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しばらく前に読んだ本。
読んだ本をいちいち他人に報告しなくなって久しいが、これは公開で感想を書きたくなった。年が明ける前に書いておく。

……しかし、クリスマス前に紹介するには合わないな!と思う。申し訳ない。
先日『正史-諸葛亮伝1』をUPして色々思い出し、そのなかにこの本があって、まだレビューを書いていないと気付いたわけです。

(まとめず思うまま書きました。長いので畳みます)

作家の敬称略。

伊藤計劃、『虐殺器官』という伝説

『虐殺器官』は2007年に発表された伊藤計劃の小説。

伊藤計劃は2009年に34歳で早世した。
病床で10日間で書き上げたというこの小説は彼のデビュー作。SFの枠を超えた傑作であり、彼の死後も伝説として語り継がれている。

「ベストSF2007」国内篇第1位。「ゼロ年代SFベスト」国内篇第1位。(ウィキペディアより)
最近アニメ化され再び話題となった。Project Itoh


(リンク先は楽天の電子書籍)



ストーリー

2000年代半ばの近未来。
9.11以降、世界の混乱はやまず、サラエボを始まりとして幾つもの都市が核で消失した。もはや「ヒロシマ」「ナガサキ」という地名は被爆地としての特殊性を持たなくなった。
しかし相変わらず先進国の人々は安定した社会を保ち、ドミノ・ピザをバドワイザーで胃に流し込む生活を送っている。死体の積み重なる光景よりも恐怖かもしれない、変わらない生活。

反対側の世界も変わらなかった。
発展途上国で女子供を巻き込む大虐殺が減るきざしはいっこうに見えない、それどころか2000年代半ばに益々増えていく。
ある時期から、それまで平和を保っていた小国の指導者が唐突に狂い、ジェノサイドを始めるという奇妙な内乱がいくつも起きるようになった。
アメリカ合衆国は虐殺を指導しているトップを暗殺することで途上国の平和を保とうとした。
合衆国特殊部隊員クラヴィスは、指導者暗殺の任務を帯びてある国へ潜入。軍人のトラウマを防止する心理操作技術によって、躊躇なく任務を遂行してきたクラヴィスだったが、ターゲットが死ぬ直前に吐き出した言葉を耳にして混乱する。
「わたしはなぜ殺してきた――たのむ、教えてくれ。なんで殺してきた」

軍部は途上国の唐突な虐殺全てに「ジョン・ポール」という名のアメリカ人が関与していることを突き止めていた。
長期の特殊任務でジョン・ポールへ近付いたクラヴィスは、ついにターゲットと遭遇する。そして、「虐殺の王(ロード・オブ・ジェノサイド)」たる本人から秘密を明かされる。


小説としての感想

ストーリーは面白い。先を知りたくなり読み続けることができる。SF好きに限らず、純粋エンタテイメントとして読むことも可能だと思う。
ただし設定は暗く描写は残酷、読む人を選ぶ小説ではある。冒頭から残酷描写があるので苦手な人は避けたほうがいい。

それでも、いわゆる「イマドキの小説」として想像するような、命の価値が過剰に低い世界観ではない。
ゲーム的に大量消費される命は単に現実として描かれたものであり、殺戮を推奨する意図はないと分かる。
むしろ淡々と描かれる殺戮描写が、声も上げずに消えていく命が、圧倒のインパクトをもって命の重みを押し付けてくる。

悲しみは言葉にされないことでさらに深い悲しみとなる。
悪と正義は示されないまま反転し、希望と絶望も反転する。

ある意味、現実そのままを写し取ったかのような小説である。
思想もある。もちろんその思想は「これが正義だ」といったような押しつけがましいものではないのだが。
内省的な主人公の淡々とした心理描写が現代現実の深層を抉り出す。時にその抉り出された深みが、目を逸らしたくなるほど痛々しく重い。

現代小説で久しぶりに遭遇した思想のある小説だった。
生々しく吐き出された文章に誠実さと、稀有な才能を感じる。


余計なことかもしれないが、才能称賛

まずこれを10日で書いたことに驚嘆する。
緻密でよく練られた設定であるうえに知識も深い。同時代の日本人であることが信じられない。
さらに商業目的に流れず、恥ずかし気もなく嘲笑されることも恐れずに、本気の内面描写で思想を描いている。
“文学からの逃避”を続ける同時代、同世代の作家では奇跡とも言える文学だと思った。

伊藤計劃の小説を「文学」と呼ぶと反発を覚え怒る人もいるだろう。
現代日本人はストーリー性の低い、鬱々と妄想を呟く私小説だけを「文学」と定義しているために。
でも私は本心が描かれた小説を「文学」と定義している。
『虐殺器官』はストーリー性が高くエンタテイメントとしても純粋に面白い。だけど、それだけではない。血肉の通った人間の、考える臓器の詰まった濃厚な小説だ。

エンタメ至上主義――エンタメ(商業)だけが正義、金を稼げない文学・内面描写のある小説は犯罪だ!と叫ぶ、何かの宗教みたいな「文学叩き」が長らく続いて、小説ジャンルでは本気の言葉を書いてはいけないルールができてしまった。このため小説ジャンルは一時期、抜け殻になってしまった。
いっぽう不毛な文学叩きを完全無視し、エンタメと内省の融合した「書きたいものを書く」創作を行ってきたのがマンガやアニメ界だった。中身スッカスカの小説界が廃れ、濃厚なマンガ界が盛り上がるのは必然。

そんな時代を横目で眺め、マンガやアニメや海外映画からの反射を受け、育った小説が伊藤計劃の作品なのだろう。
彼の立ち位置としては伊坂幸太郎に近いか。伊坂も映画好きで、実写映画のノベライズみたいな小説を書いているが、彼の心は純粋に映画でできているという感じ。比べると伊藤はアニメも、古典文学も入っている。

伊藤計劃の小説が、小説としての完全体だろう。
ようやく小説が内臓を取り戻した。
ようやく、これからだったのに。
日本の小説からこの人が失われたことは、つくづく残念だ。


個人的に感じていたこと

この小説を読みながら私は懐かしいと感じた。
懐かしい、と言うのは違うのかもしれないが、馴染みのある世界観に浸っていた。

夜中、テレビ画面の前で一人、死体野原の光景に釘付けとなった十代の日を思い出す。
白黒の映像に浮かぶ死体野原は静けさに満ちていた。
衝撃などの感情はなく、悲しみも怒りも表現されないまま、静かな涙だけが流れた。

死体野原へ馴染みを感じたのは古い記憶のせいなのか。
それとも今の人生で見せつけられた虐殺の光景があまりにも多く、脳に刷り込まれただけなのか?
今となっても分からないのだけど、これだけは確かに言えるのは、同世代の人たちで私の気持ちを理解した人が一人もいなかったということだった。

ニュース映像で浴びるように虐殺の光景を見せられてきた我々だが、誰も死体野原を「馴染みある」とは言わないし、あの静かな悲しみを感じていると思える人もいない。

それなのに伊藤計劃は同じ光景を、同じ気持ちで眺めていたようで驚いた。

冒頭文引用。
※残酷描写が苦手な人は避けてください
 泥に深く穿たれたトラックの轍に、ちいさな女の子が顔を突っこんでいるのが見えた。

 まるでアリスのように、轍のなかに広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はぱっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。
美しい冒頭文だと思った。
残酷な場面なので「美しい」と言うのは語弊あるのかもしれないが、これが冒頭にあることの完璧さが美しい。

赤と泥、色のコントラスト。現実と乖離した直喩。その後に現実が見えてきて、読者はこの小説がどんな物語なのかを察する。

小説の導入としての完璧さに驚いたが、それ以上に私が驚いたのは、この人は現実の虐殺現場をありのまま描いているということだ。
もう少し細かく視覚を描いていく。
――最初、それが何であるのか分からない。
何故あんな小さな女の子が泥へ顔を突っこんでいるのだという不思議さで視線を止める。
歩いて行く。対象が近付いて来る。
心の奥で警戒信号が鳴っているのだが、目を逸らすことができず、視点を止めたまま近付いて見る。
紅い花が鮮烈に目に飛び込み、焼き付く。
やがて状況を理解して現実のままの光景が目に映る。心が静止する。
辺りを見渡す。次々と凄惨な光景が目に入って来る。この時はもう遅い、目を逸らすことはできない。
熱い怒りや悲しみも、ショックさえなく、ただありのままを受け入れるしかないという静かな状況……。

この人は、現実に自分の足で死体野原を歩いたことがあるのだろうか?
それともアメリカ映画で観た光景や、第二次大戦の映像を思い出して描写しているのだろうか?
いずれにしても驚いたのは、彼が私と同じ気持ちで虐殺後の世界を眺めていたことだった。
その後、小説を読み進めるにつれ理解した。
彼もまた、あの画面から目を離せなくなった一人なのだということ。

同じ時代を生き。
同じ宅配ピザの届く安定した平和を味わい。
テレビ画面から流れてくる虐殺映像を、同じ気持ちで眺めていた人がいたことを不思議だと感じる。
決して「嬉しい」とか「ありがたい」などとは思わないことがまた自分でも不思議で。
ただ似た視点で似た世界の場所を眺めていた人が地上から失われたことだけ、残念に思う。

それと似た目で世界を眺めておきながら、ずっと
「言ってもどうせ理解されない」
「こういう分野の話は誰にも受け入れられない」
「戦争モノ、殺戮を描いているだけで有害指定される」
などと言い訳し、このジャンルの話を書いて来なかった自分の怠慢を呪う。
そもそも「小説家になるつもりなど微塵もない」と思っていて、夢など見ないことが真っ当なのだとさえ言い、書くことに背を向け訓練も怠ってきたことは猛烈に反省する。

こんなにも正直に自分の見ている世界を世に提供した人がいるではないか。
(私は一度だけ『我傍に立つ』では露骨なまでに正直になったのだが、以降は気持ちも労力もセーブしてきた。あれ以降、正直にただ好きなものを好きなだけ書くという行いができたことはない)
正直になることを恥ずかしいとずっと思っていた自分の卑小さが今は辛い。だらだらと生きて浪費した時間が申し訳ない。反省しなければならない。

人は生きて何を残せるか、限られた時間で挑まなければならないけど、伊藤計劃という人は残すことができたと言える。もっと残したかっただろうが一つでも残せたら幸運だ。
今、私が何を感じているかと言うと、「羨ましい」ということだ。
生まれて初めて他人へ嫉妬した。(嫉妬とは有難い感情だ)


ジョン・ポールの発見を未来への提案として考えてみる

以下は小説感想から離れ、現実として設定を考えてみます。
ここから下にはネタバレがあります。未読の方は読まないように。




この小説はSFなのだけど、ジョン・ポールが発見した
「言語テキストの中に潜ませる虐殺を起こす構文」
は、かなりリアリティのある話。

現実にも、たとえば社会主義関連の思想書にはジョン・ポールの「虐殺構文」に近い魔力がある。
社会主義、K産主義は何故か100%人を暴力的にし狂わせる。社会主義に侵されて虐殺が起きなかった国・集団はない。
100%、という確率は驚異だ。
まさにジョン・ポールの技巧。
ポルポトはきっと呟いただろう、「わたしはなぜ人を殺したのだ?」
(スターリンは曹操と同じくサイコパスであり、いわば「虐殺の天才」。彼らのように元から壊れてしまっているサイコパスは生まれ持った本能に従うだけなのだが、社会主義思想が虐殺の後押しをして拡大させたのは間違いない)
これだけの実効力を持つ思想書が人類に与えられたのは不幸としか言えない。

しかし今後はもっと完璧で分かりづらい技術で人は操作されることになるだろう。

もしかしたら今でもAIを使えば可能かもしれない。
先日見つけた診断テスト、『テキスト文でAIが性格診断~Personality Insights 』ではすでに表層の言葉によらず、純粋な文の癖やパターンで性格タイプを見抜くという技術が示されている。
これはまだ研究段階で、今のところ選ぶ単語そのものも考慮されているから純粋なパターンとは言えない。
ただ、この研究が進んでもっと正確性を増せば、逆の展開をさせ
「ある一定の効果をもたらす文章」
というものも簡単に作り上げることができてしまうはずだ。

いや、今の段階でさえ。
「リーダーシップを持つ・人の心に訴えかける文」
という程度なら、AIが作成することは既に充分に可能なのだ。

この技術を悪意ある者が使ったらどうなるか?
ヒトラーのプロパガンダなど目ではない。
マルクスによる地獄の聖書も超える、“言語的転回”での虐殺指令書が完璧な形で現実化する。

既に第二次世界大戦以降、資本主義国のメディアはヒトラーのプロパガンダ技術をパクり、商業目的で使ってきた歴史はある。
誰も公では言わないが、ある程度のメディアによる洗脳はあると皆分かっている。
だから警戒心の強い人は政治的なスピーチを耳に入れないようにしているし、宗教団体にも近付かないようにしている。そうすれば大手メディアの洗脳はあっても、少なくとも極端な行いをする団体からは逃れることができると思える。
(それなのに悪意ある集団へ自ら近付いて教義を鵜呑みにし、騙されている愚かな鴨は大勢いるが)

だけど表層の言葉に関わらず、無害に思われるテキスト文にまで「虐殺構文」が潜むようになったらどう逃れたら良いのか。
「耳に蓋をすることはできない」。
人々が、自覚もないまま虐殺の狂乱に陥る、想像を絶するディストピアが実現する。


私は長年思ってきたけど、これと逆のことはできないのだろうか?
人を100%狂わせ虐殺に向かわせる地獄の聖書があるのなら、それと真逆に、100%穏やかな気持ちにさせて虐殺を抑えさせる構文が。

「虐殺器官」ではなく
「平和器官」や「生存器官」を発動させる構文。

残念ながら本物の『聖書』は虐殺構文に近い。
仏教は「平和器官」を発動させる可能性が最も高いが(ある紛争地域に仏教がもたらされたら殺戮がやみ、平和になったという実際の歴史がある)、先日のミャンマーの事例を見ると100%の効力とまでは言えない。

実は自分がいつか、その構文を書けたらいいなと思っていた。
素人のくせに大仰な夢だ。

当たり前のことだが、私のような素人よりも、言語学の研究者が調べたほうが遥かに早いと思う。
研究者の皆さん。どうか「平和構文」「生存構文」を研究されてください。

 12/24続き。やはり魔術で平和を求めるのは駄目だという話。>>「平和構文」でも、やはり私は洗脳なしでいきたいです




 メモ、伊藤計劃が亡くなる直前まで更新したブログ
 伊藤計劃:第弐位相
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Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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