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久しぶりに心躍るニュース。『ドラクエGO』――失敬、正式名称『ドラゴンクエストウォーク』販売に先立ち、β版体験プレーヤー募集だとか。
初めてスマホゲームやろうかなと思った。
https://kokodakenobekkan-2018.tumblr.com/post/185337055426/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%A8go%E3%81%A8%E8%A9%B1%E9%A1%8C%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0

ファンタジー世界はいいなあ。
やはりこちらの世界育ちだ、現代の私は。
東洋世界もいいけど西洋ファンタジーのほうがしっくりくる。
(貧乏でゲーム機が買えなかったので、ドラクエも友達の家へ行ったときに少し触れるだけだった。でも、あのファンタジー世界はとても好きだった)

おそらく東洋古典は私にとってはリアルでしかなく、心安らげる楽しい世界ではないのだ。


最近、三国時代の景色から抜け出せなくなっているから心が疲れていて。
しかも現代で歴史捏造する気色悪い犯罪者ばかり眺めるはめになり、精神がもたない。地獄世界を覗き見て悪魔を観察しているかのよう。

ドラクエなど、現代の子供時代に触れた世界が自分にとっての救いなのだと最近つくづく思う。
古代は古代で幸福だったけど現代の子供時代は何の心配もなく、楽しいばかりだった。

今は「腐った平和」などと言われ、ニートも膨大に増え人々の精神性も劣化し、どちらを向いても夢も希望もない。
でも自分たちの子供時代は
「ちょうどいい平和」
だったのかな。
便利さで満たされてはいたけど、まだスマホどころかPCもなく、最低ラインの安全は保たれていた。
個人が一夜にして炎上して全国のさらし者になる、ということなど有り得なかった。
たいした悪事をしたわけではないのに人格を否定され、住所まで特定され、徹底的に破壊しつくされ殺される(自殺に追い込まれる)などということも無かった。
まあ裏社会には怖いことはたくさんあったみたいが、少なくとも小学生の世界は安全で大人たちに守られていたよな。

アニメや漫画、小説など創作世界にも愛や友情や希望があった。
あれは子供に良いものを読ませたいという大人たちの優しさだったと今は分かる。

まだ昭和時代の戦争を知る大人たちが生きていて、「人間はこうあるべき」とか「人と人との絆は大切にせねば」のような道徳が生きていたのだよね。
我々子供たちはそれを古臭いと呼んで、説教から逃げ回っていたが、いつまでも大人たちの道徳観として存在し続けるのだと信じていた。
帰ろうと思えば帰ることのできる場所だと。

でも、気付いたらもう無くなっていたという。
愛も友情も希望も否定され、破壊され、踏みにじられている。
(帰る場所がなくなってしまった)
悲しい。

『我傍に立つ』を出した時、年配の人にはとうてい受け入れてもらえないだろうと思っていたのだが逆に評判が良くて意外に思った。
ある年配男性から
「この小説を読んで、今どきの若者も捨てたもんじゃないと思って嬉しかった」(当時はまだ私も若者だった)
という感想をいただいた時、はっとした。
考えてみれば自分のように、友情を信じていたり信念を大事だと思っている人は現代で少なくなっているのではと。

人間性が危機に陥っている時代だよね……。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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