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高楼心譚(五)

これは小説です。2009年筆。 〔中国語版

高楼心譚(五)



 夏、劉表が死んだ。

 父危篤の知らせを聞いた英珠はすぐさま馬を飛ばした……、しかし英珠が城へ入ることは許されなかった。
 ついに英珠は親の死に目に会えず、葬式にさえ並ぶことが出来なかった。
 堅く閉ざされた城門の前で英珠は地を叩いて嘆き、号泣したという。

 この話を後で聞いて私は胸が潰れる想いだった。
 恩、などと周りは簡単に言う。
 “逃げろ”と背中を押した私が良いことをしたのだと、そうしなければ英珠に未来はなかったのだと。それは、現実にそうなのかもしれない。
 だが全てにおいて良いことをしたのだと私は思っていない。
 英珠は未来を得る代わりに故郷――帰る家を永久に失った。覚悟のうえの決断だったとしても、人の子として痛々しく大きな代償だ。
 英珠が故郷を失った責任の一端は私にある。たとえ英珠が「あなたに責任はない」と否定しようと、あの時、私は英珠の人生の一部を引き受ける気持ちで言葉を吐いたのだから。
 そうであるから、英珠。
 私は君から恩を返して欲しいなどと思ったことは、本当に一度もない。
 故郷を失うという代償を払わせたことに対して私も謝るつもりはない。
 ただ君は君の人生を選び取り、私はその責任の一端を負った。この地上において何がしかの縁で出会った人間同士、お互い対等に差し出せるものを差し出した というだけ。これから君は生き様を、私は自己の言葉の責任を負って生きていく。この対等な人間同士にいったい、何を返し返される必要があるだろうか。

 しかし英珠の気持ちは形となって返って来た。
 劉表の死から、間もなく。
 父の後を継いだ劉綺の腹違いの弟、劉宗(※そう:王+宗)は官軍を引き連れた恐ろしい“侵略者”――すなわち曹操が攻めて来ると知って、みずから進んで降伏し土地を明け渡してしまった。
 私の主人にとってこの知らせは寝耳に水だった。我々には劉表の死さえ隠されていた。主人は激しい怒りを顕わにしたが、既に降伏してしまったものをどうすることも出来ない。
 我々は主人を慕ってついて来た十万の民とともに逃れるしかなかった。 
 城へ篭もり抵抗しようと試みたが移動の途中で追いつかれ、無辜の民たちは曹操の兵に虐殺されてしまった。我が軍も壊滅的打撃を受け、再起は不可能に思われた。

 我々が傷付き打ちひしがれていたその時、支援を申し出たのが英珠である。彼は弟とともに曹操へ降伏しても当然の立場だった。だが降伏せず、兵を連れて我々の主人のもとへ駆けつけた。その兵数……、
「一万!」
 話を聞いた時、私は感激して声を上げた。
 聞いたのは申し訳ないけれど、全てが終わった後だった。戦闘に勝利し、私が無事に使者としての役目を終えて解放された直後、迎えに来た部隊に聞かされて知った。長らく軟禁されていたため外の状況を知ることが出来なかったのである。(※『我傍に立つ』の設定)
 あの時、私は使者として緊急の任務を負い、一足先に同盟先へ赴いた。
 後を追って進路を変えた主人は、道中で一万の兵を率いた英珠と出会ったという。
 一万の兵。
 それも訓練された、体力の有り余る健康な兵だ。
 なるほど、我々の同盟相手が対戦を決断するに充分な救援だった。敵の兵数は公に十万から十五万と言っていたが実態はせいぜい七万か八万。同盟相手の三万の常備軍に加え、我々の残兵、加えて主人の名声による民の結束があれば必ず勝てると私は考えた。考え、相手の頭首に進言した。
 けれど同盟相手は、さらに確実な一万の兵力という保険を見込むことが出来ていたのだった。このため安心して決戦を選ぶことが出来たのだろう。理にかなっていた。
 赤壁戦において、あれだけ徹底して周到な作戦を立てた呉の人々であるから、数の理屈に支えられた部分は大きいに違いない。英珠の兵がなかったら、もしかしたら同盟相手は決戦に踏み切らなかったのかもしれない。

「王子さまに感謝しろよ」
 迎えに来た精鋭部隊の面々は私を馬の背に乗せながら言った。
 王子さまとは劉表の長男である英珠のことらしい。これから“王”、つまり荊州を治めることになる人だからそう呼ぶのだろう。
「もちろんです」
 興奮冷めやらない私が勢い込んで答えると、ぼそり、「連れてってやっから」と返って来た。その言葉に違(たが)わず精鋭部隊は遠回りをし、英珠が布陣していた地を通った。


 引き上げていく軍の前方に、見覚えのある細い背中を見つけた私は彼を呼んだ。
「エンシュ!」
 笑顔で手を上げる青年は確かに英珠だ。馬が近付いて行く。しばらく見ない間に、面立ちが引き締まった気がする。馬から降りて話し込むほどの時間は許されなかったが、精一杯の感謝を叫んだ。
「英珠……ありがとう、ありがとう! この勝利を得ることが出来たのは、君のおかげだ」
 英珠は眩しそうに目を細めて馬上の私を見返した。
「何を仰います。ささやかな恩返し。これだけでは足りないほどの」
「足りないだって? 充分過ぎる。今度はこちらが何を返せばいいのか分からず、困ってしまう」
 言うと、英珠はまた目を細めて笑ったのだった。
「あなたがお困りにならなくてもいいんです。これは私がしたかったこと。心から、自分でしたいと思ったことをしただけですから」 


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