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劉備は陶謙から徐州を譲られ、なぜ固辞したのか

長らくお待たせ致しました……。

正史翻訳、⇒『先主伝4 劉備、徐州を受ける』UPです。

たったこれだけでグッタリ。
翻訳文を考えるにも悩みますが、人名や地名、役職名などの漢字を表示させるのが何より大変です。

機種依存の文字が多いので心配。お持ちのデバイスで表示されていますでしょうか?
その前に誤字がある気がしてなりません。お気づきの際はお知らせください。


さて
今回は劉備が陶謙から徐州を譲られるシーンの正式記録です。
フィクションでもおなじみですよね?

フィクションが苦手な私も、昔このあたりだけは強制的に見せられた横山アニメで見たことがあります。
おぼろげにしか覚えていませんが、その時は違和感しかありませんでした。
劉備のキャラクターが現実と違い過ぎるんですよ。
そのために(ストーリーの)誤解がひどい。

今回こうして記録を翻訳しながら読んでいたら、当時の状況が目に浮かぶようで違和感が吹き飛びました。
あまりにも、劉備らしい記録。
どこが「儀礼に従い三度断る」なのだか、そんな穏やかな状況ではありません。
思わず春樹風に「やれやれ……」と書いてしまいました。笑
周りの説得の大変さに苦笑。ご苦労様です。

私は日ごろ、自分のことを「変わり者」と呼んでいますが劉備も相当の「変人」かもしれませんね。
何故、劉備が徐州を受けないのか世間の人には理解できなかったと思います。
おそらく多くの人は領土を譲られたらすぐに飛びついてしまうために。
それで自分自身の欲深い心のフィルターにかけ、
「奪いたいという欲を持っていたくせに、腹黒の劉備は遠慮した振りをして受けなかったのだ。古式の儀礼に従ったのだ」
などと誤った解釈をされている。

歪んでいるなあ、心が腐っているな、と思うのですが、まあ世間などそんなものですよね。
特に今の日本人は心を失った人が多いので、仕方ないです。
歪んだ目しかお持ちではないのでしょう。

そもそも、劉備がなぜ寄ってたかって地位を譲られたり人々について来られたりしたのか、理解できないことと思います。
きっと会ったことがなければ何の魅力があるのか本当には分からないタイプです。
言語化するのが不可能な魅力というものなのですよね。

それなのに言葉を飛び越えて感じ取った古代の人々はやはり凄いなあ……と、深い敬意をもって思います。
古代は、人が人としての感覚を普通に持っていたのだな。
現代人が失ったあの能力は、今では「超能力」と呼ばれてしまう。

もちろん今この現代でも、史実から本当のことを感じ取っている人たちがいますが稀です。
今の世で最後に残った「心ある」人類と言えるかもしれません。
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