我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。自作品『我傍に立つ』裏話と世間雑記、占星術メモ
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直居版のサビアン解釈が、偏見に満ちていて面白い

先日から触れている直居アキラ氏のサビアン解釈。

今まで見落としていたのですが、私の月である水瓶座24度(25度)の解釈が面白くて、思わず腹を抱えて笑ってしまいました。
 思考力の育成はこの人の人生のテーマだが、多くは自分が既に頭が良くインテリだと思い込むケースがある。一種の自己過大評価に陥るのは、この人が情緒的で感情的であることによると思える。
 …確かに知性はこの人の司令塔だが、しかしこの人の限界も同じ知性から生まれている。限られた思考によって絶えずバランスをとろうとするために、中間思想的なスケールの小さい世界に閉じこもってしまうことがあり、多少の進歩や安定で簡単に満足してしまうかも知れない。自己の意識を何ひとつ見逃すまいと緊張しているところがあり、ナイーブな反面、自分で不安を育ててしまうところがある。
【後掲1.P259】

ほぼ悪口ではないか(笑)。
私の悪口を言いたくてウズウズしている人たちが喜んで飛びつきそうです。
少しばかり勉強が出来るくらいの人間に対する差別と偏見・コンプレックスに満ち満ちているな。

うん、しかし、これで判明しました。
直居先生の解釈は、全体に「外部(世間)」の視点なのですね。

ICやVtなどの感受点についてのみ直居解釈を参考にしたので、それらを「外部の目」と勘違いしてしまったのですが、単に直居氏が「外部視点」だっただけでした。すみません。

外部視点とは、悪く言えば近所のオジサンの目という感じです。
本人の事情も気持ちも一切無視して、世間一般的な偏見でいきなり説教をぶつけてくる。

ただし、地上の偏見にまみれたオジサンの意見は人間感覚から真摯で、純粋な親切心で説教しているのです。真面目に受け止めればブレイクスルーの足掛かりとすることが可能です。
また地上基準だからこそ社会との関係では当たることもあります。

たとえば私の月の場合、

>絶えずバランスをとろうとするために、中間思想的なスケールの小さい世界に閉じこもってしまうことがあり

おお。凄いな。その通りです。
私の口癖は、まさに「バランスを取ろう」ですね。
公平とか中道主義と言えば聞こえは良いですが、もしかしたら小心者ゆえにリスクを最小限にするため中間を取ろうとしているだけかもしれない。
そのためスケールの小さい、どっちつかずの人間となっているとは感じます。
(確かに器が小さいということは私の最大のコンプレックスですね。笑)
※追記 一応言っておくと本来の「中道」とは単にリスクを採らないという意味の言葉ではありません。ここはあくまでも自分に限った場合として、自虐の冗談を書いています

>自己の意識を何ひとつ見逃すまいと緊張しているところがあり、ナイーブな反面、自分で不安を育ててしまうところがある。

これも、仰る通りです。
私はいつも何事かを反復して考え続けている癖がありまして、このため脳が休まらず、常に緊張状態で疲れ果てています。
無駄に考え続けて相当のカロリーを消費している気がします。
脳から思考を追い出す瞑想法などを身に付けたいと思っています。

 
この通り直居解釈、当たっていますね。単純に、占いとして。
どうしてこのように当たるのか。
辛口な物言いも小気味よいほどです。

ただし前半の

>自分が既に頭が良くインテリだと思い込む
>一種の自己過大評価に陥る

これはあまりにも「外部視点」からの偏見が過ぎますがね(笑)。
 
勉強が出来ることについて自分に得意意識があるのは、事実、子供時代に他人より出来たという経験があるからです。今は衰えていたとしてもチャレンジすれば蘇るのではと思ってしまう。
たとえば子供時代、運動神経が抜群だった人が年を取って衰えてもスポーツに苦手意識を感じないのと同じこと。これを「全く裏付けのない誇大妄想」と呼ぶのでしょうか? 
それと「過大評価」したのは他人であり、私自身ではありません。これは前世もそうですし、今世の子供時代も同様です。

私はたまたま今世の子供時代も同じだったので「裏付けあり」と言えるのですが、もし月が水瓶座24度生まれの人で
「何故か生まれつきインテリとしての自信がある」
などという人がいたら、それは過大評価なのではなくて前世の他人からの評価があったからなのかもしれません。

この間違った点について、何故に直居氏が間違ってしまったのかと言うと、おそらく

>この人が情緒的で感情的である

という箇所がこの度数の解釈として筋が通っていなかったからと思われます。

 
公平を期すため、松村版の解釈も引用しておきます。

松村版は、直居版とは対照的に「内部視点」だと感じます。
つまり本人の魂の内面から、どうしてそうなったのかという前後の筋道を通して解釈しているようです。

水瓶座24(25)度:『右の羽がより完全に形成されている蝶
破綻のない人格。「右側」は理性や知性を表す。理性が深層まで達し、完全に感情をコントロールできる。
人格者だと言われる可能性は高いが本能を犠牲にしている。
感情・本能を含む全体的な知識を身に付ける必要がある。

【松村潔の新旧解釈の要旨】

月は前世を表します。

そう思ってこの解釈を眺めたら、いかがでしょう。
松村版解釈の冷静ながら醒めた感じ、「戦略家」という私の過去の仕事を知った後では納得していただけるのではないでしょうか?
(このシンボルだけから前世の具体的な人生を推測するのは不可能だとしても。宿などで補った後はきっとご納得いただけるはず。私も鑑定において、宿×月でこのように推測しています)

何故、本能が失われたのか。
かつての私は仕事に没頭したため、本能はほとんど抑圧する必要がないほど無視することが可能となったのです。
今もそうですが、人間の身体等に関わる本能はどうでもいいと言うか存在意義を感じない。
食欲があまりないのもそのせいです。
肉体を大事にするという本能を忘れた結果、前世では死んだわけです。

このことは地上で生きるには大いに問題な弱点であり、もしこれからも地上で生きるつもりがあるなら改善する必要があります。

以上

結論として、松村版は曖昧で難解ですが、深く読み込めば「本人の内面を的確に分析する」のはこちらのほうかなと思います。
月など、内面を表す惑星のシンボル解釈は松村版のほうに軍配が上がります。
 
しかし時には直居版のほうが圧倒で当たることがあります。
それはMCなど社会性を表すシンボルの場合です。
特にホロスコープに特殊な複合アスペクトがある場合。
直居版は誇大な表現も恐れず、
「この人はチャンスをつかみ成功するだろう」
などと街角の占い師のような台詞をずばずばと言うので、特種な人のホロスコープを読む場合には驚異的に当たることがあるわけです。

松村氏は、ご本人が
「誇大表現は避けて、“脱色”することを心がけた」
と仰っている通り抑えめの表現をしています。
抑制された解釈は万人に当てはまりますが、社会で突出するような特種なアスペクトを持つ人の場合には、少々曖昧過ぎて一見はずれているようにも見えることがあります。
 

好みを言えば私は圧倒で松村版のほうが好きです。
直居版は「話半分」でちょうど良く、参考にする程度が良いと思います。もし直居版ばかり信じていたら、はずしまくりで大変なことになりそうです(笑)。

ただ直居版は時に物凄く当たる。これだけは確かです。
まるで昔ながらの占い師の占断のようです。

直居版を読んでいると、やはり占いというものは
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」
の危険を冒してピンポイントにずばりと言ってのけてこそ醍醐味があるという気がしてきます。
鑑定する側と、鑑定される側の勝負でもあります。
(生年月日時の情報だけ与えられてどれだけ当てられるのかの勝負)

>>他、すたくろさんの解釈はシンプルで現実に妥当


【著作権法上の表記】

記事内 引用元
1.「直居版」『定本サビアン占星学』直居アキラ著 魔女の家BOOKS
2.「松村版」『決定版 サビアン占星術』松村潔著 GAKKEN

この記事におけるサビアン占星術の翻訳文は特に表記のない限り、2の書籍からの引用である
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