『シークレット』のシークレット。人生の創造とは何か

『シークレット』などの引き寄せ法則、成功哲学書について思うことを書いてみます。

モラトリアルから卒業し、「分をわきまえる」ことがクリエイト

友人がメールで引用した文書にインスピレーションを受けました。
以下、引用の引用。

You are not discovering yourself, but creating yourself anew. Seek,therefore, not to find out Who You Are, seek to determine Who You Want to Be.

人生とは自分自身を発見することではなく、創造することであり、自分が何者なのかを見つけようとするのではなく、自分自身がどうなりたいのか決めること。

『Conversations with God』

この引用箇所、私も全く同様に思います。
私の輪廻転生の記憶から言えば、自分が何者になるかは自分で決めることが出来るようです。
全ての未来は完全に自分自身で選び取っていくものです。

ただ上の文書はあまりにも神々の世界の言葉に近すぎて、地上では誤解されるでしょう。

上の文書は、「自分」という個性が全く無いのだとは言っていないし、過去も全く存在しないのだとも言っていない。したがって「自分が何者なのか考えることは意味のないこと」とは、少なくともこの地上においては言い切ることは出来ないはずです。

何故なら地上生活では時間が確かにあり、過去は存在するからです。
大きな宇宙の真理から見れば「時間は幻想」が真実だとしても、地上生活において「時間は幻想」だと主張する人は生きていけません。
もし一秒前のことも記憶できない人がいたらそれは障がいとなります。
時計を放棄し、自分勝手な行動をしていたらとても通常の社会生活は送れなくなる。

この地上の時間軸で人生を生きる限りにおいては、立ち位置が必要なのです。
立ち位置とは個性や役割のことです。

「立ち位置」を探すためには、直近の過去の経験は確かに役立つこともあるでしょう。
人によっては過去生の経験が邪魔して先へ進めなくなってしまう場合があります。
このような人の場合は、過去生を探ることが重要な意味を持つはずです。

しかし「自分探し」のためだけに過去生を探っても、玉ねぎを剥いていくようなもので永久に核心には辿り着けないでしょう。
数万年や数十万年の長い期間にわたって培った個性であっても、それは魂の故郷の性質と経験が混ざり合ったものに過ぎず、「真性」とまでは言えないからです。
辿り着くとしたら、全ての魂が一つであるという核心です。
個性は無なのだ、という真実です。

結局、ゼロの地点に放り出されてしまうだけです。

自分探しのモラトリアム(猶予期間)を与えられた若者たちは、無理にでも自分自身で立ち位置を選ばないと大人にはなれません
いつかは自ら選択しなければ先に進めないのだと思います。
これが「クリエイト」、人生を創造することだと言えます。

ところで、地上において我々が混乱してしまうのは、この「選択」がいつ行われたかの自覚がないことです。
生きているうちに行動を選択し人生を変えていくことも可能ですが、ほとんどの場合、大枠の計画は生まれる前に決まっています。
この大枠の計画は誰が決めるのか?
これも自分自身です。
神様などいません。 ※人間の運命を定めて押し付ける神様、都合良く地上の願望を満たしてくれる「一般イメージの神様」などいないという意味です

だから不幸なことが起きて神様を怨んでも無駄。
全ては自分で決めたのです。この人生でそれを経験するために。
経験して行動して、その行動により未来を「クリエイト」するために。

生まれる前の自分は完全に公平で、不幸も幸福も地上感覚では分けていませんから、いざ地上に降りて来て「無理」と思うようなことでも平気で選択してしまうのです。
とは言え、それは必要な経験だし、必ず現時点の自分で乗り越えられるようなものを選んでいるはずです。

現実化する思考が生まれるタイミング

この生まれる前の人生設計こそが唯一、「現実化する思考」と言えます。

ですから残念ですが、いくら現世で思考してみたところで、地上感覚におけるエゴや欲が叶うことは滅多にありません。
生まれる前の自分はそのような地上感覚でエゴを満喫することを願っていなかったからです。

もし「思考が現実化した」と主張する有名人がいたとすれば、その人は生まれる前に立てた計画を明確にイメージ出来たというだけのことです。
(大富豪にこの人種が多いように感じられるのは、成功哲学書がインタビューしているのが大富豪だけだからです。彼らはたまたま、今世では大富豪になる計画で生まれてきただけのことです)
生まれる前の計画は、生きている間にイメージしようがしまいが叶います。

それで私は、
「『ナポレオン・ヒル』や『ザ・シークレット』は間違っていないが、不十分」
と言っています。

あのような本が必ずヒットしてベストセラーになるのは、いかに人間の欲が深いかということを表していますね。
地上に降りてくると人間たちは金や名誉ばかり欲しがるように変わってしまう。

誰もが願うだけで大富豪になり有名人となれる。
そんな浅ましい願いを叶える魔法の杖が存在するわけないでしょう?

思い出すべきです。
我々が生まれる前に欲したのは、金や名誉ではなかったことを。

どのような不幸な人生であっても、自ら選択して求めた宝であることを。

本来はポジティブな人生も、ネガティブな人生も存在しないのです。どちらの人生も同じです。

解説 成功哲学書のこと

ポピュラーな成功哲学書について解説。

2007年に流行した『ザ・シークレット』という本はご存知でしょうか?
いわゆる「思考は現実化する」(思い描いた夢は必ず現実となる)と教える成功哲学本です。

ザ・シークレット
ザ・シークレット

成功哲学ではナポレオン・ヒル『思考は現実化する』が最も有名かと思います。
『ザ・シークレット』が出版された当初、私も「“ナポレオン・ヒル”商法がまた出たか」と思って眉をひそめていましたが。ビジネス界で流行していたので、とりあえず一読した記憶があります。

『ザ・シークレット』読後の印象としては、既存の成功哲学の焼き直しで簡略化したものに過ぎないというものでした。それに、ほんのりスピリチュアルの味付けをしたことで、ビジネスマン以外も取り込もうとしている感じでしょうか。

『ザ・シークレット』では
「引き寄せの法則」
というものを説いています。
曰く、「宇宙は同じエネルギーの波動が引き寄せあう」。
故に、「思考さえすれば現実が引き寄せられる」。つまり「願いさえすれば夢は叶う」。
証明として
「世界中の成功者たちは全員、夢を強烈に信じていたから成功したのだ」
と主張しています。
裏付けで成功者たちのインタビューを掲載しています。

一部は宇宙法則として真実です。
しかしこの時点で何か疑問になったことはいでしょうか?

それはこれらの本では正確なデータが示されているわけではない、ということです。

ナポレオンヒルや『ザ・シークレット』著者は全ての成功者にインタビューしたのでしょうか。
いったい何人中、何人が「成功を初めから信じていた」のでしょうか? 本当に100%だったのか?

一例。
たとえば私は前世で、おそらく多くの方から見て「成功者」の部類に分けられるのではないかと思います。私個人は「成功した」とは微塵も思っていないのですが、あくまでも狭い範囲ではあるが「有名となった」という意味において。
では、過去の私は『シークレット』の著者やナポレオンヒルたちが主張するように、幼い頃から
「有名になりたい」
と思っていたか?
そして、「有名になる自分」を強烈にイメージし、「有名になる自分」を心の底から信じていたでしょうか?
――答えは、、です。
過去の私は自分が有名なるなどとは僅かも思っていませんでした。
地味で目立たず生涯を平穏無事に送る、というのが夢でした。夢と言うか、悲願でしたね。
国内で有名となったのは意に反してです。無理やり引きずり出されたという感覚は最後まで捨てきれませんでした。
あれは「運命だったのだ」としか言いようがありません。
(ただし後で分かったことには、過去に自分が選択したことの結果としての運命でしたが)

成功哲学書のウソと誤解

もう少し目覚ましの話を続けます。

お気付きかもしれませんが、『ザ・シークレット』などの成功哲学本は、以下の問いに正確なデータで答えてくれません。

●「人は精神だけで同調して引き寄せられる」と主張するが、現実には外見だけで引き寄せられる人が多いのは何故か?
●「戦争反対」「自然破壊反対」と唱えると戦争や自然破壊が助長されると主張するが、むしろ無関心が戦争や自然破壊を助長させてきた歴史があるのは何故か?
●不幸な出来事を招いてしまった人は、ネガティブなことを思考したからだと主張するが、いったいそれはいつどこで思考したのか? その証拠はあるのか?
●夢が叶わなかった人は、「心からその夢を信じなかったからだ」と主張するが、どのくらいの時間どのくらいの心的エネルギーで信じれば夢が叶うのか? その正確な数量は?
●スポーツなど勝負の場面において、自分と対戦相手が『ザ・シークレット』を読んで戦ったらどうなるのか? (同じ心的エネルギーを用いて勝利を信じたと仮定して)

成功哲学で夢が叶わなかった、なとのクレームをぶつけると、成功哲学書の筆者たちは
「夢が叶わなかったのは君の信じるエネルギーが足りなかったのだ」
などと答えるはずです。

「願いが叶うと言われたから入信したのに、叶わないじゃないか!」
というクレームに対しては
「あなたの祈りの力が足りなかったのです。もっと祈りなさい」
と回答すればいくらでも言い逃れ出来る。
仮にも成功哲学が科学を名乗るなら、データによってその「祈り(信じる心)」のエネルギーを数値化し、「これ以上なら叶います」「これ以下なら叶いません」と示すべきです。
でもその数値化が出来ないということはこれは科学ではなく、宗教に過ぎないのです。

プラス思考で幸福な気分に浸ることは心の健康には良いと思います。
その程度のものとして使うなら最高です。
しかしもし
「プラス思考セミナー」
などというものに大金を注いで通おうとしているなら、今すぐやめたほうが身の為です。

夢は、ただ思い描いて待つだけでは叶いません

それと、ほんの少しネガティブな発想をしたからと言ってすぐに不幸が訪れることもないから安心してください。

確かに日本の「言霊」思想のように言葉が運命に影響することがあります。
しかしそれはすぐにではない。

私の輪廻転生の記憶から申し上げれば、運命とはそれほど単純なものではないのです。

最も重要なのは、行動である

思考は現実化する。このことは真実です。
ただし運命を変えるには、「行動」が必要です。
思考すれば行動がついてきます。この行いこそが大切です。
「行い」だけが運命を選択し、方向転換させ、未来を創造していくのです。

唯一、思考のみで未来を選択できるのは生まれる前だけ。
この時の選択肢も、過去に自分が選択してきた「運命」すなわち実際に自分が何を行ってきたか? で拘束されます。
どんな人生計画を選ぶかも自由だけど、マイナスに転じた運命はプラスで平均を取るようにしなければなりません。
つまり、過去にした「悪事」などを負債と呼ぶなら、この負債を返すべく行動で購わなければならない。
一度の人生でその負債を返すのが難しいなら分割払いでも良いので、必ず返さなければならないものです。

「魂に負債などない。過去のカルマは一瞬でチャラに出来る」
と主張するスピリチュアルジャンル(宗教?)もありますが、私にはその理屈がよく分かりません。
自分の経験上、一瞬でカルマをチャラにする都合の良い方法はないと思います。

※チャラにするに近い方法があるとすれば、魂としての個を解体され、エネルギーを霧散させられることです。それは事実上、魂として処刑されるに等しいものです。最近の安易な宗教が奨めている、怠惰な意味での「色即是空」はこの方法を意味すると思われます。「うちの宗教に入って死ねばすぐ悟れて無に至れる」という言葉は、怠惰な人にとって非常に魅力的に響くらしく、多くの信者を釣ることができるようです(金を払って懺悔すれば救われる、という宗教も流行りましたが)

焦る必要はありません。
もし、「あと10年のうちにカルマをチャラにして階層をジャンプすべき」などと言って焦らせる宗教があったら気を付けてください。

どのような主義主張も、人を焦らせたり脅迫したりするものは間違っています。
誰もが自分自身のペースで、ゆっくり未来創造の旅を歩いて行けば良いのです。

追記

後で知ったのですが、上の引用元『Conversations with God』は、邦題『神との対話』だそうです。気付くのが遅くてスミマセン。

『神との対話』、かつて日本でも流行りましたね。
あの当時は周りに読んでいる人が多かったので私も購入したのですが、読みそびれて時が過ぎ、今も本棚の肥やしとなったままです。笑
『神との対話』を読んだ人によれば
「行動だけが運命を変える」
等、当記事と合致するような内容だったようですが、私は読んだことがないので偶然です。
偶然と言うか、おそらくそれが真理なんでしょう。

→『神との対話』はその後、読みましたが残念ながらインド系東洋思想のコピーという感じでした。詳しい感想
感想は辛口で、ファンの方には申し訳ないです。コピーされている大本のインド思想が素晴らしいことは事実です。

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