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「プラハの春」が教えてくれるもの。言葉は魂を守る最後の砦

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先日、テレビ東京が「チェコ、プラハの春」を解説してくれて嬉しかった。
日本ではあまり知られていない歴史だが、とても大切な話だから広く伝えてもらえるとありがたい。

日本において「リベラル」を偽装したK産主義(社会主義)が本当はどのような思想で、どのような暗黒の歴史を持つのか、若い人たちが知るきっかけとなればと願う。
そして支配から魂を守るために「言葉」がどれほど大切なのかということを、少しでも胸に刻んで欲しい。


プラハの春とは?


「プラハの春」とは、社会主義国だったチェコスロヴァキアで1968年に起きた変革運動。

変革を率いたのは40代で党第一書記の座に就いた若きトップ、ドプチェク(ドゥプチェク)だった。
彼はトップの座に就いてからすぐに自由を愛する性質を表し、
「人間の顔をした社会主義」
を目指すことを宣言した。
そして言論・芸術の自由や、K産党に粛清された犠牲者の名誉回復などを『行動綱領』で提起し、世界中の人々を驚かせたのだった。

※「人間の顔をした社会主義」について: 社会主義やK産主義は暴力・独裁支配・階級と不可分。このため本質的に自由と人間性を否定する思想と言える。なので、「人間の顔をした社会主義」という言葉は明らかに矛盾している。しかし、社会主義に支配された国で、血を流さない改革を目指すならばこう標榜するしかなかったのだと思う。そもそも当時は社会主義に侵された国家が民主主義に転向するのは難しく、不可能に近い夢想と思われていた。

恐怖政治に踏みにじられ死んだように生きていたチェコの人々。
チェコは元々芸術の国で豊かな言語表現に溢れていた国だった。しかし暗黒の社会主義が彼らから「言葉」を奪い、人権を奪って踏みにじり、肉体だけではなく心までをも虐殺し続けていたのだ。

その閉ざされた暗黒の世界へ不意に差し込んだ陽光が、ドプチェクだった。
始めは
「どうせドプチェクも今までのK産主義リーダーと同じ。自由を与えた振りをして餌をまき、飛びついた我々を殺すつもりでいるのだろう」
と疑っていた国民たち。
しかし、やがてドプチェクが本気で国民に自由を与えようとしていると気付いた人々はドプチェクを信じ、熱狂した。

久しぶりに扱うことが許された「言葉」で人々が息を吹き返し、人間らしさを取り戻して明るくなっていく様子は感動的だった。まるで冷たい冬を越えて春に開いた花々のように見えた。

この1968年にチェコに吹いた希望の風を称して「プラハの春」という。
以降、独裁国家のもとでの自由を目指す改革を「~の春」と呼ぶ伝統が生まれた。「アラブの春」もその一つ。

当時の様子を人々の息遣いもそのままに描写してくれている小説が、春江一也著『プラハの春』。
春江氏は日本の元外交官で、1968年のプラハを目撃している。その時の体験をもとに書いたのがこの小説。もちろんフィクションだが、当時のチェコ人たちの熱気や表情はノンフィクションよりも正確に感じ取ることができると思う。臨場感を追体験するには記録映像よりも小説は優れている。
特に私が現実の模写らしいと感じたのは、学生たちとのやり取り。
ソ連軍侵攻に抗議して焼身自殺したヤン・パラフその人と交流があったわけではないだろうが、第二第三のヤンと言える学生たちと会話した場面は現実にあったのだろう。

『プラハの春』当ブログでのレビューはこちら


プラハの春から学ぶこと


チェコの人々は国家権力によって表現を封じられても、心の奥底で言葉を守り続けた。
長らく虐げられた人々は、言葉こそが魂を守る最後の砦だと知っていたのだと思う。

言葉は心。
魂そのもの。

オーウェル『1984年』ではまず、国家が言葉の定義を変えることから魂の支配を始める。
全ての単語の意味を全く新しいものにすげ変えてしまう、「ニュースピーク」という言語を作ることによって国家が人々の魂を封じ込める。
この話からも分かる通り、言葉を奪われたら人は魂を封じられ、肉体を権力に明け渡し、完全なる奴隷として死体のように生きなければならない。
現実に社会主義国は常にそのようなことを行ってきたし、今も隣の大国は「自由」「公正」「法治」等々というニュースピークを作成し続けている。
彼らはどういうわけか、自分たちと対極にある者の中身を自分たちに似せて作り変えようとする。

追記 ここで何度も書いている通り、ネットライターたちが諸葛亮を「自分たちと同じ悪い独裁者」に作り変えるために歴史捏造しているのもこれと全く同じ。言葉や象徴を利用するために自分たちが変わるのではなく、対象のイメージを作り変えて自分たちへ近付ける。そのようにして自分たちの悪事を正当化する。K産主義者の典型的な犯罪手法なので、彼らのやり口をよく観察して学んで欲しい)

だから、本来の言葉を失ってはならない。
偽物の「リベラル」に騙されてはならない。
言葉は単なる記号ではなく感情と連動し、真実を映し出した「魂の反映」でなければならないのだ。

言葉が心と連動することをやめたなら、魂が去ってしまう。
それは人として生きるのをやめることを意味する。
死ぬのと全く同じこと、肉だけが動いている状態、つまり「殭屍(キョンシー)」だ。

言葉を失うな。
語ることを諦めるな。
言葉こそが魂を失わないための最後の砦だ。

軍事ファシズムであれ、K産主義であれ、空虚な権力の奴隷となっては絶対にいけない。
奴隷となって殺戮マシーンとならないために、人間としての本当の言葉を守り続けなければならない。

そのためにプラハの春は模範となり勇気となるだろう。
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