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※この記事は占星術にも関係するため、三国志館と同時に掲載しておきます


一昨日、翻訳して『諸葛亮伝2 少年期~青年期 』を上げました。ざっと解説を書き、後でまた修正・追記しています。

ここは「テキストを適当に読み流すだけ」などという諸葛亮の性格タイプが正しく表れたエピソードが書かれていて、自分でよく知っていると思い込んでいた箇所。
しかし裴松之(はいしょうし。三国志の注を書いた人)の個人的な考えが綴られた評は、重要ではないと思ったのか記憶に留めていなかったようです。

今回改めてじっくり読み、頭痛を覚えました。


書籍からそのまま引用しておきます。()は筆者による解説です。
……孟公威(諸葛亮の友人)が郷里の家族のことを思い、北上して曹操に仕えようとしたときには、(諸葛亮は)つぎのようにいった。
「中原(曹操のいる中央政府のこと)には人材がいくらでもいる。きみが志を伸ばす場所は、何も中原とかぎったものでもないだろうに」〔魚豢『魏略』〕

諸葛亮の覚悟〔裴松之評〕

『魏略』のこの説はどんなものか。魚豢が、諸葛亮が孟公威のためを思っていったものと理解していたとすればまだよいが、もし自分自身についてもいったものであるというように理解していたとすれば、それは諸葛亮の心理を十分にいい当てているとはいえない。
老子は「人を知る者は智、みずからを知る者は明」(『老子』第三十三章)といっているが、およそ賢者達人といわれるような人は、もともと明と智をあわせ持っているものだ。諸葛亮の鑑識眼をもってすれば、己の実力を判定できないはずがない。そもそも高吟して時節の到来を待っていても、その本心は言葉のはしばしに現れるもので、その志の存するところは、そもそもの始めからすでに決まっているのである。
もし中原で活躍し、その並みはずれた才能を発揮したなら、いったい誰がその光を覆いかくすことができただろう。魏氏に仕官し、その才能を発揮したなら、陳長文(陳グン)・司馬仲達(司馬懿)とて拮抗できるものではなく、まして他の者たちにおいてをやだ。己の理想の実現がかなわなくなることも顧みず、遠大な計略を持ちながらついに魏氏に臣従しようとしなかったのは、権力がすでに人手に渡り、漢皇室が転覆の危機に陥っていたがために、皇族のなかの英雄を補佐し、漢室を滅亡の淵から救い出し、再興することをもって己の任務と覚悟していたからなのである。辺境地帯で安住することをもってよしとするようなけちな考えでいたわけでは決してなく、この論はまさに司馬相如がいった「コン鵬(おおとり)すでに遼廓(おおぞら)に翔き、面して羅はる者なお藪沢を視る」(「難蜀父老」)というものである。

徳間書店『正史三国志英傑伝 蜀書』P132-133より
>もし中原で活躍し、その並みはずれた才能を発揮したなら、いったい誰がその光を覆いかくすことができただろう。

ど、どんだけー。笑

失敬。
「当時の人は、どれだけ諸葛亮を有能だと思っていたのだろう?」という驚愕でつい叫んでしまった。
もっと先入観なしに、諸葛亮を「普通の若者」として見ることはできなかったのかな。あの時代だと無理か……?

ちなみに裴松之とは、Wikipediaによれば西暦372年~451年に生きた人。
多くのマニアは蜀や諸葛亮を賛美する思想を、フィクション『三国演義』(14世紀頃)が作り上げたのだと思い込んでいるが、すでに372年生まれの人がこういう意識を持っていたわけです。
したがって、蜀漢を正統とし、諸葛亮を過剰に天才扱いするイメージは『演義』より遥か昔からだと裏付けられるはず。(もっと現実的なことを言えば、諸葛亮が生きていた当時から)
だからこの人と比べれば、諸葛亮と重なる時代に生きた陳寿がいかに冷静で客観的な歴史家だったか分かるのでは?

私の個人的な気持ちを述べると、今回、これを読んで気分が落ち込みました。
まず他人を過剰に持ち上げる意識に対して、幼少期からのトラウマが反応します。
それから、「出世だけが志」とする価値観が絶望的に自分と合わないので、読んでいて辛い。

そう、思い出しました。
『三国演義』はもちろんのこと、日本や中国の歴史モノを一切私が読めない理由はこの
「絶望的な価値観の違い」
のせいだったと。
(他にも、戦争描写のリアリティのなさや人の命の耐え難い軽さが生理的に無理なのですが)

これら歴史モノを読んでいる間の感覚をたとえるなら、風水にはまっている人々や、「引き寄せスピリチュアル」にはまっている人々など、
「出世だけが成功」
という価値観を持つ人と一対一で延々と語り合わなければならない状況のようなもの。
目を血走らせ、手を上げて
「成功! 成功! 成功を目指せ!」
とがなり立てる成功哲学セミナー講師と二人きり密室に閉じ込められている感じ。地獄の状況です、笑。


裴松之の言いたいことは分からないでもないが……

自分に能力があると感じている若者が、社会構想を打ち立て、世のため人のため出世を目指す。
それは裴松之が言うように素晴らしいことです。
理想を果たすために出世するのは、才能を持って生まれた者の責務と言えるのかもしれません。

――と、他人なら言ってしまいがちですが、本人の視点に立ち気持ちを考えると「責務」を果たすだけの人生を負わせるのは気の毒です。

人間の「志」、人生計画は様々。
出世だけが「志」とは言えません。
だから誰であれ、もっと自由に人生計画を描いていいと私は思います。

大々的に社会へ影響を及ぼすような人生は確かに大変だし苦労を背負うだけ立派ですが、個人として家庭を守ることだって同等に立派です。
個人として平穏に生きて、精神の高みを求めるのも「志」と言えるでしょう。
たとえば隠棲して思想家になりたい、と考えるのも私は立派な「志」と思います。
(諸葛亮は若い頃、そう考えて隠棲したのです。結果としてうっかり道を誤り?、ああなってしまっただけ)

「世界平和は、家庭の平和から」
と言います。
私はこの話を真実と思っています。
皆が一個人として心の平和を持ち、平和な生活を送るなら、その延長で必ず世界平和が実現する。

個人として家庭を守り、平穏に生きようとしている人たちはこのような「志」で生きているわけです。
だから私は真に立派な志を持つこの人々を
「ケチな考え」
とバカにする価値観が大の苦手です。

上から治世する「志」もあれば、下から社会を支える「志」もあります。
上も下も同じ。
どちらも、世のため人のため。
家族を支えることだけでも充分に素晴らしいです。


中国思想について

ところで出世することだけを古代中国では「志」と呼んでいたのでしょうか?
『三国志』関連の書物を眺めていると、まるでこの思想しか存在しなかったようでうんざりしますが。

私のイメージでは、そうではなかった気がします。
現実に『老子』などを読めば、中央で蹴落とし合いをして生きるのではなく、無為であっても高い精神を求め孤独に生きることのほうが遥かに意義のある「志」と定義されていたように思います。
『老子』で分かりづらいなら、『菜根譚』でどうでしょう。
「世界平和は、家庭の平和から」
と同じ思想。(『菜根譚』では、家庭や個人に仏性があると説く)
あれこそ私が好きな、古代中国の思想世界でした。

出世して有名になることだけを「志」と呼ぶ。
ブラック企業どころではない暴虐な独裁者のもと、いつ殺されるか分からない状況下で、独裁者へのおべっかを口にしながら仲間同士では蹴落とし合いをして生きる。
そんな人生のどこに意味があるのか?と私は疑問に思います。

上の記録文では諸葛亮が友人に
「曹操のもとへ行っても意味ないのでは。他に志を果たす場所があるのではないか」
と言ったとされていますが、私でも確実に同じことを言います。
いや現代ならもっとはっきり、強い口調で
「ブラック企業に勤めて無駄死にするな。絶対やめとけ」
と言いますね。
それで嫌われて絶縁されても構わない。
親友が心を失った「生ける屍」のような人生を送ることは、私には耐えられないのです。

本当にブラックならば。昨今のアフィリブロガーのように「全ての企業はブラック、全ての会社員は社畜」と言うわけではない。自分の志に適う務めを探せということ。
この件について書いた記事 『社畜派、ニート擁護者どちら?など 筆者の思想スタンスまとめ』

出世競争に勝つことなどより、心が大事です。
心があるからこそ「志」と言うのです。
心を失った人間に、もはや志などあるはずがありません。

現代日本人にこそ繰り返し強く言いたいのだけど、「滅私奉公」とはパワハラ上司に仕えるためにある言葉ではないのですよ。
滅私奉公の「私」とは私欲のことで、決して「自分の意思(心)」という意味ではない。
だから、出世のために心を棄てて、「生ける屍」となっては絶対に駄目です。
ブラック上司やDV夫に心を奪われ死んだように生きるくらいなら、地位も名誉も安定収入も棄てて田舎に引っ込み、農業で自給自足の暮らしをするほうがよほど正しい「志」を果たす方法です。


自分の才能と、人生計画の答え合わせ

もう一つ。自分の才能についてどう考えるべきか? と、人生計画を人はいつ知るのか? という話を書いておきます。

上の評を読むと裴松之の最大の怒りポイントは、
「若かりし頃の諸葛亮が自分の才能を知らなかったわけがない」
であるように思います。

色々突っ込みどころのある主張です。
まず第一に諸葛亮だけが中華でただ一人才能を持っていたわけではありません。記憶術や速読術、計算術に長けた人なら諸葛亮を遥かに超える人材が中華にはたくさんいたはずです。
また「中原」つまり曹操のもとでは、諸葛亮はほとんど能力を発揮できなかったどころか、仕官した即日に殺されていた気がします。
なにしろ彼は嘘がつけない、おべっかが言えない性分だったので。
サイコパスの家臣として最も求められる能力は、上手に嘘がつけてご機嫌取りができる才能です。むしろそれだけでも良いくらい。

まあそんなIFはともかく。
結果として諸葛亮の人生は、生まれる時に携えてきた人生計画が実現しただけと言えます。

若い頃の彼は全く自分の才能に関心がなかっただろうと思います。
「君はどこまで出世するつもりだ」
と問われ、笑って答えなかったのは、友人らをバカにしていたのではなく本当に出世するつもりなどなかったからです。
「うっかり出世してしまった」(『出師表』
のは生きていた当時の本人としては思いもよらないことだったという意味で、実は運命としてあらかじめ定まっていたものと思います。それは今の私の目で、諸葛亮のネイタルホロスコープを眺めて分かることです。

そもそも人は若い頃に自分の才能や人生計画を正しく把握できるものでしょうか?
人の才能とは結果だけが示すもの。つまり結果も出ていない若い頃から「正しく把握している」と思うならそれは全て誤りと言えます。
現に自分の才能を過大評価して道を誤っている若者は大勢いますね。
逆に、控えめな性格を持つ人であれば自分の才能を決して高く評価しないでしょう。諸葛亮はおそらく、こちらのタイプ。

特殊ケースとして、ナポレオン・ヒルの『成功哲学』には早いうちから自分の人生計画を認識している人たちが出てきます。あの人たちは次元を超えて未来を直接見た記憶が強い特殊なタイプ。
ただ彼らのように認識していなかったとしても運命は実現するものなので、若い人は焦って自分を評価しようとしなくても大丈夫です。

様々な心理テストなどで自分の性格タイプを把握することは役に立ちます。
少なくとも向かないジャンルに行って遠回りする可能性を断つことができるからです。(でも、遠回りだって意外と役に立つので、本当は無理に断つ必要もないのですがね)

大事なのは数値で表された能力テストを過剰に信じ過ぎないこと。
何度も書きますが、人生計画のパターンは無限にあります。
そのために用意された人間の能力は、画一的なテストの枠などに収まるものではないのです。

自分の歩いた道が運命である。
この言葉は真実。

占星術であらかじめ自分の人生計画を知ることはとても役立ちますが、現実に何が起きるかは実際に蓋を開けてみるまで分かりません。

とにかく、「心」こそが「志」です。
心の命令するままに行動してみてください。
(たとえば田舎に隠棲するのもまた積極的な行動の一つです)
その際のポイントは、我がままな私欲に囚われないこと。たとえば「怠けたいからニートで生活保護で生きていきたい」とか、「人を殺して盗んで貪りたい」という考えは私欲です。

私欲は肉体に属するもの、いっぽう心は精神に属します。
心に従うとは、精神に従うということです。
私欲に囚われてしまったときだけ、「道を誤った」と言えます。

そのようにして私欲と心を見極め、正しく「志」を目指していけば、振り返った時にきっとあらかじめ定まっていた人生計画が実現したことを知り驚愕するでしょう。
ネイタルホロスコープの答え合わせができるのはその時です。


補足で、裴松之への感謝の話>>もしも裴松之がいなかったら。細かいエピソードが、どれほど有難いか
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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