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2018/12/6修正

橋本左内のことを調べていて何故か(笑)ヒットし、ついでに久しぶりに覗いた『はじめての三国志』。
疲れるのであまり見ないようにしつつ、一記事だけ拝読した。

『ええっ! そうなの? 陳寿の三国志が簡素な理由』
https://hajimete-sangokushi.com/2017/02/17/【シミルボン】ええっ!そうなの?陳寿の三国志/

※上サイト様は盗用防止のためか?(それとも数々の批判について、自分たちのほうが被害者だと装うためか)コピーできないシステムに変更されたようですが、著作権法第32条に基づき引用させていただきます。/原文をご存知の方はご連絡ください
(陳寿は信ぴょう性のある文献のみ載せ、推敲を重ねたため簡素ですっきりしているという評価に対して)
その陳寿の隠された真意を喝破したのが清の陳れい(サンズイ+豊)でした。
彼は、陳寿は蜀びいきであり、蜀漢の人材を詳しく書こうと思った、しかし蜀の文献は極めて少なく、魏はおろか、呉にさえも見劣りしてしまう。そこで、魏や呉の文献を減らす事で蜀とつりあいを取った。
などと言うように主張しています。
ええっ! そうなの? 笑

……失礼。
そんなわけあるまい。

上で「にわかには信じ難い話」と語られているように、あり得ないこと。
陳寿は蜀出身なので蜀びいきとよく言われるが、むしろ貶めている。
ほとんど捏造とさえ言える箇所もあるのだけど、何故皆さん気付かないのだろう? 長年の疑問。
あれだけ下手な捏造文書はない。

まあそれは陳寿が悪いのではなくて、魏ベースの晋へ配慮しなければならなかったという事情のせい。
現代中国人たちの、国家へ配慮した捏造発言の数々を見ていれば分かるだろう。
 参考 ⇒三国志キャラの星座さえ国家へ忖度して捏造する中国人の習性
おそらくこの忖度と捏造の習性は古代から。
しかし陳寿自身が内心で故郷を愛していたことは疑いようがない。行間から(特に評から)その感情が伝わって来るので、「蜀びいき」と言われるのかもしれない。

なお、このことはkawauso氏の?カウントで裏付けられる。
では、三国志を構成する魏志、呉志、蜀志の文字数を調べてみましょう。
魏志207,000文字 呉志103,000文字に対し、蜀志は、57,000文字となっていて、蜀志は魏志の4分の1、呉志の2分の1しかありません。

三国志の一角を占めながら、分量は全体の2割未満というのでは、確かに蜀書は分量が圧倒的に少ないと言えます。
比率で言えば、魏志は56%、呉志28%、蜀志は16%になります。
という結果が何よりも私の言ったことを裏付けていると思う。
元々これは頁数の定められたうえで依頼された史書だと思うよ。表向きどうだかは知らないが。
私選と言うが、本当に私的な趣味目的で書かれた歴史書なら現代まで正史として残っていることはないだろう。

魏の史料が多いのは「正当な王朝」とされたから当然のこと。
ただ蜀の史料が元々少なかったのかは分からない。故意に廃棄された可能性もある。(その可能性のほうが高い)
魏の制度についても詳細に書かなかったのは、やはり当時の政府への忖度だろう。もし現に晋で続いている制度なのだとしたら、前身の国家人物の手柄にするわけにはいかない。

大事な事: 歴史書は、未来の歴史マニアの研究のためなどに編まれるものではない。ほとんどは政治的な目的で、その当時の政府のために編まれるものである。「私選」であったとしても秘密の洞窟で隠しておくのでない限り、政府の検閲は必ずあるので、(その当時の政府に)忖度しないわけにはいかないのだ。
現代ジャーナリズムや西洋的な歴史学とは本質が違うのだということを理解しなければ誤る。


それにしても記録文の割合から考えると、今日に至るまで民間の物語上では圧倒で蜀の話ばかり語られてきたという事実が、改めて凄いことだと思った。
それだけ愛されたということ。蜀の人々は感謝せねばね。

歴史マニアさんたちは、知識を自慢したり一般論に反対の立場だと見せつけるためだけに悪口を言うのではなく、「何故、民間伝承が今のようになっているのか」ということから真相を読み解いていってほしい。
それが、「自分の頭で考える」ということ。

史書は嘘をつく。
一般民衆の想いだけが、歴史の真相を伝える。

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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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