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ヨルシカの詞が胸に響き過ぎる

最近の、ボカロ系楽曲の「ネガティブの良さ」を度々称賛しているが。

これは特に、胸に響き過ぎて痛かった。

ヨルシカ『ヒッチコック』

「先生、人生相談です。
この先どうなら楽ですか。
涙が人を強くするなんて全部詭弁でした。
ああ、この先どうでもいいわけなくて、
現実だけがちらついて、
夏が遠くて。

これでも本当にいいんですか。
このまま生きてもいいんですか。
そんなの君にしかわからないよ なんて言われますか。
ただ 夏の匂いに目を瞑りたい いつまでも風に吹かれたい
青空だけが見たいのは我儘ですか。」
「先生、どうでもいいんですよ。
生きているだけで痛いんですよ。
ニーチェもフロイトもこの穴の埋め方は書かないんだ。
ただ、夏の匂いに目を瞑って 雲の高さを指で描こう。
想い出だけが見たいのは我儘ですか。」
>このまま生きてもいいんですか
痛いな。

たった一人で、心の中だけで叫んでいた日々を思い出す。

こんな歌が自分の若い頃にあったら寂しさが少し癒されたかなと思う。今の若い子が本当に羨ましい。
文学の薫りがするのも孤独な背景を感じて共鳴する。

私の若い頃はネガティブなもの全てが「犯罪」扱いされていて、少しでも自分語りの愚痴のような創作があれば、皆で一斉に叩き廃除するという社会だった。
「文学」など最も憎悪され、叩かれ廃除された。
そもそも「読書」が嘲笑の的だった。

平気で嘘をつく人々、それこそ「花の散りぎわにすら値をつける」人々が文学を嘲笑する。
金儲けだけが正義なのだと言って、¥の旗を掲げて暴力をふるう。

だから、一人きりでこっそり文学を読んだよ。
現代には共鳴する本が存在しないから、古い古い文学ばかりを。

涙も心の叫びも、現実には出せず押し殺すしかなかった。
青空の高みが、思い出だけが友だった。


こんな自分でもまさか死を選ばず大人になることができて、今では何故か「先生」と呼ばれることもあり、人生相談を受けるようにもなった。
でもせっかく救いを求めてきた若い人に「こうなりなさい」と具体的な道を示すことができない。
やはり、「君は君なりに生きなさい」としか言えないのは申し訳ないと思う。

きっと突き放すような答えになっているだろう。
冷淡にも思われているだろう。

道を示すことができなくて、本当に申し訳ない。
社会を、世界を救えなくて、本当に申し訳ない。

私はただ今ここに生きているだけの人間。だから自分の生きてきた道を見せるだけで精一杯だ。

報いなんか、求めるな。
ニーチェが答えをくれるわけないだろ。
生きていることは痛い。そんなの当たり前。
涙で強くなることもない。決してない。どれだけ泣いてもまた泣いてしまう。(私だけかもしれないけど、笑)

それでもいいのでは? と今は思っている。

実際、青空や夏や雨の匂い、想い出こそが人生だ。
他の全てのことは非現実な欲望と言える。
たとえば出世だけを「志」と呼ぶ大人のほうが我儘で、汚いのだと私は思う。

私は今でも青空を見つめて生きたいと思っている。

こういう詞に泣いたりして嘲笑される大人として生きていくつもりだ。
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