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前記事で鏡リュウジ氏の推進する「心理占星学」について少しケチをつけてしまったみたいなのでフォローしておくと、『占いはなぜ当たるのですか』という本は私の心に長く残る名著です。

理由は、鏡氏が「自殺者の運命だけはホロスコープで読むことは出来ない」と述べていること。
この断言を読んだ当時は本当に衝撃を受け、以降上の本は私のバイブルとなりました。

――“自殺者の運命だけはホロスコープに刻まれていない”
これは正確には鏡氏の個人としての断言ではなく海外の研究データです。
科学的に統計を取った結果であるということがまた衝撃でした。

つまり、自殺だけは人間の運命として予定されていないということになります。

事件・事故・病気、あらゆる苦悩の可能性(あくまで可能性)はホロスコープに表れる。
しかしそこから逃げる自殺という可能性だけは不思議と一切表れない。

何故か。
それは人の魂が、苦悩を受けることすら予め自分自身で計画して生まれてきているから、だろうと私は思います。
人はこの地上で苦しみを受けて、それを自らの魂を磨く研磨剤とすることを選択する。

しかし現実には生きていることが嫌になり自殺する人がいます。
(私も何度かその選択を選びかけたことがあります)
この事実は、人間が生まれて以降に「計画変更」する選択の自由が完全に与えられていることの証明になると思います。

やはり、人に「神から与えられた運命」などないのですよ。
全ては自分自身で選択可能なんです。

ただし生まれる前に自ら予定していた運命(カリキュラム)を変更することは自分の望むところではないはずなので、よほどの意志力がなければ変えられませんがね。また、地上レベルの浅知恵で変更したところで、大きな視点から見れば必ず不都合は生じますが。

まして、全てを放り出して自殺することは最も自分としては本意ではないことなのだろうと思います。

「罪」などというものは魂にないので、自殺したからと言って罰してくれる神様などいません。
しかしその行為が自分にとってマイナスのことであるとは言えます。
もう一度苦しいカリキュラムを繰り返すだけであるし、もしかしたらさらなる負債を負ってもっと苦しくなるかもしれない。
自分自身が後で辛くなるだけだから、やめておいたほうがいいのではないでしょうか。

スピリチュアル的な経験を経た私が断言しますが、占いは決して運命(神)VS自分自身の二元論で引き裂かれる矛盾したツールではありません。

予定は未定、神イコール自分なのです。

全ては自己責任の世界。

人を殺せば、いつかの来世で自分自身が殺される。
人を虐げれば、いつかの来世で自分自身が虐げられる。
自殺をすれば気が遠くなるほど何度も同じ人生が繰り返される。
(あるいは転生の機会が与えられない地獄の底へ落ちていく)

これほど冷徹で数学的な原理はないと思います。
この原理を「神」と呼ぶのだとしたら、人は数学的システムを畏れるべきです。
私はただただこの冷徹なシステムを恐ろしいと思いながら過ごしています。


魂は、孤独です。
助けてくれる先輩の魂たち、温かな心を注いでくれる仲間の魂たちは山ほどいますが、本当のところは自分一人で気付いて歩いて行かねばならない。
その意味で、我々は真に孤独なのだということに気付かなければ、永久にこの輪廻の輪から脱け出せないのでしょう。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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