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遅くなりましたがメールの返信です。

B様より。
体調のほうはいかがですか。お疲れのこととおもいますので、ご無理をなさいませんように。
おとうさまのご冥福をお祈りいたします。今おいでの場所、これからおでかけの場所が幸多いところでありますように。
ありがとうございます。義父にはきっとたくさんの冥福があるだろうと信じています。そのせいか不思議とまだ哀しみを感じていません。
私の体調についてもお気遣いありがとうございます。この週末は、存分に好きなことだけをしようと決めました。ようやくゆっくりとメールに向き合うことができています。

吉野様のおっしゃるように虐待の言葉を失うような事件が続いていますね。記事を読んで、小学生の頃に先生から尊属殺重罰規定の違憲判決が出た話をきいたのをおもいだしました。
ああ……本当に児童虐待のニュースは辛いです。「虐待」というより「拷問殺害」です。凶悪なテロリストでも子供にあのような拷問をしないでしょう。
話の一つ一つに怒りと吐き気がこみ上げ、辛い。傷害致死で起訴されていることも許し難いです。確実に有罪とするためなのでしょうが、まだ「子供は親の所有物、器物だから、何をやっても許される」という日本の伝統が影響しているのではないかと勘繰ってしまいます。

>尊属殺重罰規定の違憲判決
戦後長いことあの悪法が存在したことが信じられませんね。
長きにわたる儒教の悪用が、20世紀近代の日本に存在していたことを悲しく思います。
(東洋の欠陥、儒教の脆弱性についてはいずれまた記事で書きます)
その後、尊属殺人罪は死文化されたとはいえ、1995年の刑法改正まで削除されなかったのですね。法律からは削除されても頭のなかから「尊属」の文字を消すことができず、受容していたなどとわけのわからない説明にはしってしまうのでは、とおもいました。ひとの業の深さを思い知らされます。
仰る通りです。
法律はシステム的なプログラム文ですが、儒教は思想なので、なかなか人の頭から消えません。

あの異常な判決文を書いた裁判官はおそらく個人の資質として問題があるのだと思いますが、あのような判決文を許しているのもまた東洋思想の欠陥によります。
現実を言えば、いまだ日本の民法で親権はとても強いのです。
昨今の児童虐待増加を受け、法改正されて親権停止が可能となりましたが、それでも緊急を要する虐待には不充分です。このため児相(児童相談所)の対応が難しくなっています。
言わば児相は、法で手足を縛られた状態で活動しているようなもの。

いつも対応が遅い児相ばかりが責められますが、その前に日本の法律を根底から刷新せねばならないでしょう。今の法律で児相だけに委ねるのは不可能です。

何より法の古さに問題があります。
日本はこれ以上、儒教の悪用に縛られていてはならないのです。
義というものが民間に浸透している時代であれば、儒教が強くても「弱者虐待」をした者は責められ社会から抹殺されます。しかし、現代日本では義を理解する人が少ないので儒教の悪用ばかりが進みます。これではサイコパス天国です。子供や女性が殺され続けます。

もしかしたら私が関わり合っている諸葛亮も、儒教の悪用に利用された一人なのかもしれません。そう思うとたまらなく辛い。
だからこそこれからも反虐待を叫ぶことと、儒教の欠陥について語り続ける義務があるのだと思っています。
このような小難しい話は嫌われるのですが……。

>>続きの返信、記事を分けます。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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