~について(基本的な考え方)

    すごくない自分を認めたら楽になる? 必要以上に卑下しても駄目なのだよ…

    「すごくない自分を認めたら楽になる」。ツイッターで話題の、癒されるマンガ。

    すごくない自分認めたら楽に-一歩ずつ進む大切さ漫画で描く

    「すごくない自分、それでいい」と言ってくれているところに癒されるツイートだ。

    ただ現実はどうだろう。
    「すごくない自分認めたら楽になって(人生が進む)」という話はたぶん本当。
    “自分、すごい”という幻想に酔っていたり、あるいは周囲からのプレッシャーに怯えて萎縮している場合は。

    しかし私のように卑下し過ぎることもまずい。

    私は最初から「自分はすごくない」と思っているし、「すごくない」と説いて回っていたんだよ。
    それなのに周囲が圧倒の力で小さな本人の声をかき消し、勝手に「すごい、すごい」と暴力的な称賛を浴びせてきた。

    こんな人生は嫌だ! と願ったら。
    神々・オーディエンスたちが願いを叶えるべく動いたのか。
    今は嫉妬と憎悪が集まり、評価は反転し。
    現実さえも捻じ曲げられ、悪口を捏造され、不当にバカにされている。
    異常者たちの悪口は今度こそ本物の暴力として襲い掛かってくる。

    ――念のため、ここまでの話は現在現実の人生に限定したこと。

    いや、
    正直に言えば皆様が想像している通り“前世”という妄想?の話でもあるのだけど、あの大規模な高評価→悪口の反転を、そのまま縮小して投影すると私の現在現実になる。

    自分がいけなかったのだとは思う。
    無能に見られることを心から強く願ってしまった。
    それが極端に叶い過ぎてしまった。

    思うに、自分を必要以上に無能と見せかけることもまた、「虚勢を張る」ことと全く同じでいけないことだったのだろう。

    周囲の評価は自分の想い通りにコントロールできない。
    だから結局、周囲の評価に振り回されている限りは永久に幸福になれないのだということ。

    「自分は自分であれ。
    ただ足元だけ見て着実に進め」
    上のツイート主が言いたかったのもそういうことだと思う。

    「誰か一人を喜ばせることに集中しろ」
    これも真なり。
    大勢の人気を獲得するよりも、たった一人の読者の役に立つ作品(文章)を提供すべき。

    私には過去(現世中の過去)、あれだけ強く気に入ってくださったり、泣いてくださったり、心を動かしてくださった読者様がいる。
    それもたった一人とは言わず、わりと大勢。
    有難い。
    この事実を決して忘れず生きていこうと思う。


    /最近の私はずっとグーグル八分に悩まされて参っていた。しかし検索システムに振り回されるなど最もバカみたいだな。
    マイペースに書きたいことを書き続けて行くしかない。
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