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捕鯨問題について(別記事にしました)

『2019年、国際化について考える。個性を認め合う、心のグローバル化を願う』より、記事を分けました。

(真のグローバリズムのためには丁寧な相互理解が必要という話で)……
「お互いの文化を認め合う」の考えから、私は日本の捕鯨文化についても世界の方々に認めてもらうべきではないかと思います。女性虐待などの人権侵害の風習でない限り、他国の文化は認めるべきです。
「〇〇連盟脱退」と聞くと、我々は反射的に戦前の日本帝国の態度を思い出しギョッとしてしまうので、できれば脱退はして欲しくなかったですね。ただ、よく考えれば次元が異なる話と感じます。これはナショナリズム問題と言うよりも食文化の食い違い問題なのでは? 始めは鯨という種の保存が目的だったはずが今は「鯨が可哀想」というだけの非科学的な感情論にすり替えられているのは、確かに疑問です。「鯨は殺すのダメ、牛は下等生物だからいくら殺してもいい」と言うのは牛があまりにも可哀想、種による差別と思います。
これは私が日本に住んでいる故の先入観なのでしょうか? 私はたとえばベジタリアン・ヴィーガンにも懐疑的で、「動物は殺すの可哀想だから肉食はダメ、植物はいくら殺して食べてもいい」という生物に対する差別心を嫌悪する者です(肉ばかり食べていたら生態系が破壊されるという理屈には頷きますが、「植物は殺していい下等な対象なのだ」という差別の発想が受け入れられない)。
さすがに私も人肉を食べる風習を認めるのはあらゆる理由で無理です。しかし我々が他生物からエネルギーを摂取しなければならない宿命にある以上、他生物は植物も含めて同等に眺めるべきと思います。他生物を種で差別することのほうが汚れた発想でしょう。よって、各国の食文化はお互いに認め合うべきです。
それにしても鯨の権利を叫ぶよりも前に、女性虐待の風習や、人身売買・臓器売買などの人間に対する犯罪のほうをどうにかすべき。批判のエネルギーは先に人間へ割いて欲しい。鯨だけに優しく、人間には冷酷な最近の欧米人たちに私は首を傾げています。

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