2019
May
16
-
自信とは何か? 「相続」は他者が決めること、でも私には自己信頼がある
前記事の返信にて、
>今再び「至誠」で生きることの大切さを伝えるためになら、私は負の遺産もろとも、彼の人生を相続するつもりでいます。
などと書いてしまったが、考えてみれば私が過去の遺産を「相続」できるかどうかは、完全に他人が決めること。
いくら私がその気になっても多くの方が認めてくださらない限り、現実では相続したことにはならない。
そして今の時代、霊魂などというものは最初から完全否定する人がほとんどだから、多くの人が認めてくださることは決して無いだろう。
たぶん私の生きている間は無理と思う。
むしろそのほうが安全。本気で「相続」することになれば社会的にも非常にまずいことになり、とうてい背負いきれないのでありがたいのだけど。
逆説的に、私は現代社会の「唯物思想」によって強固に守護されていることになる。
どうにかこの「唯物思想」を打ち砕きたいと思っているのにおかげで守られているとは、皮肉なことだ。
だから認識されるのは私の死後でいい。
続きの魂が確かに地上で存在した話が広まり「唯物思想」が嘘であったと人々が気付いてくれたならいい。
私は過去の名から負う利益など、一切要らないから。※
なので負の遺産から受ける不利益も僅かであってくれと願う……。家族のために。
※「利益など一切要らない」について: 電子書籍やブログ広告収入は非常に微々たるもので、費用を考えると激しくマイナス。執筆に割いた時間を人件費に換算したら▲三千万円くらい行くのでは?笑 だから現に、私がこの件から得ている金銭的利益は一切ない。
ところで前記事の
>おそらく多くの人たちは無名の私が、有名な人物の名を借りて自己宣伝するつもりなのだと思っていることでしょう。
>でも私はその逆に、「今ここ」の自分の言葉で証明したい
という箇所、多くの人にとって不可解なのでは?
有名な人生だけに価値がある、と頑なに信じている一般の方々にとっては。
私は
「今の自分を上」
と見て
「過去の自分を下」
と見ている、ように思える?
決してそうではないのだけどね。
上とか、下とかは考えていない。
経験値で言えば確かに未来のほうが高くなっているのだけど、能力を引き継いでいるかどうかは微妙であるし。
☆過去に磨いた修練は魂に蓄積されるが、地上での能力表出は肉体が変われば変化する。地上の言語記憶は失われるし、肉体のスペックも違う。容量も減るかもしれない。だから過去にできたことの全てを新たな肉体で引き継げるわけではない。(得意分野としての意識は残る)
詳細 →前世記憶とは何か~クラウドとモバイル機器
だけど私には、「今」の自分がはっきり見えている。
未来に何をするかは分からないが、「今この時」に自分が何を考えているかだけは明瞭に分かっている。
私は「今この時」に、人を踏みにじりたいとは考えていないし、悪事をはたらこうと思ってもいない。
正しい世が実現すればいいと切に願っている。
そうして自分も含め、全ての人々が幸福な暮らしができる世界が訪れるようにと。
ひどいことをされて泣く人がいなくなるように。
そう強く強く願う。
この内心をはっきり分かっているので、私は私を信頼している。
これが「自己信頼」というものだと思う。
つまり本当の意味での「自信」。
決してこの先、間違いをしないという意味ではない。
私も人の子、しかも決してスペックの高くない人間。
失敗も欠点も他人より多い。
今後何かうっかりミスしてしまうことがあるかもしれない。
これからは肉体の劣化もある。認知症になって自分が何を語っているのかすら分からなくなってしまうかもしれない。他の魂に肉体を乗っ取られることも、あるかもしれない。
だから未来永劫、「私は皆様にとって絶対に安心な人間です。信頼して大丈夫です」とは言えない。
でも「今この時」の人格が続く限り、私は自分を信頼することができる。
その延長で、過去があるに過ぎない。
自分と同一の人格なら絶対に悪いことは考えていなかった、とそれだけは言い切れる。
だから私の記憶にある自分自身の前世人格については、完全に信頼しているわけだ。
もし私の記憶とぴったり一致する人物が記録に残っているなら、その名も「信頼」のなかに加えていいと思っている。
「加えていい(私の人格を投影することを許す)」
……などと。笑
常識的な人からすれば腰を抜かす傲慢発言かな。
私は過去より今を「上」とは思っていないが、「下」とも思っていない。
有名・無名も人の価値に関係ない。
心からそう思っているため、こんなことを言ってしまう。
そしてこの価値観は世間の常識とは食い違うらしい。だからどうしても世間の人と話が噛み合わなくて困る。
>今再び「至誠」で生きることの大切さを伝えるためになら、私は負の遺産もろとも、彼の人生を相続するつもりでいます。
などと書いてしまったが、考えてみれば私が過去の遺産を「相続」できるかどうかは、完全に他人が決めること。
いくら私がその気になっても多くの方が認めてくださらない限り、現実では相続したことにはならない。
そして今の時代、霊魂などというものは最初から完全否定する人がほとんどだから、多くの人が認めてくださることは決して無いだろう。
たぶん私の生きている間は無理と思う。
むしろそのほうが安全。本気で「相続」することになれば社会的にも非常にまずいことになり、とうてい背負いきれないのでありがたいのだけど。
逆説的に、私は現代社会の「唯物思想」によって強固に守護されていることになる。
どうにかこの「唯物思想」を打ち砕きたいと思っているのにおかげで守られているとは、皮肉なことだ。
だから認識されるのは私の死後でいい。
続きの魂が確かに地上で存在した話が広まり「唯物思想」が嘘であったと人々が気付いてくれたならいい。
私は過去の名から負う利益など、一切要らないから。※
なので負の遺産から受ける不利益も僅かであってくれと願う……。家族のために。
※「利益など一切要らない」について: 電子書籍やブログ広告収入は非常に微々たるもので、費用を考えると激しくマイナス。執筆に割いた時間を人件費に換算したら▲三千万円くらい行くのでは?笑 だから現に、私がこの件から得ている金銭的利益は一切ない。
ところで前記事の
>おそらく多くの人たちは無名の私が、有名な人物の名を借りて自己宣伝するつもりなのだと思っていることでしょう。
>でも私はその逆に、「今ここ」の自分の言葉で証明したい
という箇所、多くの人にとって不可解なのでは?
有名な人生だけに価値がある、と頑なに信じている一般の方々にとっては。
私は
「今の自分を上」
と見て
「過去の自分を下」
と見ている、ように思える?
決してそうではないのだけどね。
上とか、下とかは考えていない。
経験値で言えば確かに未来のほうが高くなっているのだけど、能力を引き継いでいるかどうかは微妙であるし。
☆過去に磨いた修練は魂に蓄積されるが、地上での能力表出は肉体が変われば変化する。地上の言語記憶は失われるし、肉体のスペックも違う。容量も減るかもしれない。だから過去にできたことの全てを新たな肉体で引き継げるわけではない。(得意分野としての意識は残る)
詳細 →前世記憶とは何か~クラウドとモバイル機器
だけど私には、「今」の自分がはっきり見えている。
未来に何をするかは分からないが、「今この時」に自分が何を考えているかだけは明瞭に分かっている。
私は「今この時」に、人を踏みにじりたいとは考えていないし、悪事をはたらこうと思ってもいない。
正しい世が実現すればいいと切に願っている。
そうして自分も含め、全ての人々が幸福な暮らしができる世界が訪れるようにと。
ひどいことをされて泣く人がいなくなるように。
そう強く強く願う。
この内心をはっきり分かっているので、私は私を信頼している。
これが「自己信頼」というものだと思う。
つまり本当の意味での「自信」。
決してこの先、間違いをしないという意味ではない。
私も人の子、しかも決してスペックの高くない人間。
失敗も欠点も他人より多い。
今後何かうっかりミスしてしまうことがあるかもしれない。
これからは肉体の劣化もある。認知症になって自分が何を語っているのかすら分からなくなってしまうかもしれない。他の魂に肉体を乗っ取られることも、あるかもしれない。
だから未来永劫、「私は皆様にとって絶対に安心な人間です。信頼して大丈夫です」とは言えない。
でも「今この時」の人格が続く限り、私は自分を信頼することができる。
その延長で、過去があるに過ぎない。
自分と同一の人格なら絶対に悪いことは考えていなかった、とそれだけは言い切れる。
だから私の記憶にある自分自身の前世人格については、完全に信頼しているわけだ。
もし私の記憶とぴったり一致する人物が記録に残っているなら、その名も「信頼」のなかに加えていいと思っている。
「加えていい(私の人格を投影することを許す)」
……などと。笑
常識的な人からすれば腰を抜かす傲慢発言かな。
私は過去より今を「上」とは思っていないが、「下」とも思っていない。
有名・無名も人の価値に関係ない。
心からそう思っているため、こんなことを言ってしまう。
そしてこの価値観は世間の常識とは食い違うらしい。だからどうしても世間の人と話が噛み合わなくて困る。