偶然の出会いも大切に。「袖振り合うも多生の縁」

2020年9月19日

これはいいなと思ったので拡散。ヒロトさん、さすがです。昔から熱く胸に響くメッセージを有難う。

https://kokodakenobekkan-2018.tumblr.com/post/180433628821/highlandvalley


学校なんかで無理に友達を作らなくてもいいよ、という話。本当にそうだよね。
学校で友達ができなくても下を向く必要はない。堂々としていればいい。
片隅で息をしているだけでも、充分にこの世で「居場所」が与えられているんだ。
投稿者さんのその後のツイートより:

一つだけ言えること それは、この一連のヒロトの言葉には、「友達がいる人への否定」は含まれていないということです。 「私、クラスに友達たくさんいて楽しいよ!」 「いいじゃん!楽しそうじゃん!」 「私、友達いないけど、楽しいよ!」 「おお!いいじゃん!」
「私は、友達がいなくて孤立してしまってつらい…。」 「別にそれでもいいじゃん!」 すべてを肯定してくれている言葉なんだろうと思います。 “友達がいない”、そんなことで人生がつまらなくなることはないよ!と。そういうことだろうと思います。 ロックンロール!!!
https://twitter.com/kamfmngy/status/1036978632441225217/photo/1

素晴らしい。その通りだと思う。
もう一つ、「偶然」の大切さについてもそう。――おそらくヒロトも偶然を否定しているわけではないと思うのだけど、上ツイートを読んで誤解する人もいるはずだから書いておくと、
「たまたま」
隣り合っただけに見える人が運命の相手だということもあるから、始めから偶然を嘘の人間関係でしかないと決めつけ、切り捨てていくのも損するよ

実はネットで好みの人だけをフォローしていくほうが、おかしなことになる場合が多い。
偶然かのように見える現実のほうが意外と運命の相手と会える。
何故なのか?と言うと、
自分の好みというフィルターで人間を選別すること自体が不自然で、間違ってしまうことが多いのだと思う。
人間は商品ではないから。
人間関係は、浅はかな我々が想像していることを遥かに超える奇跡を計画しているから。
これだけは忘れないで欲しいのだけど、運命は偶然を装っている
なので、偶然のように見えることをバカにしておろそかにしてはいけない。
袖振り合うも、多生の縁! 
袖振り合う… →ことわざ解説