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スピリチュアルで死の悼(いた)みは癒せるのか? 死後世界を確信することの効能

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ここのところ近親者が世を去ったことについて書いていたので、ご心配をかけてしまったかもしれません。
温かいメールをいただいています、ありがとうございます。

ようやく手続きも落ち着いてきて、今週末は休みが取れそうです。
ゆっくり寝ますのでどうかご心配なさらず。


前世記憶があることのメリット・デメリット


皆様ご心配の心理面について。

今のところまだ自分にとって少し距離のある親世代を失くしただけなので、私のダメージはさほど深くないのです。

しかし
『人が世を去ることのダメージ。と、取り残される私の宿命について』
で書いた通り、年上世代が次々去って取り残された前世と重ねてしまい、無意識に落ち込んでいるとは言えるかもしれません。

どうしても先のことを想像してしまうのも私の悪い癖。
母の寂しそうな様子を見るたび、自分がパートナーを失ったときのことを考えてしまいます。
隣で笑っている人を眺め、
「この人が目を開けなくなったらどうしよう」
と想像するのは恐怖です。

誰であれ大切な人を失ったときのことを想像してあれこれ気に病むものですが、私の場合は前回の具体的な記憶があるからなおさら恐怖を感じてしまうのかもしれません。

それを想えば前世記憶があることは良いのか悪いのか分かりませんね。笑

と言うのは冗談で。
記憶がなければ無意識の恐怖はもっと絶大で、翻弄されてパニックを起こしていたはずだから、これでも救われているのだろうなと思います。

不謹慎ながら「前世記憶があることのメリット・デメリット」を述べれば

●メリット…

具体的な記憶を思い出すことで無意識の恐怖に囚われず、心の破壊や身の破滅から救われる

●デメリット…

無意識下でぼんやりしていた記憶が具体化され、先も想像しやすい

というわけで、表裏一体です。
傷は見ても見なくても痛い、ということ。
だけど傷を直視したほうが対処できるので、破滅からは救われます。
たぶん、私のように爆弾を抱えている人間は無意識に翻弄されると破滅が避けられないので、「傷を見て痛がる」ほうがマシだったのだと思います。


スピリチュアルで地上の問題を消すのは難しい


宗教はもともと、「大切な人を失った悼み」と「死の恐怖」から地上の人々を救うため生まれたのでしょう。
日本の葬式でお坊さんがお経を読むのも、遺族を癒すためのシステムと言えます。
そのようなシステムで心を慰めることは悪くないと私は思っています。

だからと言って宗教に依存しても決して救われることはないので勘違いはなさらないように。
教団から与えられ、理解も確信もなく鵜呑みにした教義は感覚を麻痺させるだけです。麻酔のようなもので一瞬だけ痛みを感じなくなっているだけのこと。

よく、大切な人を失って落ち込んでいる人へ宗教団体の信者が近付いてきて
「私の宗教に入りなさい。苦しみが解消して救われますよ」
と耳元で囁いたりしますね。
あれほど腹立たしい行為はありません。哀しみで弱っている人を引きずり込み、金や人生を奪おうとするとは最低の犯罪です。
宗教にはまり思考停止してしまった人は、きっと自分の感覚が麻痺しているので他人の痛みも分からなくなるのでしょう。哀しみに暮れる相手さえ「鴨」「餌食」にしか見えなくなってしまう感覚麻痺は、不幸だなと思います。

スピリチュアルも一部のジャンルでは、同じような感覚麻痺を起こすのでしょうか。
たとえば引き寄せや浄化などの即効性を売りとするスピリチュアルジャンルがその典型。
信者たちが口にする、
「死なんて幻想に過ぎない」
「哀しみに囚われているあなたはバカ!」
と遺族を嘲笑する言葉は暴力です。
このようなことを言う人々は何も理解せずに教義を鵜呑みにしているだけなので、思考停止しているカルト宗教の信者と同じと言えます。

地上は地上。
あの世はあの世。
究極の真実として地上も死後世界も一つですが、境界があって行き来できない(肉体次元と死後世界の次元が異なる)のが現実です。

スピリチュアルの知識があり死後世界を確信していたとしても、地上の現実を即解消するのは困難と思います。
「今・この瞬間の苦しみ」
を今ここにない事実で消すことは難しい。

たとえば大切な人を失った人の苦しみを即効で消すには、死者を蘇らせる以外に手段がありません。哀しむ人は今すぐ再び故人に会いたいだけだからです。
そんな強烈な願いをスピリチュアルで叶えることはできないでしょう。
もし「死者に会わせてやる」「永遠の肉体を与えてやる」と囁く団体や機器、セミナーがあるとすれば、ろくなものではないはず。そのように低俗な団体へは近付かないことです。

スピリチュアルにできることは死後世界への確信を持たせることで
「いずれ再び死者と会える」
と理解させること、理解による悼みの緩和をもたらすくらいです。
穏やかな作用なので即効性を期待すべきではないでしょう。

「寂しい」
「生活ができなくなる」
といった、遺族に襲いかかる地上の現実という困難にはなおさらスピリチュアルは立ち向かえない

地上の戦いに挑むには、ここ地上に限定される知識と思考が絶対必要です。
死後世界だけ見て、「遺される人の現実なんかどうでもいい」などと甘いことを考えてはなりません。

スピリチュアルしか知識のない人は地上の現実をおろそかにしがちです。
いつだったか、ひろさちや氏という宗教エッセイストが
「遺言書なんか要らない。遺された人に無用な混乱を押し付けるだけだから、遺言書を書いてはいけない」
などと主張する本を出版していて、私は怒りを覚えました。
遺言書は間違いなく遺された人の生活を救います。あると無いとでは、遺された人の生活は天国と地獄です。
(自分だけの思い込みで書いた遺言書が争いを招くというのは事実ですが、正式なものなら間違いなく救いとなります)

地上の戦いには専門家が必要です。
終活の時期に近付いている大人の皆さんは、ぜひ専門家へ相談してください。
――なんだか法律事務所の宣伝文みたいになってしまいましたが(笑)、これは営利目的なく述べる事実です。

スピリチュアルで死の悼(いた)みは癒せるのか?


上に書いた通りスピリチュアルには地上の現実を即効で救う力がないことは確かです。

ただ、死は終わりではない・いずれ死者と再会できると確信することは、人の心を救います。
穏やかな作用ではありますが、穏やかだからこそ絶大に強い救いとなります。

大切な人を失ってすぐにスピリチュアルを理解するのは難しいと思います。
しかし、やがて落ち着いたときに死後世界を意識させるこの仄かな思想に触れたなら、喪失感も絶望もゆっくりと癒されていくのではないでしょうか。

だから、スピリチュアルの知識がある人も、いざ死に直面したときに苦しみを感じてしまう自分を責めないでください。
苦しみを否定する必要はないのです。
愛しい人を失って哀しむのは仕方ないことと自分に許してください。哀しみは地上の現実。幻でも何でもありません。

いわば「死後世界」の概念はキーボードのホームポジションのようなもの。※
ホームポジションがあるというだけで人はいずれ落ち着きを取り戻し、迷わず歩いて行くことができます。
大切な人を失って哀しみに暮れても、死後世界を確信しているなら心はいずれホームポジションへ戻ります。だから早く悼みから解放されようと焦る必要さえなく、安心していていいと言えます。

※スマホしか経験のない世代の方へ:「ホームポジション」とはパソコンのキーボードをブラインドタッチで打つ時に置く指の位置です。常にここへ指を戻せば、キーボードを見る必要さえなく迷わずに打つことができます。

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