毎回のことですが公開にて返信させていただきます。
空蝉 -utusemi-ありがとうございます……恐縮です。
緑雨
2つ一緒に感想を書くことをお許しください。2つの物語とも、風景やひとの思いがすっと心に入ってきて穏やかな気持ちになりました。前にも書いたとおもいますが、吉野様の書く物語はきれいだと思います。空蝉の舞台になったという地をわたしは知りませんが、行って見てみたいとおもいました。物語を読んで感じたとおり、すごくきれいなところなのでしょうね。ひとの気持ちも……弱いところも何もかも包みこんで生きていく……それは静かな強さだとおもいました。よい物語をありがとうございました。
吉野様の物語は静かですね。静かだけれども、というか、静かだからこそ心に入ってくるのだとおもいます。何度もしつこいですが、大声でいろいろおしつけてくるひとたちに本当にうんざりしているので、静かさが心に染みいります。
「静か」ですか。この言葉をいただいたことは無かったし、自覚がなかったので衝撃を受けています。
(B様の視点、お言葉は鋭く、いつもハッとさせられます)
『空蝉』の舞台は、実際に私が二十歳~三十歳頃まで住んでいた土地です。
具体的な地名を書くわけにはいかないのですが、東京近郊のとあるニュータウンです。
「〇〇丘」と言います。
偶然にその地を選んだだけで、他意はありません。笑
私は丘に住む癖があるようです。単に見晴らしが良いから、というだけのことですが。
/以前、読書館でこの地についてリアルな話を載せていたものの、ここのブログに移転する際にカットしてしまったようです。たぶん恥ずかしかったのだと思います(笑)。後で掲載しておきます。 →その後、掲載しました
『空蝉』で描いた風景は、当時よく散歩した道を忠実に描いています。ただ、今は家やマンションが立ち並び、かなり景色が狭くなってしまったのではないかと思います。街が開発されるのは喜ばしいことですが、広々と見えた美しい景色が狭くなっていくのは寂しいものですね。
でもそうやって、遷ろうからこそ、その時にしか無かった景色が貴重なものになるのかもしれません。
私はその時を文字に切り取り、残すのが好きなのです。写真マニアの人が写真を撮るように、小説を書く……といったところでしょうか。
高楼心譚もう『我傍』モデルは他の方々にもバレているらしいので、あえて伏せずにそのまま公開させていただきます。
この物語!本当に読むことができてよかったです。「我傍に立つ」の中で仕方がないと納得はしたとはいえ、彼のことを気の毒だとおもっていました。このように命がつながって本当によかったです。ありがとうございました。
この物語を読んで、高楼で梯子をはずすあのエピソードを子どものころ、テレビで見たことがあると思い出しました。どんな番組だったとか一切思い出せないのですが、梯子をはずすところだけ、アニメーションで解説?をしていたような……というわけで、その場面を読んだとき「ああ、あれはこの話だったんか〜!」と声に出そうでした(笑)もの知らずですみません。
もの知らずといえば「三顧の礼」も言葉としては知っていたのですが語源については全く知らず、吉野様の記事ではじめて知りました……恥ずかしいです。わたしは三国志に関してはほとんど何も知りません。ですが、今まで出会う機会がなかったというだけで、吉野様の記事は興味深く読ませていただいています。「何故、瑾を異母兄と考えるのか?異次元の理由」も読ませていただきました。ああ、だから「あの頃、君は僕の隣にいた」のあの方は鈴さんとおっしゃるのでしょうか。なにか、なつかしい方にお会いできたような気持ちがしてうれしくなりました。
>高楼で梯子をはずすあのエピソードを子どものころ、テレビで見たことがあると思い出しました。
そ、そうなんですか。
テレビでやるほど有名な話だったんですか? (全く知らなかった人、笑)
>もの知らずですみません。
いえ、私のほうこそです。
むしろ私はテレビやマンガで一度も見かけたことがないくらい重症の無知だったので安心してください。
>「三顧の礼」も言葉としては知っていたのですが語源については全く知らず、
>わたしは三国志に関してはほとんど何も知りません。
同世代前後の世代の方は、それが当然だと思いますよ!^^
昔は、東洋物のゲームとかアニメとか、全くなかったですよね?
私もあんな事件がなければ今も全く知ることなく過ごしていたことでしょう。笑
若い子のほうがゲームをやるので知っているみたいですよ。
でも特に知らなければならない常識というわけでもないので、「豆知識を知って得した」程度に思っていただけると嬉しいです。
>ああ、だから「あの頃、君は僕の隣にいた」のあの方は鈴さんとおっしゃる
その通りです。……お恥ずかしい。
追記:
念のため。亮にも、私にも、現実にイトコと恋愛した話はありません。ただ『あの君』の設定は、今の私自身のIFそのままです。
素人ゆえ、自分の身近な話を素材として書く能しかありませんでした。
「自分で良く知っている現実素材で書く」それが、素人のできる唯一の誠実だと信じていたところもあります。
そのため身を削り、プライベートを切り売りして小説を書いてきました。馬鹿ですね。
『あの君』は親族にばれたら激しく誤解される小説です。
どうか死ぬまで親族に露見しませんように、と祈る日々です。笑
『高楼心譚』も、過去と言うよりは現代、自分自身の身近に起きた話を書いた小説なのです。(もちろん、戦争シーンは除きます)
これだけ読むと、三国志フィクションに洗脳された人々は
「都合の良い作り話しやがって。嘘つきめ! 荊州を奪うために劉キを殺したくせに」
と怒るはずなのですが、あれはあくまでも私・吉野の現代現実を投影した話。
だから、ある意味では三国志フィクションよりも遥かに正しい現実なのです。
過去については現実どうだかはっきりしたことは分かりません。私の中にもイメージはありません。
しかし、こうだったらいいなと願う気持ちで書きました。
私には、誰かが無為に死ぬことは辛くてたまらないし、不幸な境遇で育った人にはどうか幸せになって欲しいと願う気持ちがあります。偽善の嘘と思う人も多いだろうけどこの気持ちがあることは確かな事実です。
だから現実どうであれ、せめて小説の中でくらいは願いを叶えたかったのです。
さて……。
これで小説のご感想は最後になりますね。
B様には全ての小説をお読みいただいたことになります。そのうえ全てにご感想までいただいて。
ご感想をいただくと小説を書くために割いた時間、気持ち、労力、全て報われる想いがします。
あなたは私の小説を救ってくださいました。深く感謝致します。
このたび「静か」というお言葉に考えさせられました。もしかしたら、静かな風景を伝えられるだけでも書く意味があるのではないかと。
またいつか、時間と気力があれば小説を書くことに致します。(それは来世のことになるかもしれませんが。笑)
ありがとうございました。