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渡辺直美さんがグッチの広告に出たところ、世界中で大炎上したというニュースに触れて考えたこと。

今回の件では海外の人たちが
「これは何かのジョークだよね?」
「ブタはグッチを着るな」
「痩せたモデルを出せ」
等々と批判コメントを寄せているらしい。
炎上もワールドワイドになってきたのは凄いね。

まず、直美さんの対応が「カッコイイ!」との声には賛同。
世界で炎上しているのに萎縮することなく、さらっと受け流す態度は尊敬する。
文字通り、痺れますよ。
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@gucci 青山店リニューアルパーティーにお邪魔しました🙋‍♀️🌈 どんな体型でもファッションを楽しめる素敵な時代になりました🙌と思ったら @gucci 公式のインスタで私の写真が世界で大炎上😂クソデブ祭り😂痩せたモデルを出せ祭り😂フォロー外します祭り😂いい感じで盛り上がってます😂(興味ある方見てみて🤣) みんな私の魅力にびっくりした様子😘?まだ2%しか出してないのに痺れちゃったのね🤗まだまだこれからよ😂❤️🌈 GUCCIさんありがとうございます💖 #GUCCI #GUCCIAOYAMA #カッコ良い皆様と #マリネェさんかっこよすぎ #みんなにも自由に好きな事を楽しんでほしい🔥

渡辺直美さん(@watanabenaomi703)がシェアした投稿 -


他人を体型や容姿で差別する人の気が知れないな。

私自身は、人の美醜がよく分からない人間であるらしい。
いや、たぶん全く分からないわけではない、さすがに渡辺直美さんが標準より体重が多いことくらいは目で見て判断できる。笑
容貌認識ができない障碍でもない。人の顔はちゃんと見分けています。
美醜もおそらく分かっている。ただあまり関心がないので、他人の「美醜」の判断基準がよく分からず、容姿に関する話で盛り上がっている人たちの輪に入って行けないということはある。
(私は幼い頃から芸能人やアイドルに熱狂する気持ちが分からず、友達と話が合わないので苦労した)

本当に、顔かたちについては「どうでもいい」と思うのだよね。不潔かどうかだけは少し考えるけど。

自分の中で他人の価値を決める判断基準に外見が関与していない。※
だからこそ視覚情報のカットされた文字情報で考えるほうを好む。


いっぽう視覚優位で、見た瞬間に相手の本性を見抜く人も事実存在する。
たとえば私の上司は「人は見た目」と豪語し、初対面で相手の性格を見抜いてしまう能力を持つ。詐欺師などの犯罪者や、「これから売れるタレント」などもよく的中させている。
この人たちは容姿で差別しているのではなく、現実に何か超常的な処理能力で本質を察知しているらしい。
いずれにしても大切なのは魂、中身の本性。
“魂が着ている皮”である顔形など何ら関係がないと思っていることでは、人の容姿に関心のない私と同じなのだと思う。


前に紹介したテッド・チャン『あなたの人生の物語/メッセージ』に収録された短編、『顔の美醜について』は人の顔の美醜が判断できなくなる装置“カリー”が発明されたという設定だった。
この“カリー”を脳に取り付けると、他人の顔は認識できるのだが、「美醜」という判断基準を失うというもの。

上の炎上事件のように、世界中あまりにも容姿での差別が酷いなら、全ての人にテッド・チャンが提案した“カリー”を付けさせる必要がある。
ついでに、その他の差別感情を失わせる機械も。

いや、そんな装置を強制される法律が定まる前に気付いて欲しいな。人を容姿で差別すべきではないのだと。
美を称えるのは構わないがその逆を排除すべきではない。
地上から完全に美が失われたら皆さん悲しいだろう。
美から生まれる芸術も否定すべきではないと、私は思うし。

小説内で、“カリー”を使って差別心をなくすという「補助された成熟」に反対している人物の言葉が正しい。
 いや、ちがうさ。それは成熟じゃない。エキスパート・システムに自分の判断をゆだねているだけだ。成熟とは差異を見きわめた上で、だが、それは重要でないとさとることなんだ。
私も全く同様に思う。
おそらく自分が脳内でやっている処理はこの「差異を見きわめた上で、それは重要でないとさとる」なのだろう。
(犯罪や危険行為をする相手でない限り、差異を意識しないこと) →故に、霊感商法など犯罪目的で近付いて来るカルト信者などはアウト。このへん区別できない人が多いのだが、犯罪は「多様性」という言葉で認められる行為ではない。誰かが犠牲となり泣く行いを「多様性」で許容してはならない

“差異を見極めたうえで重要ではないと悟る”。
これはそんなに難しいことではないから誰でもできるはず。
できればいつか、人類が全員、自然にこの脳内処理をする日を見てみたいね。


※「自分の中で他人の価値を決める判断基準に外見が関与していない」、だからこそ人間性にはなおさらシビアになっているということはあると思う。「差異」で差別はしないのだけど、本性が卑しく汚かったり、嘘をつくなど「悪事」をする人には関わりたくない。だからある意味、普通よりも狭量ということになってしまうのかもしれない。
外見の基準より心の基準のほうが厳しいのは、当たり前。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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