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ブログ更新が滞って申し訳ないです。近親者が急逝したため長文が書けなかったものです。

(中国では旧暦正月ですから、中国在住の方へうっかり「明けましておめでとう」などと言ってしまいました。無礼をお許しください)

こんなプライベートなことを書くべきではないと思って控えていたのですが、その人の亡くなり方があまりに見事で広くお伝えしたくなりました。

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病院嫌いの義父、癌なのに一切治療を受けず自宅で逝く

亡くなったのは義理の父です。

「義父」という表現をすると一般的には結婚相手(配偶者)の父親を連想するようですが、今ここに書いているのは実母の再婚相手のことです。
(前に亡くなったのは配偶者の親。養父も「義父」という表現をしますし、日本語は難しいですね)

五年前、呼吸困難となり救急に運ばれて危篤となり、「手術中の自分の体を天井近くに浮かび上がって眺めていた」という臨死体験を語ってくれた人です。→死の後、数日間の話にて
あのときは生還しましたが今回は旅立ってしまいました。

半年前から食が細くなり急激に痩せはじめ、誰の目にも長くないのではと思えるほど体が衰えていったのですが、私たちが
「大きな病院で検査しろ」
と言っても病院嫌いの彼は聴く耳を持たず。
重い腰を上げて検査したのはようやく先月のことでした。

それで全身検査の結果、癌が発見され、既に三か所へ転移していることが分かりました。
医師もまだ全貌が見えていなかったようで明確な告知はされなかったのですが、末期ではあったのでしょう。

7日から入院の予定だったのですが、その直前に急逝してしまったものです。
最後の日の数時間前まで意識がはっきりしており、家族と会話もでき、自宅のベッドで眠るように亡くなったことは幸せだったろうと思います。

その日、義父にしてはめずらしく「プリンが食べたい」とリクエストして、母がコージーコーナーでプリンを買って来ました。
少し食べた後、
「ちょっと寝る」
と言って寝室へ。
数時間後、彼が息をしていないことに気付いた母が救急車を呼びました。
私は仕事中に「彼が死んじゃった」との狼狽した母の電話を受けて駆け付けたのですが、あまりにも急なことに信じられませんでした。その前日には会って会話していたからです。声は弱かったものの、目には意思の輝きがあって普段通りの彼でした。
弟も当日の昼に電話したとき彼の元気な声を聴いています。だから弟に電話で知らせた時、やはり信じられなかったらしく数秒黙った後、「嘘でしょ?」と言っていました。

自宅へ帰って来た義父は、体は冷たくなっていたもののやはり眠っているかのようでした。
ベッドに寝ているといつ起きてもおかしくないと思ってしまう。つい、亡くなっていることを忘れてしまいそうなほど、死が非現実的に思えます。


究極の、「我がままではない人」の亡くなり方

義父が急逝したのは思うに、入院したくなかったからかもしれません。

「入院が嫌だったから死んじゃったのかもよ?」
などと私が言うと、「あの人らしい」と言って義父を知る人たちは笑います。
しかしこれは冗談。
本当は自分の我がままで病院から逃げたわけではなく、家族のために逝ってしまったのではないかと感じます。
おそらく、お金のことや看病で家族に迷惑をかけることが嫌だったのではないかと。

とにかく我がままを言わない人でした。
長年ずっと他人に親切ばかりしていましたが、自分自身は誰かの手をわずらわせることを厭いました。
具合が悪くて歩くことさえままならなかったのに、診察のために病院へ車で送ってもらうことも断っていたという徹底ぶりでした。

癌だったのだから相当に痛かったはずだし、苦しかったはず。
しかしその苦しみを訴えることもありませんでした。
「大丈夫」が口癖。
亡くなる前日でさえ、電話した弟に「大丈夫だよ!」と叫んだというのだから驚いてしまいます。

その「迷惑をかけたくない」という気持ちが死さえもコントロールし、入院する直前に逝ってしまったのだと私は悟り、感動して震えました。

行き過ぎた強がりは、家族としては寂しいものがあります。
もう少し助けを求めて欲しかった。手助けしたかった。
しかしこれは彼なりの生き方の美学を貫いた結果だろうと思うので、責める気持ちはありません。

他人第一、自分は後。
我がままを言わない。迷惑をかけない。

そんなポリシーを徹底した美しい去り方に、感動を覚えるとともに深い尊敬の念を抱かずにいられませんでした。
このように稀有な魂を持つ人と縁を持てた自分は幸せ者だと思います。
心から、「ありがとう」と言いたいです。


死にざまは人柄を映し出す

昔から言われていることに、
「死にざまに人生が反映される」
というものがあります。
悪いことをした人に「お前は、ろくな死に方をしないよ!」という言葉を投げるのは、この考えから来ています。
反対に善人は安楽に死ぬものだと考えられているわけです。

現実には必ずしもそうとは言えず、善人が虐待・拷問に遭うなどして悲惨な死に方をすることはよくあることです。むしろそのほうが多いかもしれない。
いっぽう犯罪者がのうのうと生きて楽な死に方をすることも多く、その理不尽さに怒る人もいるでしょう。

実は立派な人は自ら苦しみを選択する傾向があります。
反対に我がままな人は苦しみを避けるので、安楽に生きて安楽に死ぬことが多いと言えます。
だから、悲惨な死に方をした善人に「裏では悪いことをしていたのかも」と思うのは間違っています。それに差別的でもあります。

ただこのたび、義父の美しい死を目の当りにして思い知りました。
「死に方(死因)」に人柄は関係ないが、「死にざま」は確かに人柄を反映するのだと。

我がままではない人は、できるだけ他人に負担をかけまいとするので、ぎりぎりまで苦痛を我慢して急逝してしまう。こういう人が早死にの傾向があるのも、ストレスを自分だけで何とかしようとするから。理屈でも当然だと思います。
いっぽうの我がままな人は、たいした病気ではなくてもグズグズと苦痛を訴え、長いこと他人に迷惑ばかりかけて死んでいく傾向があるように思います。

「憎まれっ子、世にはばかる」(=善い人は早く去ってしまう)
ということわざは、この意味で真実なのだなと実感しました。
昔の人は現実を眺めて的確に真実を述べていたようです。


死に際の美しさと、死後

死に方によって死後どのような次元へ行くのか、スピリチュアル的なことは私には分かりません。

ただ自分の体験を述べるなら、我がままではない生き方をしたほうが死後も幸福な心地でいられると思います。

義父のように美しい死に方をした人が、あの清々しい青空の世界へ旅立つことは間違いないでしょう。

(こう信じたいだけかもしれませんが。今の義父が幸福な次元にいることを私は強く信じています)
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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