ちょっと独白風メモ。10:29追記
日ごろ私は「バランス、バランス」とうるさく言っているけど、自分自身の人生は極端だな。
前世は極端に活動的だし、今世もその正反対で極端に静穏(底辺とも言う)。
激しく揺れる振り子のような二つの人生だった。
ただネイタルのホロスコープを見ると、前(仮)と今、どちらも左右上下ばらけていて「バランス」が取れている。
これだけのバランスで特殊な形状を成しているのはわりと少数で、だからこそ現実の私の人生に表れる事象も特殊となり、極端に見えてしまうのかもしれない。
どうしてこのような運命を持つに至ったのかと言うと、何度も書いているように「経験値」のせい。
自分が「凄い経験あるぞ、だから凄い人間なんだぞ!」などと言いたいわけではなくて、単に老いているだけ。※
誰でもいずれ老いて、アスペクトの傷跡を多く持つようになる。肉体も老いたなら顔に皺が多く刻まれるように。
たぶん『永遠の雨』を読まれる方は少ないと思うのでここにも書いておくと、私の転生物語は虐待を受ける人生で始まった。
その後も身体的な虐待や、精神的な虐待を受け。
孤独で報われない人生がほとんどだった。
それらの苦痛が魂を磨いてくれたのだと思っている。
(そう言えば、不自然な宗教的修行をしたことは一度もなかった。全て人生をそのまま生きただけだ)
苦痛の人生はきっと自分で望んだもの。
「犯罪の被害者となった人は過去世で悪いことをした罪人だ」
と言うのは、一部そういうこともあるかもしれないけど全てではない。
最初から被害者の側で生まれ、最後まで苦労を背負いたいと望む魂もある。(早く成長するために)
だから被害者を「前世で悪いことをしたに違いない」などと言って差別してはならない、とはそういうこと。
【この記事だけ読んでいる方のために解説】
“カルマ”とは単に行いの意味で、多くの人が勘違いしているような「罪」だけの意味を持たない。
実際、度重なる悪行や怠慢の結果、課題をたくさん残している魂もいる。そういう魂は早く負債を解消するためにハードな運命を負う場合がある。こういう人の場合は確かに、カルマを「罪」とネガティブな呼び方をしても妥当になるだろう。
そうではなく、罪などは無いのだが、魂のヤル気が高いために自らハードな運命を選ぶ場合もある。この場合“カルマ”は、その課題をこなすだけの経験があるという「スキル」の意味で解釈するのが妥当。
“カルマ”には悪い意味も、良い意味も含むということだ。つまり過去の成績累計と言えば正確か。
※追記 「老いている」と言っても、ここで書いたのは地上の意味であって、魂全体の年齢で考えれば私はまだ青年(成年)期くらい。地上レベルでも全然まったく一ミリも賢人レベルに達していない。私がここでこう書いているのを見て、高次霊の先輩方は「ヒヨッ子が、何を偉そうに」と笑っていると思う。ただホロスコープを見れば、地上での学習は終えつつあるのかなと思えるだけだ。
アスペクトは経験値を表すという話、関連記事
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