近況、アルジャーノン追記

ここのところ取り組んでいた仕事がようやく一段落つき、占い館の更新などしていました。
(小説更新せず、すみません。メール返信も遅れています)

更新が終わった後に息抜きで、録画していたドラマ『アルジャーノンに花束を』を観ました。
今回の脚本家さんは台詞運びが自然でうまいですね。身につまされます。
「この物語は、あなたを知る物語である」
などと私は偉そうなことを書きましたが、意外にも自分を知ることになり心が痛い(涙)。

ドラマの中で主人公の知能が増して行くと、「理論的に」「真実を分析して」喋るようになるのですが、通常の人間としてはあり得ない厳しいことを言ってしまう。
まるでロボットのように他人の心に配慮しない。
「もう少し言葉を選ぼうよ」
などと怒られるのだが、オブラートに包んだ物言いは出来ない。何故なら「嘘はつきたくない」から。

うん、なるほど。
自分もあれをやっているような気が……しますね。確かに。

他人が嘘をついたらその嘘を指摘する。
真実を指摘して傷付くなら嘘をついたその人が悪い、と思ってしまう。

これはドラマだけど、現実でも確かに知性と感情の発達は反比例するイメージはあるな。
何故だろう?
個人的に知恵がつけば他人の心にも配慮出来るのではないかと想像していたが、違うのかもしれないね。現実として自分も出来ていない(笑)。
いや実は配慮しようと思えば出来るのです、相手の考えは手に取るように分かるから。しかしあえて配慮しないで真実をえぐろうと考える。何故なら、汚い人が嫌いだから。改善して欲しいから。

でもそんな想いは叶わず。伝わらず。
ただただ嫌われ孤独になる。

と言うことは、あながち憎まれるイメージも間違ってはいないし、批判も正しかったかもしれない。

……などと反省してしまうのは今回このドラマの造り方がうまくて、周りの「友人」たちに善良なところがあるからでしょう。

あの人たちを傷付けるのは、私なら出来ないな。

お勉強の出来る人間とあまり勉強に興味のない人たちとが、仲良く暮らせる物語があったらいいなと願うのだが。
未だかつてそんな物語がこの地上に存在したことはありませんね。
(私の描いた夢物語以外に)