我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。小説裏話、前世+占星術
 メニュー・新着

-

タイム・イズ・マネー追記。個人が地上で持ち得る財産は「経験」のみ

tikyu.gif

昨日書いた、「時間が大切」という言葉についてもう少し詳しく話をします。

時間の有効性


ここで言う「大切な時間」とは単純に時そのもののことではなくて、時間を何に使うか・どれだけ味わうかという「有効性」の話。
「時間の有効性」と言うと、たいていの人が
「一秒でいくら稼げるか? たとえばビル・ゲイツは7280円……」
という話に終始する。
とにかく金に換算できることだけが価値だと考えているわけだ。

多くの人は目に見える物だけを「価値」と考えている。
このため、金・物・地位などだけに価値があると思い込んでいて、目に見えないものは一切無視する。
だから金のために全ての人生の時間を注ぎ込んでも平気でいられる。

そうではなく、本当の価値は「目に見えないもの」のほうにある。

「目に見えないもの」、つまり経験(味わうこと)。


人生の目的とは何か


人生の目的とは何か?

人それぞれ人生計画は違うが、強いて全てをまとめて言うなら「人生の目的は、経験すること」だ。

スピリチュアル等を信じる人には、「魂は経験するために地上に生まれてくる。どんな経験であってもいい(ただし金儲けなどの手段に溺れることはここで言う経験に入らない)」という真相をお伝えできる。

「スピリチュアルなんてバカが信じるものだから自分は信じない。自分は皆より頭いいから!」と自慢する人たちには、あえて死後世界を信じろなどと言わないが、
たった一度の人生なら、なおさらその場その場を味わうことだけが大切じゃないか?
と言いたくなる。
人生、たった一度しかないと心から信じているわりに、金を貪ることだけに全ての時間を注ぎ込み死んでいく人々がいるのは不思議だ。
一度しかない時間を金儲けだけに割くのは、もったいないとは思わないのだろうか。思えないとしたらやはり相当のバカであることを証明しているが。

繰り返す、人生の目的は「経験すること」だ。味わうこと。

家族と温かな一日を過ごすこと。
汗水垂らして仕事をすること。(追記 体の動かない人の頭脳仕事も「汗水垂らす」に該当する)
仕事の後に一杯のコーヒーを飲んでホッとすること。等々……
何よりかけがえのない経験は、他の人々と過ごした時間だ。
語り合い、愛情を交わし合い、伴に過ごした時間の思い出。
それらは死んでからもきっと思い出として輝き続ける。
たとえ魂がなく一度で人生が終わるのだとしても、その経験を味わった瞬間はかけがえのないもので、経験した幸福感は金で買えるものではない。

人生の時間は全てこういう「経験」をするためにある。

金はこの経験をするための「時間」を保つ道具に過ぎない。
地上で自分が乗っている生体を維持する、「地球フィールドにログインを続ける」ためのツール。

だから、生体を維持するため(+ささやかに余暇を楽しむため)に必要な最低限の金さえあれば充分と言える。

ところがそれ以上に金が欲しくなって、人生の時間を全て売り払い、家族も友も目的もない「無」の人生で金だけ得ようとする人々が多い。
金を貪ることが目的となって人生そのものを忘れてしまうわけだ。

ロールプレイングゲームにログインしているのにその世界の金貨を稼ぐことだけが目的になってしまい、一つの地点に留まりゲーム世界を味わうことを忘れてしまう人がいたら、
「何やってんのコイツ?」
「なんでログインしたの?」
と思うだろう。
それと同じくらいの本末転倒な行動。
(実際、RPGは歩いて経験しなければ金貨が得られないシステムだからそうはならないだろうけど。RPGはよくできている。現実もそうであれば分かりやすいのにな)


「金で世界を支配したい」、へえ。……で?


人生の全ての時間を金を稼ぐことだけに割いている人々は、もしかしたら
「金があれば世界を支配できる。力が得られる。全ては俺様(笑)の思う通りになる」
と信じているのかもしれない。
金を稼ぐことではなく世界を支配することが目的なのかも。

なるほど現実に金で世界を支配している人々は存在する。
そんな立場の人になるために生まれてくる人生計画もあるだろう。
そういう運命を持つ人なら納得する。

だけど普通の人は、まずその立場になれない。計画のない人に運命の実現はないからだ。

いくら投機で資産を増やそうとしても、普通の人は世界を支配するレベルに達する遥か以前に人生の時間が尽きてしまうだろう。

仮に「引き寄せスピリチュアル」とやらの魔法を使って人生計画を変更し、世界を支配できたとする。――え、で? 
だから? どうするの? その先は?

たとえ自分の欲望を実現できるような世界が実現したとしても、どうせあなたは死んでしまうのだ。
100%間違いなく死ぬ。科学技術が進んで機械の体を得ても、いつかその機械も朽ちて無くなる。
物質に永遠はない。

死ねば金も地上の権力も、全て無に帰す。
だとしたら、地上を支配したことにいったい何の意味があるのか。

子孫に財産や権力を遺したことに意味がある?
死んだあなたにそんなことは関係がない。呆れるほど、ない。
もし、生まれ変わりがあるとしても、未来の人生で過去の子孫へ話しかけることさえ不可能だ。

つまり人間が地上に残せる固有の財産は一切ないと言える。思い出以外には。


結論


自身が味わう経験、その思い出以外に、個人が持ち得るものは一切ないということ。
だから有効に使う「時間」こそが最も大切で、「経験だけが財産」なのだと言える。

 このことをもっとシンプルに説明した言葉。余命宣告されたある若い女性の訴えが真実:
 『残り時間を数えて焦らなくていい。つまらない日常こそ、楽しもう』

 他、筆者の基本思想
■社畜派、ニート擁護者どちら?など 筆者の思想スタンスまとめ
関連記事


My profile

Author : 吉野 圭

プロフィール・お奨め記事

note(占星術館×我ここ 抜粋)

小説へいただいたご感想

【お願い】
当ブログの記事を気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)

記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

検索フォーム

Translate,翻譯

過去ログ v Co リバース

管理者 別サイト

現在位置

トップ > ~について(基本的な考え方) > タイム・イズ・マネー追記。個人が地上で持ち得る財産は「経験」のみ

このブログはPG12です。→保護者の方へ

メモ帳

【別窓で開く】