~について(基本的な考え方)

    勉強が好きか、嫌いかで人間の価値は決まらない(勉強嫌いだった劉備について)

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    〔2020/1/3推敲〕
    プライベート要素が強いため館へ移動できなかった三国志雑談です。

    「勉強嫌いだった」というネガティブ情報は不利なのか


    昨夜、『先主伝(劉備伝)』の2を上げたのだけどさっそく不安を覚えている。

    (現在は撤去した史実翻訳の話。同じ内容の記事はこちら:【正史実像】劉備ってどんな人?1 地元で超モテ!目立つ若者だった遊学時代

    何故なら「あまり読書を好まず、狩りや乗馬、音楽を好んだ。また、流行の美しいファッションに身を包んでいた」という記述があるので。つまり勉強嫌いの都会的な遊び人タイプだったということ。
    フィクション劉備ファンの方、史実はこんな感じの人ですが、大丈夫ですか……?

    史実を書いているだけなのにディスっているように見られてしまう、という劉備の実像は悲しい。

    あれでも本質は皆様が思う通りの人だと思うのだが。
    なかなか本質だけ見る人は少ない。
    アンチはこういった表面的な欠点ばかり責めるし、ファンの方もショックを受けるかもしれないなどと想像して気を遣う。

    儒教的な価値観では史実の劉備のようなタイプは「悪」なのか?
    私が致命的だと自分で思うのは、フィクション設定をおぼろげな知識でしか知らないこと。
    だからフィクションファンの人たちの気持ちをほとんど理解していない、かもしれない。
    それで知らずにフィクションファンの人たちの気持ちを踏みにじっていることがあり、申し訳なく思う。

    だけど私は史実の劉備のほうが圧倒で好きなのだよね。(当たり前かもしれないけど)

    昔、マニアの方に半強制的に横山アニメの『三国志』冒頭を見せられたことがある。だからフィクションで描かれる劉備がお行儀の良い好青年として描かれていることは知っている。
    でも私は、あのアニメを見たときがっかりして、
    「あんな人だったら誰もついていかないだろうな」
    と思った。
    フィクション劉備に私は関心が持てない。現実で彼についていった人たちも同じと思う。
    「叔父さんに遊学費を出してもらったのに音楽などに明け暮れ・ろくに勉強せず・読書も嫌いで、しかし義に篤く言動が一貫していて、踏みにじられている人を見れば放っておけない」という現実の彼だからこそ皆がついて行ったのだ。「勉強嫌い」というところも含め、その人格の全てを皆が愛した。
    (欠点を見て見ぬ振りをしたという意味ではなく、むしろ長所だった。勉強嫌いだったのに人としてはとても賢かった、という)

    陳寿について私が本当に凄いなと思うのは、「勉強嫌い」といったアンチが喜ぶネガティブなエピソードも省かずに記録したところだ。
    “神は細部に宿る”
    と言うが、人格も細部に宿るもの。
    たったあれだけのネガティブ記録なのだが、人格が薫り立つ。“らしさ”が感じられる。
    陳寿はたくさんのフィクションを足したのだが、実はマイナスをしていない(肝心なことを省いていない)。
    絶妙に人格を描き出すツボを心得ていた。だからこそ私は陳寿を凄い歴史家だと思っている。晋政府から「魏の曹操を美化し・蜀人物を戦犯として悪く描け」という圧力を受けていたなか、可能な限り史実を遺そうとした。天才ではないかと思う。


    人間の価値は勉強量で決まらない


    ――前置きが長過ぎた。

    何が言いたいのかというと、人間の価値は
    「勉強が好きか嫌いか」
    には関係ない
    、ということ。

    少なくとも私はそんな表面的な属性で人を判断したことが一度もない。

    むしろ、どちらかと言うと「勉強が嫌い」で「読書しない」タイプを好きになる傾向があるのは自分でもどうかと思う。
     関連記事:読書嫌いのあなたに萌える (これは一般向け記事。バカっぽい表現でお恥ずかしいのだけど筆者の現在現実)

    ただ勉強ができるタイプでも、それだけで嫌うということはない。同属なので会話がはずまなくて仲良くなれない、ことは多いが。
    いずれにしても、勉強という基準で人間の価値は判断できないと私は思っている。

    むろん、サイコパスは知能が低いという傾向は確かにある。
    国語が苦手な人は暴力性を持つという話も正しい。
    これは文脈つまり本質を読み取る「理解力」や「思考力」が乏しい人は犯罪者になりやすい、という傾向を意味している。

    “知能の高い人が優しい”ように見えるのは、理解力や思考力が高いからだろう。
    しかし理解力や思考力は、残念ながら知識・学歴(勉強量)と必ずしも比例しない。

    何度も書いている通り、真に賢い人は勉強などしなくても本質を鋭く見抜くし、義が何であるのか生まれ持って知っている。
    そのいっぽうで、どれほど学歴が高くても理解力がなく、「やっていいこと・悪いこと」が全く分からず、暴力で私欲を満たすことしか考えていない人がいる。現代にはわりと多い。

    人類の永遠の謎は、
    「勉学では人格を鍛えられない」
    ということ。
    昔の偉い人たちが長いこと、勉学で人格を鍛える方法を考えてきたのだが不可能だということが最近分かりつつある。

    だから学歴や知識量だけで他人を信頼してはならないのはもちろん、勉強嫌いだったという人をあなどってはいけない。
    “真の賢さ”
    を持つ人こそを尊敬すべき
    と思う。


    追記 この記事は「勉強しなくてもいい」「勉強すべきではない」と主張する内容ではありません。勉強が役に立つことは間違いない。でもただ知識がない、学歴がないというだけで他人を差別するな、ということ。

    2020/1/18 念のため、この記事は以下の記事と矛盾するようですが、実は同じことを述べています。
    「知識」だけで人格を磨くことは不可能ということです。必要なのは知性(教養)であり、それは学校の勉強だけではなかなか身につかないのです。劉備は原石が素晴らしく、なおかつ実体験で教養を磨くタイプの人だと私は思います。
    詳細: 「勉強で人格は磨けない」対「教養が人格を高める」 矛盾について再考
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