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令和に関して、最後の雑感です。世間を眺めて思ったこと。

(あまり興味を持たれない記事のようなので、迷惑にならないよう畳みます)

令和騒動。愚かさを知らしめる契機となればいいね

新元号発表からしばらく経ったが、一般の人たちは落ち着いた反応で良かったなと思う。
新元号には概ね好印象を持っている人のほうが多いのでは?

相変わらず日本の左翼だけが、K産主義者の見本のような恥ずかしい反応をしている。

例。
1、⇒矢崎泰久氏ら、元号を人権侵害と主張し差し止め裁判
伝統や宗教を敵視するK産主義者らしく、「伝統は人権侵害だ」と主張して差し止め請求。そのわり何故かキリスト教の年号は全面的に受け入れ、「西暦に統一しろ」と主張している。
信仰してもいない宗教の年号だけ使うように強制されるほうがよほどアイデンティティを破壊されるし、人格権の重大な侵害と言えるのだが? 今のところ西暦は便利だから我々も使っているが、もっと宗教色が強くなったらとうてい受け入れられない。現に受け入れていない国も多い。

しかし知識教養がない故に、現在の西暦カウントがキリスト教に基づくとはご存知ない左翼の方々。
どうやら彼らは人類誕生からグレゴリオ暦が使われていたと思っているらしい……。幼稚園児なみの知識に驚愕。
人類の歴史がたった2019年だと思っているとは。80歳を過ぎても恐ろしいほどの無知に引く。彼らこそ日本人を愚かにした元凶たちだなあと改めて実感する。
良くも悪くも「元号」への関心が若い世代も含めて増している時期だけに、この裁判が貴重な議論の契機となることを期待したい。
うん、そうね、左翼の無知を若者に知らしめる契機となることを期待したい。
(最近ツイッターユーザーなどは左翼に共鳴し、「左翼は正義」と思っている人が多いのだが、どうかこのような愚かさを見て目を覚まして欲しい。愚かなだけではなく暴力主義の思想でもあるのだよ)


2、⇒はっきり言う。安倍内閣は、おバカの見本市か?
見事なブーメランに失笑。
コメント投稿、
>【はっきり言う。安倍内閣はおバカの見本市か?】 ← 文頭で断言を予告しておいて、文末でクエスチョンマーク
に笑った。まったくタイトルから頭の程度が窺い知れるね。

内容も、妄想的で筋の通らない批判にやはり教養の欠如を感じる。知性のなさがまるで曹操崇拝のパクり三国志キュレーションサイトの文を眺めるようだ。
「もう不敬罪でいいんじゃない?」のコメントに賛同。
この著者は極右の民族ヘイト主義を自称して稼いでいるのだが、正体は典型的な日本左翼では。
参考:この人の本質が左翼だと言う根拠。


中国ネット民による指摘


いっぽう、中国ネット民の反応には私も驚愕する教養の向上が見られる。

万葉集が由来だと発表された『令和』について、
「由来が東漢の張衡の『帰田賦』にある」
と指摘し騒いでいるのだという。

 遠藤誉氏のレポート参照 ⇒「令和」に関して炎上する中国ネット

まず、80年代生まれ中国人の古典教養がここまで増しているとは驚いたな。張衡を「学校で必ず習う」とは!
「『出師表』を学校で必ず習う」と聞いた時も俄かに信じられなかったが。
とても古典を否定し破壊してきたあの社会主義国の人々とは思えない。
むしろ教養を失った現代日本のほうが、まるで社会主義国みたいではないか……。

それはともかく、万葉集序の『令和』のもとになった一節が張衡『帰田賦』を意識した文であることは正しい指摘だろう。
上記事から類似点を引用。
万葉集:于時(yu shi)、初春令月、気淑風和。
帰田賦:於是(yu shi)、仲春令月、時和気清。
つまり、「分かる人には分かるでしょ」というお洒落な挨拶文。
当時の教養人の洒落っ気で、あえて古典にリスペクトして少し変えて表現した箇所であるらしい。

現代中国人はまだ著作権法には詳しくないらしく、これを「剽窃(パクり)」と言って騒いでいるのだが、仮に現代の法的な見方をしたとしても『万葉集』序文は『帰田賦』の剽窃・盗用とはならない。

現代著作権法の判例において、受け取り手の多くが出典を知っていて有名作品を意識したと分かる表現は、「盗用(著作権侵害)」とは判定されず「パロディ」の一種として許容される可能性がある。(100%ではない。同一性保持権侵害の問題はある。でも『万葉集』のこの箇所は、洒落っ気による表現であることは誰もが分かるのでよほど愚かな裁判官でない限り有罪とはしない)
まして、当時この『帰田賦』が定型文的に誰にでも使われていた場合、著作権を主張することは難しく「盗用」と呼ぶことは不可能。
さらに付け加えると『帰田賦』の一節は著作物と言うには少々短か過ぎて、ニュース文や挨拶文などと同様、著作物として認められる可能性も低いのではないかと思われる。

※仮に張衡が『万葉集』を訴えたら、という設定で書いています。現実には今の時点で古典に著作権はないので、これから裁判が行われることはありません

これはたとえば元オリンピックシンボルのデザイナーがネットで見かけた作品を模倣し「自分の作品だ」として発表したり、三国志キュレーションサイトが「盗用」目的で他者の記事からコピーペーストする犯罪とは、次元が違う。

『万葉集』序文を「盗用」と呼ぶのは、それこそ日本のネットにおける「パクり」騒ぎを表面的に模倣しただけと思える。
全く見当違いの批判だ。
現代中国人は、もう少し世界標準の著作権概念について勉強する必要がある。


新元号は、「脱中国?」


著作権法議論については見当違いだけど、日本政府が新元号を『令和』とした思惑について中国ネット民の分析は正しいところがある。
上記事から引用。
 日本では一言も、「脱中国」などと言ってはいないが、中国では中国共産党の機関紙「人民日報」の姉妹版「環球時報」がこの度の新元号「令和」に関して「去中国化(脱中国)」という言葉を使ったのである。

 というのも、安倍首相などの説明では「初めて日本の国書(日本古典)を典拠とした」ことが強調されたため、中国では、これまで漢籍(中国古典)から採用されてきたのに「なぜ初めて日本の国書なのか?」という議論が湧きあがっていた。結果、「日本のオリジナルな古典などというものが存在するのか」という視点が中国のネットユーザーを刺激し、張衡に依拠しているという議論が炎上したものと考えられる。

 コメントの中には「日本には、平成時代に初めて中国に追い越されたという焦りがあり、漢籍などを典拠にしてなるものかというナショナリズムが、日本の国書に典拠を求める動きへと向かわせていったのだろう」という類の分析が数多く見られた。
官房長官が「日本の古典である万葉集から」と発言した瞬間に、これは穏やかなナショナリズムだと私も悟った。
たぶん日本会議の皆さんへの忖度だろう。(あるいは会議の皆さんから強く具体的な要望があったのかもしれない)

今まで中国の故事から取っていたのにわざわざ万葉集から取ったことを強調するとは、何だかな……と私も冷ややかな目で見てしまったが、既に日本の文化となっているなら中国古典だろうと日本古典だろうとどちらでもいい。

「日本はかつて中国だった」という妄想歴史を言い始めている昨今の中国政府を牽制する意味でも、新元号は日本の古典を由来として良かったと言える。戦略的観点からは正しかった。
ところが、肝心の万葉集序文が、張衡を意識した挨拶文だったことは少々痛い。
『令和』に憲法改正という願いを篭めるという思惑のほうを意識し過ぎて綻びから目を逸らし、「もとが張衡だということはバレないだろう」と軽く考えたのなら詰めが甘過ぎる。
もう少し、現代中国に付け入られる隙のないような元号にして欲しかった。


個人的に思うこと


私個人としては、元号は中国由来でも日本由来でもどちらでもいい。
ただ元号がある国に生まれたこと自体を有り難いと思っている。

漢字を始め、日本の全ての文化に「漢」の面影を感じるので古代の続きのように感じて馴染み深い。
それは郷愁に過ぎないのかもしれないが、無意識への影響を考えると大事なことだ。
おそらく私は現代中国の文化には馴染めずストレスを感じていただろう。食事から住居まで、全てにおいて前とあまりにも違い過ぎるから。きっとすぐに病気になって死んでいたに違いない。
(ただし義の精神は中国のほうが、代々変わらずに伝えられてきたように思う。文化や魂が入れ替わっても、道徳観はその土地にしか根付かないものかな? そのわり今、日本に生まれた私が中国の義に同調するのは不思議なのだが)

時間は距離に似ている。
時が長く経てば、距離が遠くなったのと同じで外国のように文化が入れ替わってしまう。
私から見て、現代中国の文化は既に「古代中国」ではない。

だから現代中国が、「日本の脱中国化」を揶揄したり、「日本は中国の影響から脱することはできない!」と主張するのは滑稽に思う。

現代中国よ、特に中国政府よ、今のあなたがたに「古代中国の継承者」を名乗る資格は全くない。

まさか自ら自国の文化を徹底的に否定し、破壊し尽くしてきた歴史を忘れたわけではあるまい。
我々はその外道の行いを怒りをもって眺めてきたのだ。

現代中国は東洋文化を大切に保存してきた日本に感謝すべきであって、「日本は古代中国を盗用している」などと批判する権利はわずかもない。
つくづく、「どの口が言う」だ。

80年代生まれの中国の若者たちは、気の毒に、直近の歴史であるブンカクを教えられていないのだろう。

古典を正しく蘇らせてくれた君たちへ私は深く深く感謝しているが、君たち自身の防衛のために直近の歴史も学んで欲しいと願う。
どうか二度と、文化と人間破壊の悲しい過去を繰り返さないように。


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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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