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橋本左内を眺めて反省。15歳の頃、何を考えていたか?

『西郷どん』で風間俊介さんが演じているらしい橋本左内の話を『ヒストリア』で見かけ、感銘を受けた。

大河も観ないし幕末にも興味のない私――ご存知ない人もいるだろうけど私は元々東洋歴史アレルギーの持ち主。日本・中国の歴史人物に興味がなかった――、当然ながら「橋本左内」という人物名も耳にしたことがある程度で深くは知らない。
浅学で本当に申し訳ないです。

橋本左内の『啓発禄』


今回、初めて彼が15歳の頃に書いた『啓発禄』を知った。
こちら『橋本左内の「啓発禄」に学ぶ』より訳文を引用させていただく。
● 稚心を去る~稚心とは「幼心」のこと。つまり「子供っぽい心」のことである。これは人間だけにあてはまるワケではなく、例えば果物や野菜などでも、水っぽくて成熟してない時期を「稚」と呼んだりする。世の中なんでも、この「稚」から卒業しないうちは発展しないが、13歳や14歳になって本格的に勉強を始めねばならない頃になっても、この幼心が少しでも残っているならば物事は何も上達しないと思われる。
●氣を振う~本気で勉強を始めたら、決して人に負けてはならない。むしろ負けることは恥だと考えて、常に油断なく頑張る気持ちを持たなければならない。つねに気を奮い立たせる心がけこそ重要である。
●志を立つ~せっかく頑張ってやろうと決心しても、行き先が決まってなければ意味はない。私は何を勉強しよう、勉強してどんな人になろうという目標を、はっきりと定めるべきだ。一端 志を立て、こつこつ努力してゆけば、どんな人でも必ず成長する。それは ちょうど江戸に向かって出発したようなもので、今朝 ここをたてば、今晩は? 明日の晩は? どこそこにいる!というように、どんなに足の弱い人でも、だんだん江戸へ近づくのが道理だ。したがって 心を一筋に決めてかかれば どんな偉い人にでもなれるはずである。
●学に勉む~志を立てた以上 努力して勉強に励むことが肝心だ。勉強とは ただ本を読む、字を書くということではない。それらはただ学問の手段であって、二階へ上がるはしご段のようなものにすぎない。これらを通じて真に自分の知識を豊かにし、心を練り鍛えてゆくべきで、すぐに嫌になったり、成績が良いといって鼻にかけたり、逆に悪いからといって悲観したりするのは 真の勉強とは成りえない。
●交友をえらぶ~友達の中には益友と損友とがある。損友はすぐに心安くなりやすいけれど、自分の為にはならないものだ。逆に、益友には とかく気づきにくい。時には面白くないこともあったりするだろうが、本当によい友達と交わってこそ、相手のよい所を見習い、自分の欠点をなおすことも出来る。したがって 友達を択ぶことは勉強するものにとって、たいへん大切なことなのである。
驚愕。
これは……まごうことなき真の天才。

同じ代々医師の家系出でありながら、自分とは比べ物にならない才能と思った。
仮に、だ、
「あなたの前世は橋本左内です」
と霊能者に言われたとしたら私は否定していただろう。そんな能力はないと言って。
(そのわり無能なアイツなら納得するというのは、他人から見れば謎かも。納得できる範囲なのだ、自分にとって)

※何も読まない一見さんへ:このブログ筆者は、霊能者のお告げを信じて「自分は〇〇の生まれ変わり」と思い込んでいる者ではありません。せめてプロフィールくらい読んでね

15歳の言葉が今の私には耳に痛い。
「決して人に負けてはならない。むしろ負けることは恥だと考えて……」
仰る通りだね。
ちょっと青い、とも思えるが。
“負けるが勝ち”くらいに思っている私は、左内少年に怒られるだろうなあ。
勝ち負けだけが人の世の全てではないよ、とは大人の言い分なのか?

【関連記事】 死後世界では全てが反転する? 「負けるが勝ち」は真理なのか

「勉強とは ただ本を読む、字を書くということではない。それらはただ学問の手段であって…」
ここは完全同意。
こんなことが分かっている15歳が現代日本にいるだろうか? 私は今、日本人として生きている人のなかで、このことを理解している人を見たことがない。素晴らしい。


学問で到達できる最高の境地


彼の手紙も引用させていただく。深い感銘を受けた。
『己を知る者は まず己でなければならない。もし 人が本当に自立することができれば、それこそ永遠の存在、永遠の平和、永遠の確立になるが、それがなかなか難しいのである。せめて一人でも多くそういう人物が出れば、また そういう信念、そういう学風、そういう躾、そういう傾向のものが広まってくれば、少なくともその国・民族は救われることになる。これが人間の栄枯盛衰、民族発展の根本原理だが、このような人物は、やはり教育の適切さを得なくては、なかなか現れないように思う。幼少年時代に、よく教育すると 17~8歳で 立派に人として大成するのは当たり前なのだが、幕末の人物は、みな若くてよく出来ている。まさに20代で堂々たる国士なのだ。吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞と・・・そういった人々は枚挙にいとまがないが、みな二十歳前後で堂々たるものだろう。しかるに どうしてあんなに若いのに大した人が多いのだろうと思っていたが、人間学というものを本当に研究してみると、あれは決して奇跡ではないのがわかるし、むしろ当たり前だと理解される。人間は教育のよろしきを得て、知命、立命の教養を積めば、その人なりに大成するのが道理だ。そこから先はいろいろの経験が加わって鍛錬され、いわゆる磨きがかかるだけで、人そのものは、本来 17~8歳でちゃんと出来上がる。では 人が、その成長を得るのに必要な学問とは何なのか? まずは知識の学問と智慧の学問が、そもそも根底から異なることを知らねばならないだろう。知識の学問は、我々の理解力・記憶力・判断力・推理力など、つまり悟性の働きを鼓舞するものであって、ゆうなれば誰にも一通りできる機械的な能力と言えるだろう。しかしそういうものではなく、もっと経験を積み、思索反省を重ねて、我々の生命や人間としての体験の中からにじみ出てくる もっと直感的かつ人格的な学問こそを智慧と呼び、真の学問と呼ぶのである。だから 知識の学問から智慧の学問になればなるほど、生活的・精神的・人格的になってくるのであり、それらを深めれば、普通では得られない “徳に根差した、徳の表れである徳慧” という学問にもなってくるわけで、これが聖賢の学と称するにふさわしい本来の人間学となるであろう。』 
泣けてくるな。全くその通り。
引かれてしまうので、なかなかこう堅苦しい表現では書けないのだけど、私も同じことを言いたい。(目指すところ)
現代日本では大人ですらこのことが分かっていない。

私は幕末など、動乱の時代を命懸けで生きた人々だけが「大人」として成長できるのだと思っていた。つまり、生身の肉体で斬り合うような実践をした人だけが到達できる境地なのだと。
しかし学問だけでこの次元に到達できた人がいたということは驚きだし、希望が持てる。
斬り合いではなくても命懸けで学ぶことはできるということだ。

現代人はいくら読書しても知識が増えたと自惚れるだけ。他者を見下すため、読書量を自慢するだけ。
知識が増えれば増えるほど脊髄反射のロボットになる人ばかり。いくら年を重ねてもストーカーになる、幼児のままだ。
これはおそらく人格を鍛える素地としての、現代日本の教育が全く駄目だということなのだね。


左内の人物像を知る資料として、こちらも面白い。http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_ha/goi_ha_10.htmlより
橋本左内の学友である矢嶋皥は、左内の進歩の理由を次のように記している。
「歳十五、六の頃、学生であった私たちは感奮激昂して議論をしましたが、左内は一人黙して一言も発せず、私はひそかにこれを怪しんでおりました。
後に左内は大阪や江戸に遊学し、帰郷するたびにその成果を確かめてみると、驚いたことに非常な進歩を遂げていました。
翻って、かつて意気盛んに議論していた仲間を見てみると、私も含めて誰一人としてそこまでの進歩を遂げていません。
私は何か左内には本になるものがあるに違いないと考えました。
そのような折りに、左内は私に少年時代に記した啓発録を示し、序文を依頼してきました。
これを一読してみますと、左内の気迫が溢れんばかりでありました。
記された年代を見てみますと、丁度私たちが意気盛んに議論していた十五、六の頃のことであります。
この啓発録を読んで、私の疑問は氷解しました。
私たちは感奮を一時の議論に発散させましたが、左内はこれを内に蓄えて外には顕さず、歳月を重ねてその想いを学問・事業の上に発揮したのです。
これを一時の快論にたくましくする者に較べれば、その得失はいうに及ばぬものでありましょう」と。
「感奮激昂して議論をしましたが、左内は一人黙して一言も発せず」
「私たちは感奮を一時の議論に発散させましたが、左内はこれを内に蓄えて外には顕さず、歳月を重ねてその想いを学問・事業の上に発揮したのです」
それはそうだろうと思う。
議論に溺れるだけの人はろくなものではない。少年でも、大人でも。
しょせん他人の言葉をコピーしてぶつけ合っているだけだ。
そんなくだらないお遊びに溺れ自惚れるのではなく、思索して自分を深めた人のほうが成長するのは当たり前。

しかしこのように天才で日本の宝となるはずだった橋本左内も、僅か25歳で粛清されてしまう。
多くの事業を成し遂げようとして生まれたのに、何の罪もなく政治的な策略で殺されてしまうとは、悔しくて泣いたのも仕方ないだろう。
気の毒でならなかった。

出る杭は徹底的に打って潰してきた日本。
才能潰しの日本の伝統はあの当時から変わらないのだということ。今はもっと酷い。


橋本左内の先祖と子孫たち


橋本左内が、医学を
 小医:人の病気を治す
 中医:治し方を教える
 大医:天下国家を治す

と分け、「自分は大医を目指す」と決意したという話は少し気になった。
「大医」は確かに素晴らしい。実現できるなら。
しかし「小医」だって素晴らしい、いや一人の命を救うことこそ最も尊いと私は思う。
だから、私は自分の家系の人々(医師)を尊敬するのだ。

そう、この番組に目を留めたのも、佐内が代々医師の家系出身だという話が耳に入ったからだった。

検索で知ったことには、左内の先祖は自分の先祖とも共通項があるかもしれないということ。
急に親近感が湧くな。


自分は15歳の時、何を考えていたか


この話に触れて振り返ってみた。
自分の15歳の時は何を考えていたか?

あの頃の私は自分を隠し、どうにかこの生きづらい人生をやり過ごすことだけに必死で、他に何を考えていたのかほとんど記憶にない。
ただ、
「やっと15歳になれた」
と息をついたことだけを覚えている。

そう言えば、5歳になったときも
「やっと5年を生きた。これでどうにか安心」
と思った気がする。
何故か生存することだけ、この地上で肉体を維持することだけに必死だったらしい。
極貧で餓死する可能性があったからかもしれない。
(それなのに生きるのが苦しくて、僅かその一年後には本気で死ぬことを考えていた)

とにかく「天下国家」のことなど考える余裕はなかった。
日本国に恩恵を受けたことがなかったせいもあるのだが。

それに世の中のことを考えるとしたら、「天下国家」という次元ではなく常に「地球」だった気がする。
もはや一国家だけの狭い視点で考えることができない世の中だ。
――あ、時代だな、単に。笑

情けないことだと思われるかもしれないが、私は一個人の思想で世界を変えられると考えたことがない。
そう考えることはとても危険なことで罪だと感じている。これも、第二次大戦や社会主義計画失敗の後に生まれた世代特有なのか。
今は色々と思うことがないわけでもない。だけど語ることが無意味に思えて口を噤んでしまう。
若くして死んだ先人たちに申し訳ない。無為に過ごしてきたことを反省して、これからは少しずつ心にあるものを吐き出していこうと思う。
(それと今からでは遅いかもしれないが、学び直さなければね。いくらなんでも無学過ぎる)

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