-
・translate 翻譯
疲れる話を続けます、すみません。またGoogleのペナルティの対象となってしまいそうですが。

過去記事を見直していて、『はじめての三国志』kawauso氏を褒めていた誤りの記事があったため修正しました。
偏った思想団体のサイトを奨めてしまい、まことに申し訳ない。
私は疲れるから三国志系のサイトを深読みできないのです。誤りに気付いた時はご指摘ください。

特に反省しているのはこの記事。彼が墨子を引用しているのを、ただの歴史好きの人の雑談と勘違いして褒めてしまった。

 ⇒「実は孔明は墨者(ぼくしゃ)だった!?」

墨子(ぼくし)という人は孔子の儒教と対立した古代思想家です。
現代で彼の思想は何故かK産思想と混同されていて、K党の人たち、特に今は唯一の社会主義大国であるC国政府が崇め奉っているものです。

何故、彼らが墨子を崇めているのかというと、
 ・極端な平等主義
 ・極端に華美を嫌う思想
 ・快楽の否定
というあたりがK産主義っぽく見えるからのようです。
でも肝心の、K産主義の中心思想
 ・階級闘争 
 ・独裁ファシズム礼賛
 ・暴力至上主義

のところが、人道主義の墨子とは明らかに違うと思うのですがね! 
彼らはそこのところを都合良く読み間違い、自分たちに引き寄せて勝手に看板としています。

だいたい、
「平和主義」や
「人道主義」も
今では勝手にK党の専売特許であるかのように唱えていますが、元々の彼らの思想に「平和主義」や「人道主義」などなく、強く推奨されているのはむしろ闘争と暴力のほうです。
だからこそ彼らはいつも監禁や拷問に精を出し、自国の民だろうと構わず大虐殺をするのだし、最も凶暴な独裁者を崇拝しているわけです。
(人道主義が僅かでもあるなら、思想で取り締まる収容所など作らないし、臓器売買などするわけがないでしょう。奴らが人道主義を名乗るのは文字通り、真っ赤な嘘です)

 お勉強:
 インテリ差別をしている国は滅亡必至(ポル・ポト大虐殺)
 独裁者萌えな人たちが、悪行を完全無視できることの不思議

K産主義者たちが曹操に脊髄反射で萌え萌えしてしまうのは、自分たちと同じ暴力至上主義で殺戮を行い、C国のようなファシズムを徹底して推し進めた人物だからです。
実際、C国政府が曹操を最大評価していますから、曹操を崇め奉らなければならない立場でもあるのでしょうが。
殺戮や暴力そのものに性的興奮を覚え、本音で萌え萌え叫ぶ曹操信者も多くいます。心の底から殺戮を愛しているのです。おぞましいですね。

そんな地獄から湧いてきた虫のような悪魔たちが
「平和主義」
「人道主義」
という、彼らから最も遠い理想を自分たちの看板として横取りし、汚染していることに私は憤りを覚えます。

おかげで世の中の、本性からの平和主義者や人道主義者が「サヨク」というレッテルを貼られることになってしまった。
結果、平和を叫ぶことが封じられてしまった。
これもまた、K産主義者たちの陰謀と言えるでしょう。


余談。私の思想

余談ながら、私(筆者)について語れば。
私は基本的に平和を目指しているし、平等主義で人道主義ではあります。華美を好む者でもありません。
こういうところが、いわゆる「リベラル」っぽく見られがちなことは否定しません。
(と言うより、欧米的な定義だと確かにリベラル側=自由主義に入るのでしょう。日本ではリベラルの定義自体が間違っているから違うのだけど)
墨子にも共鳴するのは確かです。

しかし実は、極端な平等主義というわけではありません
私は人間の差異と個性を認める者です。
生まれ持った能力の違い、環境の違いは必ずあります。それらの差異を闇雲にフラットにして、誰も彼も同じ評価を与え、同じ待遇にしてはそれこそ不平等になります。
追記 まず、機会の均等はあるべきです。能力があるが貧しくて学校へ行けない子に国家が学費を援助するのは当たり前。ただし裕福な家庭の子や、能力のない子など全ての子供へ闇雲にばらまくのは新たな不平等を生みます。
機会が均等に与えられたうえで、努力している人、能力の高い人には相応の高待遇が与えられるべきと思います。
大切なのは「公正さ・公平さ」であって、単純な意味での「待遇の平等」は間違っているし、危険だと思います。
※単純な「待遇の平等」だけを推し進めようとするのがK産主義です

それから私は、極端な快楽否定、華美否定ではありません。
確かに私自身は華美を嫌うし、華美を求める人は能力が低く生活に支障が出るから駄目だという評価はします。
でも他人の快楽を何もかも禁じ、破ったら罰するというK産国家のようなモラハラは家族に対してもしたことがありません。そんなことを発想したこともありません。(健康や生活に支障がない限り また、軍隊など仕事の場合は華美に走って職務を怠った場合、処分も有り得るでしょう)
音楽や文学などの芸術まで完全に禁じる極端な快楽否定はあってはならないし、危険だとも思っています。

要するに何でもバランスが大切と考える者です。
バランス、バランスとうるさいけど、それが私の唯一の思想と言えるもの。
華美に走ることも極端であってはならないし、質素も極端であってはならないと思います。

――ちなみにこの考え方は、何かの思想を学んで身に付けたものではなくてネイタル(生まれつき)の本能です。言うなれば、水瓶座の本能でしかありません。

上のkawauso氏の記事で、とても正しいなと思ったのは
孔明には、法家ばかりではなく風水に詳しいという道家の影響や
これまで述べた墨家の影響など、一つの思想ではない
多面的な人間像が見られます。……
孔明の勉強法は、それ(一つ分野の詰め込み教育)とは違っていて、本を読んで、
大体の意味を理解すれば、次の本に移るという具合でした。
これならば、儒教だけにこだわらず、色々な書物に触れられるので
その膨大な読書の中から、孔明は墨家の思想に触れたのではないでしょうか?
のあたり。
自分も同じタイプだから?その通りだと分かりますね。

ただ、おそらくkawauso氏のような思想家には想像もつかないだろうことは、
「偏らない」「一つ思想に囚われない」
という感覚だろうと思います。
左の人たちは既に左である時点で極端に偏っているし、「独裁」「ファシズム」を求める思想は囚われる心がなければ成立しないからです。
なので彼らが、感覚として「バランス主義」を体得するのは不可能と思われます。

もし、諸葛亮が私と同じ種類の「一つ思想に囚われない」人間であったならば、独裁主義ということも絶対にあり得ないと言い切れます。
一つ思想に囚われない私が、ファシズムを信奉することは絶対不可能だからです。サヨクが俯瞰を理解するのは不可能であるのと同じように。

だからパヨク活動家たちが、諸葛亮を墨子=K産主義の信奉者とし、ファシズムを目指したと捏造したがっても矛盾してしまうわけです。

【関連記事】
 三国志ジャンルの捏造記事について +蜀ファンへメッセージ
関連記事

吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com