他、作品の裏話・創作について

    貴族的な家系(名家)についても反転。今の先祖は「汚いこと」をしていなかったという報告

    前記事で紹介した『高楼心譚』は典型的なのだが、改めて昔自分が書いた小説を読み返すと、「貴族的な家系」への批判が多く書き連ねてある。
     良家に沈む澱(おり)をどれだけの人が知っているだろう。
     上品な家の底には暗々と、鬱々と、人の卑しさが澱(よど)んでいることがある。
     家系。血筋。金。
     それらにつきまとう誇りは他者を差別せずにいられない。下々の庶民より自分たちは優れていると思い込むだけでは飽き足らず、同じ家の中でも差別を始める。やがて自分が家族の誰よりも上に立ちたいと欲し、一位の座につくために争いを始める。
     私はそのような良家の底辺で差別された人間だ。
    ここの箇所は、お気付きだろうけど今世の私自身の幼い頃のトラウマを表現した文章。
    幼い私から見て実家の景色はこう見えていた。

    今でも覚えているのは、旧家の暗く黒い天井。
    築百年を遥かに過ぎた大きな家(幼児の感覚では)の天井に、大人たちの罵声や、母親の泣き声が響いていたことを記憶している。

    幼児の私から見てあの貴族的な家系の人々は「母親を苛める悪い奴ら」と思えた。
    年の離れた異母兄から見ても、同様に見えたという。だから兄が『我傍』を読んだとき、「ここまで正確にあの家を表現するなんて……幼いのによく分かっていたんだな」と言った。

    つまり小説では純粋に今の私自身の体験を描写したに過ぎない。
    はたして『我傍』の主人公に投影してしまって良かったのかどうかは疑問なのだが、おそらく劣化した儒教が浸透した後漢は今より酷かっただろう、という推測のもとに描写した。貴族が地位を独占する腐敗のために革命が起きたわけだし。

    けれど……。

    母と故郷へ旅して初めて知ったことには、私の曾祖父は家の一部を小学校として提供したりしていたらしい。
    曾祖父だけではなく祖父も公共のために土地の半分を無償で提供したりした。戦後GHQによって土地のほとんどを没収されたうえ、さらに身を削ったのだった。

    太宰治『斜陽』へ私が共鳴したのは、体感として名家没落の空気を感じていたからだった。太宰より遥か未来に生まれた私でさえ体感できた退廃。
    ただでさえGHQのせいで地位が反転させられたのに、それ以上に身を削るとはあり得ない。
    祖母が恨み節を言うはず。あそこまでお人好しでは衰退するはずだ。

    曾祖父や祖父だけではなく、先祖たちは代々蓄財を困っている人々へ提供をしてきたらしい。
    そもそも医師の家系でもあり、多くの病める人たちの心と命を救ってきた。

    だから先日、カルト宗教の信者から
    「あなたの先祖は悪いことをしたから家系が呪われている。うちの団体に金を払えば救われる」
    などという霊視商法の勧誘を受けたとき、その犯罪行為に怒っただけではなく、個人的な感情としてもカチンときたのだ。
    あのような行いをしてきた先祖が感謝されることはあっても、怨まれることなどあるはずがない。
    「先祖を侮辱するな!」
    という言葉が出た時、自分でも意外だった。
    まさか自分が“我が先祖”をかばうようなセリフを口にする日が来るとは夢にも思わなかった……。

    自分で自分の先祖を称える気持ちを抱くとは、異常なことかな?
    通常は心の中で思っていても、このように公開で書くことなどあり得ないね。自分のDNAを称えるのは自画自賛のように恥ずかしいこと。
    きっと「恥を知れ!」と怒られてしまうだろう。
    しかし、私は今まで自分の家系の悪口を言ってきてしまったので、罪滅ぼしのため公開で称賛する決意でいる。
    それと前世記憶があるせいか、「今世で縁を持たせていただいた家系」という他人感覚もあり、客観的な目で見てしまうところもある。

    客観的な目で見て、この家系がしてきた行いは掛け値なしに素晴らしい。
    財産を他者に分け与え続けたということも確かに称賛に値するが、それ以上に、先祖の言いつけを守って代々医者として生きたことが素晴らしいと感じる。
    「先祖の遺志を受け継いで医者になる」
    言葉にしてしまうと簡単なようだが、並大抵の努力では無理だ。
    まして現代の医学がどれほどの頭脳と労力(それに金)を要求するか、皆様ご存知だろうか?
    先祖は代々その苦労を乗り越えてきた。今も長男は先祖の遺志を叶えていて、さらに未来へ伝えようとしている。凄いことだと思う。

    私はたぶん願いが叶ってこの家系に生まれながら、金が足りず、力も及ばなかった。
    申し訳なく思う。
    それだけではなく勘違いで家系の批判までしてしまい、大変申し訳なかった。
    大人になった今では分かる。母のほうが悪かったのだと。不当に苛められたわけではない。幼児の目には母親が泣けば周りが敵に見えたのは仕方がないとは言え……申し訳ない。

    ――結果、前々記事『運命の力学』で書いたことに加え、私の今の人生は「家系」についても前世とは反転したことになる。
    この家系に生まれて有難いと思えたことは、おそらく前世では経験したことのない幸福だ。


    余談、諸葛村について


    諸葛亮の子孫である「諸葛村」の人々が先祖の願望を受けて
    「代々、医師(漢方医)となる家系」
    を貫いていることも称賛に値する。※
    私の先祖と同じように、並大抵の努力ではなかったと思う。
    ところで今や名が観光資源となっているのか? 何でも良いから先祖の名を使って良いだろう。代々隠れて暮らさなければならないほど、その名に苦労してこられたのだろうから。

    今ようやく私も自分の先祖の素晴らしさが分かったので、彼ら諸葛村の人々の凄さにも頭が下がるのだ。
    そうでなければ現代人で浅はかな私には理解ができなかったかもしれない。
    我ながら信じ難いことだが、今になって血族へ深く感謝する。
    有難し。


    【解説】
    ※諸葛村の人々が医療を学ぶ伝統を受け継いでいる、とは: 伝説によれば諸葛亮が、子孫へ向けて「他人の役に立つような政治家になるか、それが無理なら人の命を救う医者となりなさい」と遺言していたので、彼の子孫は代々医療を学ぶ伝統を受け継いでいるという話。
    /上でリンクしたサイトは情報が多く、私には精神的に少々負担なので詳しく見られない。故に、この話が上サイトに掲載されているかどうか未確認。申し訳ない。

    続き。(要パスワード)>>この件の信ぴょう性について
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