-
・translate 翻譯
タンブラー「世俗の話」より転載です)

この記事を読んでの感想。
⇒「オバマ2.0」の誕生か? 彼の名はベト・オルーク
11月の中間選挙で「台風の目」になりそうな民主党候補、ベト・オルークに全米が大大大注目している。テキサス州の上院議員を目指すエースの抗えない魅力とは──。/それは、有権者からの質問への回答だった。ナショナル・フットボールリーグ(NFL)の国歌斉唱の際、起立せず片膝をついて抗議している選手たちの行為は「国や退役軍人に対する冒とくではないか」と問われたオルークの答えはシンプルだった。
「ノー。私はそれを冒とくだとは思わない」
そしてオルークは、黒人の公民権運動の歴史を語りはじめる。選挙権を求めたセルマの大行進、バスで白人に席を譲るのを拒んだローザ・パークス、黒人客に料理を出さないグリーンズボロの店で座り込みを続けた学生たち……非暴力で抗議の声を上げ、殴られ拘束されても闘いをやめなかった人々を引き合いに出して、オルークは言う。
「私たちの自由は、軍人だけが払った犠牲によって得られたものではない。そこには命がけで(人種差別と)闘った彼らの犠牲もある」……

「オバマの再来」と言われている人。
「再来」とは普通、死んだ人に対して生まれ変わりの意味で使うのではないかなーと思って笑う。

まあ確かにオバマさんは大統領として戻っては来られない人なので、「再来」と呼ぶのが正しいのかもしれないが。

しかし、このベトさん。
オバマさんが人気である理由の、最も単純化された台詞を抽出して演じているように感じるところもなきにしもあらず。
そういう単純化したキャラクターは「再来」には決してなり得ないと思うのだ。
何故なら、人間とはもっと複雑なもの。
(私もそうだけど)オバマさんも見えているキャラクターだけではなくて、色々と複雑な想いを抱えていたはずだと思うんだ。

人格は唯一無二。思想も。
誰であろうと、他人がその複雑な人格や思想を演じるのは不可能

単純化されたキャラクターを演じる人の何が怖いかと言うと、権力を得た瞬間に人格が変わって別物になってしまうこと。
それは「権力で人格が変化した」のではなく、単に仮面キャラを演じていて化けの皮が剥がれただけなのだ。

人格とは脳が病気に侵されない限り生来一貫したものである。変わってしまう人はどこかに演技があったというだけのことだ。

だからこのベトさんが、「オバマさんの再来」などと呼ばれて大統領になることには危険を感じる。

ベトさんは、ベトさんでなければならない。自分の言葉で語らない者など信頼できない。


※2019/3/23追記時 その後、結果としてこの人は浮上してこなかったけど、彼だけに関わらず全ての人について言えることなのでここに転載しておきます。
関連記事

吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com

 カウントは2014年頃から、お休み期間もあり