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めずらしく創作論風の雑談と、ストーカートラブルについて。
不快な話もあるため、大丈夫な方だけ続きをお読みください。

(常体で書いています)
〔目次〕
近年のストーカー経験について
「メアリー・スー」とは何か? と、創作論
ストーカーが求めるのも創作読者と同じ、リアル「メアリー・スー」的要素である
余談。以上を踏まえて自分の状況を考えた

■近年のストーカー経験について

先日少し触れた、ストーカーO氏の中傷レビューの話。
クリックする人が多くて意外だった。皆様、人の悪口やトラブル話がお好きだね。

もちろん下衆な興味で覗いたわけではない人もいるでしょう。
筆者を心配して見てくださったのなら、申し訳ない。(いつもご心配ばかりかけてすみません)

不快ながらストーカーの行動記録としてあのレビューは保存しておこうと思うのだけど、魚拓は18禁広告があって危険なため、当ブログに全文引用することにした。筆者コメント付きだから少々読みづらいかもしれない。

 ⇒モンスターレビュー全文引用でコメント。「偉人」を崇拝するストーカーの倒錯した心理
※犯行者の人権保護のために閲覧者を限定した記事となっております

ところで今回レビューを読み直していて、ストーカーに豹変した後のO氏が
「典型的なメアリー・スーです。」
と書いているところが鍵だなと思った。

何の「鍵」なのかと言うと、ストーカーが何を求め、どのような人に引き寄せられて行くのか? という謎を解くための。


■「メアリー・スー」とは何か? と、創作論

用語解説。
 【メアリー・スーとは】
二次創作や夢小説(名前を変換して自分が参加した気分になれる小説)で、自己を投影したキャラクターを作品中に登場させ、圧倒的強さでヒーロー/ヒロインとなる展開を描いた作品。またはそのキャラクター自体。揶揄的、批判的に使われる。
語源は海外の二次創作で、このようなキャラクターが「メアリー・スー」という名前だったことから。
本来は二次創作に対してのみ使われるが、日本においてはライトノベルや、『小説家になろう』等で流行した異世界モノなど一次創作も含めて使われる傾向がある。
定義は定かではないものの、「俺TUEEE」といった一騎当千のキャラ設定、主人公の能力が圧倒であると示すため相対的に周囲の能力を落とす表現があると「メアリー・スー」と呼ばれる。

だいたい中二病的な設定があると「メアリー・スー」と呼ばれるらしい。

創作論的な話をすれば、メアリー・スー要素は必ずしも否定されるべきものではないと思う。
もちろん、二次創作のドリームで、元の世界観を壊すようなエゴ全開作品は不興を買うだけと思うが。
『なろう』系の異世界モノもこの要素が強過ぎるために一般読者には引かれる。ただ結果が示している通り流行るものは流行る。
これはまさにその要素にこそ中毒する人が多いという証拠。

逆に言えば、メアリー・スー要素が低い創作は、「文学的評価」は高まるかもしれないが確実にヒットしない
「エンターテイメント創作」とはメアリー・スー要素を持つ作品のことである、と言うことすらできる。

証拠に古代からこの要素を持つ創作が人々に歓迎されてきた歴史がある。
たとえば世界一有名なファンタジーの王道、『アーサー王伝説』は典型的なメアリー・スー要素を持つ作品だ。
・主人公は孤児という暗い過去を持つが、実は伝説の王の血統である
・たった一人、正統な王位継承者として他者を凌ぐ圧倒の力を持つ(エクスカリバーの使用権がある)
・アーサーが王位に就くと、「雑魚キャラ」たる他の王たちは彼に跪く

ついでに言えば、『アーサー王』にリスペクトしている『スターウォーズ』もこの要素を忠実に受け継いでいる。
・貧しい家庭に育ったルークは、実はラスボス/ダース・ベイダーの息子
・伝説の英雄から秘伝技術を受け継ぎ、唯一無二のフォースの使い手になる
※申し訳ない、筆者は旧スターウォーズをよく知らず、検索で調べつつ書いています。それで今2018/9/13、初めて自作品のキャラ名と設定が『スターウォーズ』と被っていたという衝撃の事実を知った、笑 …困ったな
 →スターウォーズと設定が被った件について裏話
 
なお、一騎当千のキャラが多数登場する『三国志(演義)』も過剰過ぎるほどの「メアリー・スー」要素を持つ作品だと思う。
故に千年もの間、流行り続けたのではないかな。私はまさに『三国志』のそこが苦手なのだけど。

日本のヒットマンガ、『ドラゴンボール』も同様。主人公の能力が他者に比べ圧倒している。
『ドラえもん』でさえ、未来の便利な道具という圧倒優位な「メアリー・スー」要素を持つ。

この通り、「メアリー・スー」要素は、ヒットする作品全てが持つ絶対法則と言える。
だから創作家さんたちは、過剰に委縮しないでこの要素を使えばいいのでは?と思う。
匙加減が大事で、その加減こそが腕の見せ所でしょう。
(偉そうに言っていますが筆者はできない。プロの面白い創作を眺めてこう思う)

ちなみに筆者の創作では、おそらく『永遠の雨~第四話 遥かなる始まりの国』が最も「メアリー・スー」要素が高いと思う。
ある程度は、意識的。
『永遠』は自動的に浮かんできた映像を小説化したものだが、第四話の空白部分に『アーサー王伝説』の要素を組み込んでいるため。無意識に『スターウォーズ』も入っていたらしい。

なお、ストーカーO氏が「メアリー・スー」と断じた『我傍に立つ』に関しては、
 ⇒メアリー・スー テスト
にて診断してみたところ 19点 だった。低過ぎて衝撃。流行らないわけだ。笑
創作としては、もう少しメアリー・スー要素があったほうが良かったのかもしれない。

『永遠の雨~第四話 遥かなる始まりの国』は、31点。……がんばって狙ったわりに低い。涙。
主人公が美形、専門技術で他者を圧倒しているなど、おそらく設定としてはメアリースー的なのだけど世界観が暗いね。
『永遠』の主人公たちはとことん虐められ、苦しめられる。そんな甘くない物語が人気になるわけないな。

たぶんこのテストで50点くらい満たす創作が、エンターテイメント作品としてはヒットに値するのだと思う。
このテストを読みながら、子供の頃に好きだった漫画や小説を思い出して少し楽しい気分になった。大人だってこういう物語でワクワク感を思い出すのだから、子供たちに必要不可欠な栄養であることは言うまでもない。
ただし中毒し過ぎに注意。繰り返すけど、使用は適度に。

追記、一人称について: よく聞く「素人ほど一人称で書くべきではない」というのは、実体験ベースの小説ではない場合。作家を目指している人は最初から空想物語を一人称で書くべきではない。何故なら一人称だと万能感を得やすく、自分の作り上げた空想世界で好き勝手なことをするのが快楽になる。それこそ海外のメアリー・スーのようになりやすい。その快楽に溺れていたらいつまでもちゃんとした小説が書けない、と思う。
実体験ベースの小説はこれと少し違うのかな。実体験なのに三人称の小説を書くとかえって痛い。
筆者の小説が主に一人称なのは、素人に徹し実体験ベースに留めようと思っていたから。プロを目指すわけでもない素人に、創作世界を構築する資格はないという気がして、「実体験」なり「脳の自動創作」なり、何らかの縛りがある小説だけ書いてきた。だから面白い創作の爽快感や自由度はないだろうと思う。


■ストーカーが求めるのも創作読者と同じ、リアル「メアリー・スー」的要素である

本題。

上の『メアリー・スーテスト』をやっていると、気付いてしまう。
「このような人は現実に存在する」
という項目がいくつかあることに。
(当然ながら異次元転生などファンタジー要素は除く)

たとえば、美形だったり、何らかの分野で他者を圧倒する能力を持っていたり。
トラウマ級の暗い過去や、「実は……」という自分で知らない出自も、現実で持つ人はいるわけだ。
細かいことを言えば、動物がなつきやすい人も、一人になると楽器を弾いてしまう人も(笑)、誰にでも好かれてしまう人も現実にいる。

そのような人を見かけた時、まさに創作上のキャラクターに中毒するように惹かれてしまう人は多いのかもしれない。
そして好意感情に溺れた人は、「相手の取り巻きになりたい」または「所有したい」と望むが、現実の人は創作キャラクターではないから「常に接している」「所有する」ということが叶わない。
欲望が満たされないことに気づいた時に、その好意は反転し、相手を憎む・怨むという感情へ変わる。
幼児が人形を床に叩きつけて壊すように、「自分の偶像」である相手を壊そうとする。現実に殺人を犯す人もいる。

そう、ストーカー自身が無意識に吐露してしまった通り、ストーカーを惹きつけるのは“メアリー・スー”要素なのだ。

ストーカーになる人がいるいっぽうで、上のようなメアリー・スー的特徴を現実に持つ人を最初から憎む人たちもいる。
本人が望んでその容姿になったわけでも、能力を持ったわけでもないのに※、何故か
「チッ 自惚れやがって」
「エゴが強くて嫌い」
などと不当な非難を浴びせる。
あたかも、痛いドリーム小説を書いた作家を責めるがごとく。
創作ではなく現実人生なのだから不可抗力だということが何故、分からないのだろう?

こうして考えていると、多くの人は現実とフィクションの区別がついていないのかもしれない。

皆が現実の人間をフィクションキャラクターのように眺めている。それが行き過ぎると「物」として扱うようになる。
特に肥大した自己愛を持つストーカーたちは、フィクションと現実の区別が全くつかない。だからこそ中毒した相手をキャラクターとしてしか見ることができず、一方的に自分の欲望を押し付ける玩具とする。

※魂レベルで言えば、確かに自分の人生は自分で選択する。しかしそれはほとんど過去の行いで自動的に決まる(自分の行いで決まった人生なので、大きな括りで「自分が決めた」という意味になる)。現世に降りてくれば「不可抗力」だ。


■以上を踏まえて自分の状況を考えた

私はオフでもネットでも、なかなかに高確率でストーカーに遭遇してきた。
何故だろうと考えていたが、思えば筆者は現実でメアリー・スー要素を持つ人間なのだった。
(+しかも一般より差別心が低いらしく、誰でも同等に接してしまうせいもある)

もしかしたら私の小説よりも、現実の自分のほうが遥かにメアリー・スー診断の得点が高いかもしれない――と言ったら非難されるだろうか。

嫌われると分かっているが列挙。
・まず、そこそこ暗い過去を持つ。
・他者を圧倒するような美形でも能力者でもないが、狭い世界でチヤホヤされる程度ではあったらしい。(ただし過去形。もう若くないので)
・難しい学習でも他人より早めに覚えられる。
・「初対面の人とすぐ友達となるか、あるいは猛烈に拒否されるかのどちらかだ」、その通り。
・「こんな能力なんてなければよかったのに、と思っている。その能力を使いたがらない」、だったな(学習能力について)。今は過去形だけど。
以下略。

いかん、存在自体が「痛い」。涙

現世現実に限ってこれなのだから。
ここへさらに「実は……」的な疑いを加え、「自分がした過去の行為に対する罪悪感にいつも苦しめられている」という事実を足したら、まさにメアリー・スーに中毒する人たちが涎を流して求める存在になってしまう。
私の小説が異世界トリップもの、あるいは歴史二次創作に見える人がいるのも無理はない。
彼らから見れば私自身が、まるで異世界からトリップしてきたように見えるのかもしれない。

皆さんが警戒しているように、おそらく私が宗教を興したらまずいことになるだろう。そんなことをするつもりは全くないが。脅迫され利用されないよう警戒しよう……。
薄々感じていたこの人生の危険性を改めて自覚した。

結論。
ストーカーが私を
「メアリー・スー」
と呼んだのは意外にも真実を突いていたのだ。作品の、ではなくて、現実の。

奴のしたストーカー行為は不快だが、この用語は間接的な啓示と捉えて自戒に使わせていただこうと思う。

彼らメアリー・スーを好むストーカー気質の人たちを、決して中毒させたままにしないこと。
もし私がこの特性を活かせるのだとしたら、平和のため、社会のために使いたい。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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