神秘・占星術

    「スピリチュアル」はいつから「欲を貪る」という意味になったのか? 本義のスピリチュアルとは、真の恐怖とは

    雑誌社ライターが苦言を呈していたので気になり、後で詳しく調べようとタンブラーにメモしておいたのだが……。

    スピリチュアル女子をあざ笑うすべての人に言いたいこと小池-みき

    調べてみてあまりの話に引いた。

    知らなかった。
    しばらく「スピリチュアル」に無関心でいた間にこんな酷いことになっていたのか。

    差別するわけではないけどさすがにアウトでしょう。どう考えても体に悪いから、やめなさい。
    信者から大金を騙し取っている詐欺行為も問題だが、こういう身体に悪影響を及ぼす危険な行為の推奨は、そろそろ法で取り締まるべきでは?

    ※何の話か分からない方へ。とても私がここで語ることのできる話ではないので、18歳以上の方は各自ワード検索で調べてください。嘔吐覚悟にて。


    自分が不可抗力で「スピ」にいるしかない現状について


    私も前世関連の体験談などを書いているから、世間では「スピリチュアルの人」ということで勝手に振り分けられてしまう。
    それで、ブログのジャンル分けでは「スピリチュアル」に登録しているし、読者もスピリチュアル好きの方々が多かったため求められて、積極的に書いていた時期もある。

    でも最近そろそろ気付かれているだろう、私が本来さほどスピリチュアルジャンルを好む人間ではないことに。

    いや。正確に言えば自分自身はスピリチュアル(精神世界)、つまり形而上に片足を入れている人間で、不可抗力で様々な体験をしている。
    蝶も集まって来るし、天気が応えてくれたこともある。

    (余計なことかもしれないが私には風を操る能力はありません、笑。上のように空が応えてくれたのだとしても、自分の超能力・神通力で天気を操ったということは絶対になく、ただ高次の存在たちがメッセージを送ってくれたのみ。私の力などではない)

    だけどこれらは自分自身の体験に過ぎない。
    何か本を読んでその気になったわけでもないし、教祖に従ったこともない。
    常に自分の体験が先、調べるのは後。
    世間の「スピリチュアル伝道師」たちにはわずかも興味が持てないし、彼らのブログやSNS等もほとんど読んだことがない。
    自分で体験しているためになおさら、偽物がよく分かって嫌だということもある。スピリチュアル伝道師たちのブログを見れば批判しか湧いて来ない。うっかり批判を書けばトラブルになって面倒だから、なるべくスピ系ブログ等を見ないようにしている。

    実は、私は元々かなり頑固な「アンチ・スピ」でさえあった。
    占星術サイトのプロフィールページ参照。
    管理者は元々アンチスピリチュアルでした。今も皆さまが安易にスピリチュアル系のセミナーに出かけたり、占い知識の裏付けのない霊視占い師のもとへ通うことに反対しています。
    従って当サイト管理者自身がその種のビジネスを行い、皆さまを勧誘することはありません。

    このサイトについて

    体験者として、不可抗力でこちら側のジャンルに振り分けられるようになった今も、気持ちとしてあまり変わらない。
    今はこのジャンルに存在して、危険なセミナーへ行こうとしている人たちを引き留めるのが自分のお役目かなと思っている。

    そもそも現代日本の「スピリチュアルジャンル」は、欲望追求とほぼ同じ意味であるから、私の本来の性質としても嫌悪を抑えられない。
    上記事で紹介されている「スピ系女子たち」を眺めても、欲望追求が行きつくところまで行ってしまったなと思って嘆かわしい。かつて「フリーダム!」と叫んで禁忌を犯し続けたカルト団体のようだな、いや既に同じことをしているのかもしれない。感染症も自業自得。


    「スピリチュアル」を「欲望追求」と読む人たち


    「引き寄せの法則」がスピリチュアルと呼ばれていることから分かる通り、日本の「スピリチュアル」という言葉は「欲望追求」という意味に書き換えられている。

    このため「スピリチュアル」ジャンルへ金欲・名誉欲・成功欲などの欲望が強い人々が集っている。

    その欲深い鴨たちを狙って、悪徳な人々が集まり金を巻き上げるシステム。
    喰う者、喰われる者、どちらも同じ人種と思う。被害者もいずれ加害者になるだけなのだから同情の余地はない。
    これはカルト宗教と同じ構図。欲に溺れた地獄の住人たちがお互いに喰い合っているだけの世界だ。
    その地獄へ向かう友人を心配し、誠心誠意言葉を尽くして引き留めても、かえって頑なになり
    「あなたほどゴーマンな人は見たことがない」
    「偏見の塊!」「上から目線!」
    という罵声を浴びせて向こう側の世界へ逃げ込んでしまうだけ。
    だから、彼ら彼女らが騙されて一文無しになったとしても、たとえ殺されたとしても、その人の自己責任だと思って距離を置くしかない。言葉は悪いが本当に「処置なし」の人々だ。
    (親が変な宗教に入ったことで巻き込まれ、精神を犯され死んでしまうこともある子供たちは本当に可哀想。子供たちだけでも法で救う仕組みを考えるべき)

    ただ私が腹立たしく思うのは、「スピリチュアル」という言葉が汚され盗まれてしまったこと。
    ここでも「道義」や「法治」と同じく、ニュースピークが生成されてしまっている。

    かくして詐欺師が大手を振って犯罪を行うための看板がまた一つ増えてしまった。


    本当の恐怖は差別の後に訪れる


    このような詐欺師による言語のニュースピーク化、看板の盗用で何が起きるかというと、本来の意義が指していた事柄まで巻き込まれて否定されてしまうことだ。

    たとえば、「道義」が盗用されたことで「道義」そのものが否定されてしまう。
    「法治」が盗用されたことで「法治」そのものが否定されてしまう。
    「スピリチュアル」が盗用されたことで、神秘的なもの・形而上が完全に否定され禁じられ、神社も破壊される。そして唯物思想の恐怖政治が実現してしまう……。
    (それこそがこの犯罪者たちの真の狙いなのかもしれない)

    上で大手雑誌のライターも
    「スピリチュアル差別は思想分断を生む」
    と警鐘を鳴らしている。
    分断も確かに危険なのだが、もっと遥かに危険なのは
    「神秘・形而上の絶対否定」
    のほうだ。

    それを望んでいるのは誰なのか?
    形而上が亡ぶことを望む者たちは?

    想像してみて欲しい。
    神社への初詣が禁じられ、葬式が禁じられ、幽霊を見たと語っただけで死刑となり、内臓を売られてしまう世界を。
    そのような社会の実現を、社会改革の再来を今も心から切望している者たちの姿を。

    形而上を否定し、唯物思想を信奉すれば必ずまたあの大殺戮が起きる。
    だから表面的な類似点だけで、神秘全てを嘲笑して否定することこそ最も危険と言える。

    むろん殺戮は最悪のシナリオ。心配し過ぎと思われるかもしれない。
    だけど実際、身近なところで既に危機は始まっている。
    たとえば健康セミナーへはまり死にかける(死亡する)。金融セミナー、自己啓発セミナーで全財産を失い破綻する。最近こういう人たちを頻繁に見かけるようになっているだろう。
    これらの人たちはスピリチュアルを否定した結果、「スピリチュアルでなければ大丈夫」と言って簡単に落とし穴へ転がり落ちてしまったのだ。

    前にも書いた通り、神秘ジャンルを否定すると結果「スピリチュアルでなければ大丈夫」と思う人が増え、スピセミナーと同等かもっと怖いカルトセミナーへ向かう人が多くなる。
      関連記事:「スピリチュアルを信じる人は知能(知性)が低い」という話の危険性

    現に、かつて引き留める私を
    「ゴーマン!」
    と罵倒した女性はスピリチュアルではなく、糖質制限という健康法にはまってしまった人。
    金をむしり取られ精神を犯されるスピリチュアルよりも、健康セミナーや金融セミナーのほうが直接的かつ最速で生命・人生を危険にさらす可能性が高い。
    だから、「スピリチュアルでなければ大丈夫」という考えを根付かせることが何より危険だと繰り返し言っている。

    それと子供には知識を与えないことが致命的となる。
     関連記事:「カルト宗教にはまる人ってさ、宗教を知らないよね」 教養がないとマインドコントロールされやすい
    日本でテロを起こした宗教団体の信者たちは、神秘思想に不慣れで古今東西の宗教に無知な人々だったというのが現実。表面のカテゴリーだけでジャンル分けし、神秘・形而上を徹底的に排除することは最も危険だからどうかやめて欲しい。

    本当の恐怖は差別の後。
    本当にヤバイ行いをしている人々は、詐欺師たちより信者たちより、本義まで巻き込んで差別・嘲笑しているあなた方だ


    参考/「スピリチュアル」「カルマ」の本来の意味


    おまけで掲載しておきます。

    ◆スピリチュアルとは

    「スピリチュアル」とは英語のspiritualで、本来、「精神性」「霊性」という意味。
    つまり肉体の対極にある、精神・魂の側を「スピリチュアル」と呼ぶ。
    地上とは決して対立しているわけではないが、現世に生まれている魂は一時的に地上と結びついているのみとする。

    ところが現代日本人はこのspiritualを、
    「金欲」
    「性欲」
    「成功欲」
    といった物質の欲望を満たすための手段、という意味で使っている。

    地上の対義語を、地上の欲を貪るために使うという。
    完全に矛盾しているのに何故気付かないのだろう?

    spiritualはその代表的教本であるシルバーバーチを読めば分かる通り、むしろ地上の欲から自然に離れることを目指す。
    世界宗教のなかでは仏教に最も近い思想世界だと言える。
    (キ教圏で生まれた思想なので「仏教」と呼べば怒られるのだろうが、我々仏教圏の人間が読めば、バーチは仏教とよく似ていることが分かるだろう)
    地上の物欲を求め、貪ることを推奨するのは似非スピリチュアルの詐欺でしかない。

    ◆「カルマ」とは

    昨今スピ系女子たちが教祖たちに数十万円~数百万円を貢ぎ、エグい手法で
    「子宮のカルマを解消できたわ!」
    などとのたまっていることで分かる通り、彼女たちは「カルマ」という言葉もニュースピークとして書き換えようとしている。

    「カルマ」とは単に「行い」という意味であり、「罪業」という意味などではない。
    まして、「(性欲の)欲求不満」という意味などであるはずがない。

    カルマを「気の滞り」とイメージしているならそれも大きな誤り。
    たぶん、道教で言うところの「気」と「カルマ」を混同して愚かな説を唱えているのだろうが、思想体系すら間違い過ぎて笑うしかない。
    あまりにも無知だし、気の毒なほど愚か過ぎる。

    体験者として、いや現世に生きる普通の人間として再び強く言っておくが、
    カルマはカルマ(行い)によってしか解消できない。
    つまり、人生を真面目に生きることだけがカルマを解消する唯一の方法。

    特殊な修行でも、教祖に金を貢ぐことでも、石などでもカルマは決して解消されない。カルマを解消させる呪文の魔法も一切ない。
    むしろ欲にかられて悪徳な教祖へ金を貢いだりすれば、さらに悪いカルマを積むだけだ。

    どうか真面目に生きてください。
    今すぐ怠惰を改め、欲望を貪る行動を改めてください。


    こちらもご参照ください(別館です):
    洗脳とは何か? 価値観を破壊する洗脳から身を守る方法
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