた……。
その意味でもずっと「仮」という言葉を使っている。

でも最近は切り離すことは無理なのだと感じ始めた。
少なくとも自分自身の心の中では深く結びついて、他者として処理できなくなりつつある。

実はずっと、「記憶は自分」という意識はあっても、記録に残る人物は「他者」として線引きしていたところがあった。
それが最近は自分自身と同一のアイデンティティとして受け取りつつある。
だからたとえば、前は他人として検索していた例の人物名も、最近我がこととしてダメージを受けるようになってしまった。

こうなったのは実はここ一年ほどのこと。
きっとこのブログに書くネタのために検索を増やしたのが悪かったのだろう。
調べれば調べるほど自分と結び付いて離れられないということに気付かされ(何故なら深く調べるほど細かいところまで同一だと気付くから)、ダメージを負うはめになった。
それを考えると、ずっと情報を入れないようにしていたのだな。小説を書いて以降、あまり見ないようにしていた。

気付けば我がこととして悪口に本気でムカつくようにまでなっていた。笑
まるで本当に「エゴサーチ」なみのダメージ。
むしろ今の自分についての「エゴサーチ」のほうがダメージがないかもしれない、というおかしな状況。
通常で考えれば、あり得ない。
精神衛生に良くないな。まったく。


私はこれでも元々自分に対する悪口には寛容なほうで、「他人はどうせ勝手なことを言うもの」と諦めているところがある。
だからこそ悪口を言われたからといって「絶対に相手を殺さなければならない」とか、「こんな日本を滅ぼしたい」などと思ったりすることはない。そう思うような性格であれば本当に心を壊すほど参ってしまっているだろう。
(それだけ酷い状況。おそらく歴史上もっとも酷い扱いをされている)

これが織田信長や、太宰治のような性格タイプの人だったらきっと耐えられないだろうなと想像する。
彼らが生まれ変わった時に過去を思い出しませんように、と祈るね。
大殺戮事件などの悲劇が起きかねない。


何が言いたいのかと言うと、実際「生まれ変わり」というものはあるかもしれないと考え、死者を踏みにじるようなことはしないほうが良い、ということ。
それがあなた自身のため。

「そんなことは絶対にあり得ない」と、あくまでも言い張る人へ。
そう。
もし「輪廻転生など100%絶対にあり得ない」のだとしても、こうして何らかの事情で、アイデンティティを同化してしまう人間が現実にいることは確かなのだから気を付けて。
思い込んでしまった人による殺人事件くらいは、充分に起きる可能性がある。

いや――、その前に現実の子孫がいるのだよね。
血の繋がりはあなた方のような人でも「思い込み」と言ってバカにし、否定できるものではないでしょう。
先祖が酷い踏みにじられ方をしていたら、子孫がどう思うか。想像できないのか。

ま、無理だろうな。
いくら「傷付く人がいる」「人道に悖るからやめろ」と言っても、罰則がなければ人はどんな非道な行いもする生き物。特に現代人は非道。
(そもそも、非道な魂だからこそ人を踏みにじる行為をしようと思うのだし)

こう考えるとやはり、法律で少しは死者の権利も認めたほうがいいのかもしれない。
多少の創作くらいは許すとして、あまりにも酷い侮辱行為などは裁くべきかも。

※追記。判例
ちなみに死者に対する非道な行いが全く裁かれないわけではないので要注意。以下事件では証拠が不十分ということで訴えが退けられてしまったが、要件を満たせば法律上は裁くことが可能ということになる。
「死者の名誉ないし人格権についてであるが、刑法230条2項及び著作権法60条はこれを肯定し、法律上保護すべきものとしていることは明らかである。(昭和54年3月14日判決判旨)」
しかし「(民事上は)何人が訴えるべきか」が明白ではないために、訴えの可能性自体が低くなるので、死者への侮辱罪・名誉毀損罪を別の条文で定めたほうがいいと思う。


おまけの話。死んでいる間の評価を死者は見ているか?


おまけで、信じる人だけに向けて自分の体験を書いておく。

自分自身について地上の人たちがどのような評価をしているかということは、私は死んでいる間に一切知ることはできなかった。
だからこそ再び地上に来た今、激しく驚愕している。
「まさかあり得ない、こんなはずじゃなかった」
と本当に思う。
あまりにもショックが大きかったから、もう少し心の準備として情報をくれていたら良かったのに……とガイド霊を恨んだりして。

ただ死の直後しばらくの話は耳に入っていた気配がある。
敵の評価や、葬儀で言われたこと、おくり名までイメージとして残っていた。自分ではそうとも知らずに。

【関連記事】 前世の死後、おくり名が聞こえていたという話(死後記憶、葬儀など)

だから「戒名(おくり名)なんて何の意味もない」というのは嘘で、意外と本人には伝わっているから付けてみてもいい。
もちろん戒名があってもなくても死後の待遇に変わりはない。高い金を払ってランクが上の戒名を付けることには全く意味がない。(当然ながら、宗教団体に金を払っても悪いカルマが解消することは絶対にない。むしろ悪いカルマを積むことになるから気を付けて)
死後の境遇は完全に本人の行いによる。
戒名は要するに遺族の気持ち、メッセージとして伝わるもの。
仏式でなければ、葬儀で手紙を読むなどメッセージだけでも構わない。

いつまでメッセージが伝わるのかというと、やはり生前の意識がある49日が目安。
以降は生まれ変わり準備の場へ行くから地上の情報は全く得られない。
その間、「意識が無い」というよりも「時間がない」。と言うことは私の場合、死後世界(一般で言う天国や地獄)に寄ることもなく、一瞬で時空を超えて来世の地(ここ)へ飛ばされただけかもしれない。

あくまでも私の場合。
これが死後世界へ直行して、そこで暮らす人なら地上の情報も得られるのかもしれない。
または、地上に留まる亡霊もいたりする。
だからこそ「死者に対しては何をしてもいい」と思わずに、生きている人と変わらずに人権を大切にしてあげて欲しい。

人権を大切に、とは「死者の物を処分するな」、という意味ではない。
魂を殺すほどの酷い侮辱行為はやめろということ。
昔の人なら当たり前に守っていたことなんだがね。
人間として死者を侮辱するような行為は普通できないものなのだけど、今の人はそういう当たり前の感覚がない。本当に狂っていると思うな。

【関連記事】
・死の後、数日間の話(人は死後、どのように過ごすか)
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