まずは構ってくださることに感謝です。
気楽に何の話でも触れていただけると、こちらも気張らず話すことができてありがたいです。
何より気軽な三国志話に感謝。
三国時代の話は、私の特殊な立場だと(笑)とても話しづらいので実はすごく神経を遣ってしまいます。読者の皆さんも「頭のおかしい危険人物」と警戒し、遠巻きに眺めていることが分かるし。
最近は捏造と戦うためにもなるべ遠慮せずに何でも話すようにしていますが、やはり気は遣いますね。
でも、たまには一般ファンの振りをして気楽に話してみたいという願望があります。実は。
これは私も笑いました。
…「孔明の罠」この意味するところがわたしにはいまだにわかりません。ネットでけっこう、それこそ「泣いて馬謖を斬る」よりよく目にするのに、つかいどころがいまだにワカラナイ。罠ってナニ?という気分です(笑)いえ「孔明の罠」は故事成語ではないみたいですけど。参考。「出張所のほうにあがっていた~」とは、こちらの話:
余談ですが出張所のほうにあがっていた「現代社会に潜む孔明の罠!……」を読んで笑い転げました。孔明様、愛されてますよね。
笑……オタバレ本当にご愁傷様です。
Togetter
説明する側のほうでオタバレしたくないなら、今は「吉沢亮の亮」と言っておくのが一番無難だと思いますよ。そのほうが女子受けも良いかと。
オタは本性を隠さねばならないから大変だなあ。
(でも正体を隠さねばならないという意味では、私ほどには大変ではないと思うよ。笑)
ただ最近のオタは表現が本当にうまく、センスも良いので私は尊敬していますけど。
余談ですが、「諸葛」や「孔明」「劉備」って、私が小説を書き始めた当時はPCで変換されなかったのです。一発で変換されるようになった時には感動しましたね。それだけ昔と比べれば日本における知名度が上がったのでしょうか。時代は変わった。
でも今もまだ知らない日本人のほうが圧倒多数だと思います。知っていると即、オタばれでしょう。気を付けられたし。
>孔明様、愛されてますよね。
愛されているというかオモチャになっているだけのような気もしますが。
まあこれも愛の一種ではありますね。英雄崇拝よりは同じ目線で遊ばれるほうが「愛」に近いと思います。
(過剰に貶め、捏造話で悪口を吹聴するのは違いますけどね。あれは完全に人としてアウトです)
ちなみに「孔明の罠」というネットスラングについて、 元々は単なるトラップという意味ではなく、「分かりやすい釣り針への疑心暗鬼」という意味だったかと思います。「釣り」とは炎上商法や詐欺のネタのことですね。
用法:「あれはいかにも釣りだと分かりやすいが、“孔明の罠”ではないか? 何か裏がある、気を付けろ!」
という感じですかね。私は演義フィクションを読んだことがないので今いち乗りが分かりませんが。
ああそうだ、おそらくは今、私のブログを見ている人のほとんどが「このブログはまさに孔明の罠」と思っていることでしょう。これが一番分かりやすい用法。笑
故事成語について、
「泣いて馬謖を斬る」という故事成語についておもったことなんですが。うん、そうですね……あの故事成語を作った人は凄いですね。
なんどきいてもよくできた言葉だなあとおもいます。三国志をしらなくても、馬謖がだれだかしらなくても意味がわかる。
……
「泣いて馬謖を斬る」泣いて、斬るというところから馬謖を斬ったのは上司の立場のひとだと想像できます。しかも、泣いて、というところから上司はほんとうは馬謖を斬りたくなかった、しかし規範のためには心情はどうあれ斬るしかないという上司の苦悩までみてとれます。このことばのどこをどうしたら曲解できるのかまったく理解できません。
このことばのアクセントは「斬る」じゃなくて「泣いて」のほうにあるとおもうんですよ。そう考えたとき、孔明様が泣き虫だった(失礼なもの言いすみません)意味がみえた気がしたのです。
(個人的感想、カット)
なるほど故事成語の分かりやすさにも人格が投影されていると言えるかもしれません。
話がそれますが、わたしはほとんど泣いたことがありません。ネイタルチャートの感受点がほとんど水でじゃぶじゃぶにもかかわらずです。個人情報を少し公開してしまい、申し訳ありません。
「ほとんど水でじゃぶじゃぶなのに泣いたことがない」……うーん。それはやはり、不思議ですね。
占星術師は頭を抱えてしまうかもしれない。特に太陽を中心として読む占星術師は悩むと思います。テキスト通りに読むと大外れになってしまいます。
やはり、B様もアセンダントの影響が大きいのでしょうか。B様のアセンダントは落ち着いた大人の雰囲気だったはず。心で泣いていても表には出さないサインです。
それと前にも書いた通り、クールなインターセプトの影響も大なのでしょう。
水が無いのに泣いてばかりいる私と同様に。(私は泣き過ぎという噂も……。笑)
結果、お互いに占星術のテキスト通りの解とは逆転の現象が起きています。
こういうこともあるから占星術は深いし面白いですね。
ところで私はB様の小説ご感想、メール文を読んでいる限り、やはり感受性の高い方と感じます。決して「泣いて馬謖を斬るの、泣いた理由が分からない!」などということは仰らないし。ピンポイントに的確な解釈をなさる。
それでも表から感情が見えないのはやはりアセンダントの抑制のためでしょう。
おそらく性根から感受性のない人は、内面もクールで本当に動かないのだと思います。感じるセンサーそのものが無いようです。
※「泣いて馬謖を斬るの、泣いた理由が分からない!」:先日書いた、「馬謖を斬るは悪」と言った人ですが事情を説明したらとりあえず理解はしたみたいです。でも、その後「罪を犯した奴を斬ったなら泣く必要ないじゃん。おかしいじゃん。泣いた理由が全く分からない」ということを延々と言っていました。やはり人としての根本に欠陥があるような気がします。
身近な人を処罰して辛いのは当たり前。赤の他人だって嫌な想いになりますよ。裁判官や処刑人が喜んで死刑執行していると思っているのでしょうか? (たまに無実の人を苦しめて愉しむ裁判官もいますが)
「諸葛亮が泣いたのは同情を買うため」とか、「馬謖はスケープゴートだった」と言う人なども、サイコパスにも程があります。この人たちはいつか子供を刺すような犯罪をしそう。警察にマークして欲しい。
それでもですよ。もし、わたしが馬謖を斬ったとしたら(感情はどうあれ)まわりのひとは感情の揺れをよみとることができずただの非情な上司として語り継いでしまうでしょう。内面を語りつぐには、しかも何千年もの時を経て語りつぐには、おおげさともおもえるほどの感情の揺れが必要なのではないかとおもいました。ですかね……、ストレートに感じるままに生きる、というところ。
これが、孔明様が泣き虫の星のもとにうまれていらした理由ではないかと考えたしだいです。
劉備もそのような性質を買っていたのでしょうか。
本人的には「おおげさともおもえるほどの感情の揺れ」が激し過ぎると辛いものですが、それこそ物語性に必要な素質だったのか。
なるほど、確かに「のび太」です。納得。
そういえば、教えていただいて知ったのですが現代中国語で「純粋/ピュア」は「単純」と表現されるそうです。日本語としてのニュアンスは少し違いますよね。
漢語ではどうだったか? 劉備たちは「純粋」の意味でどう表現したのか? 決して知性がないとバカにしていたわけではないので、そうなると「清廉」のほうがニュアンス的に近いのかなという気もしますが。
まあでも史実の諸葛亮は、日本語で言うところの「単純」と呼んでも当たらずも遠からずです。
神算鬼謀が好きなフィクションファンの方々には誠に申し訳ない。
現実は「孔明の罠」なんて、ありませんよ。
そのままストレートに分かりやすいだけの人物です。
現実の仲達も確か「あいつ、手の内バレバレだけど。なんなの? やる気あんの?」と言っていたと記録にあったはず。
〔マニア向けの話。読み飛ばし可〕
ただこのように貶めるだけだとアンチがまた調子に乗るので牽制するために書いておくと、諸葛亮は手の内が分かりやすいのに手堅く攻めづらいということはあったらしいです。私の意見ではなく、一級歴史オタさんたちの意見です。
現実の戦争は戦術上での騙し合いよりも、管理運営の技術のほうが重要です。奇策に走る指揮官は技術が未熟なのです。それか他に選択肢がないか。
仲達は蜀軍が去った後に陣営の跡を見てその技術を知り、「スゴイ奴だ。認めてやる(けだし天下の奇才なり)」と評したのではないかと思っています。さすが仲達、プロ同士にしか分からない部分を理解したのでしょう。
ああ、なんかすごくおこられそうな気がしてきました。いいえ、一個も怒るところがないです。^^
勝手なことを書いてしまいすみません。
失礼いたしました。
失礼どころか、正しく理解していただいて嬉しく思います。
「先主伝(劉備伝)4」読ませていただきました。あんなマイナーな記事まで読んでいただいて、ありがとうございます。
三国志について、吉野様の記事からの情報以外にほとんど知ることのないわたしなので、あたりまえといえばあたりまえなのですが、いままで劉備様の人物像がまったくうかんでこなかったのです。どんな方だったのか、像がむすばないかんじで。
そのわけがやっとわかりました。
ひとは、じぶんの理解のおよばないものを理解しようとラベリングしようとします。ゆえに孔明様は魔術師などと言われているのだとおもうのですが、劉備様はラベリングのむこうがわに行ってしまっている方だとおもいました
(このもの言いこそラベリングのような気がしますが)
>いままで劉備様の人物像がまったくうかんでこなかった
>劉備様はラベリングのむこうがわに行ってしまっている方
やはり、そうなんですね。
『三国志』の話をしている人たちの会話を眺めていると、劉備について現実とかけ離れた解釈をしているのだと分かります。
(私はフィクションを通読したことがないのでちゃんと知っているわけではないのですが、断片的な知識をつなぎ合わせた限りでは)
フィクションにおける劉備の人物像も、わりと分かりやすい「道徳教師」というラベリングをしているようです。しかしそのイメージは史実を読んだときにガラガラと崩れるはずです。
史実の彼は決して上品な「道徳教師」ではなかったので。
このため、フィクションの後に史実を知った人にとって、劉備の人物像は雲をつかむようなボンヤリしたものとなってしまうのだと思います。
これはたぶん正式な記録書を書いた、陳寿(ちんじゅ)という人こそが劉備の人物像をよく分かっていなかったせいでもあるでしょう。
おそらく陳寿は、自分が生きている時代に近い諸葛亮については肌感覚で理解していたのだけど、劉備は遠いので肌感覚も無かったのだと思います。
そのため劉備が譲位を断り続けたことの真意が分からず、ただ故事にならった儀礼的な態度だと誤解してしまった。
※中華では、譲位を始めは断るという儀礼があります。これは形式上のものです
しかし劉備は形式を嫌う人でした。
だから彼が地位を心から本気で断っていて、譲位したいという側との決死のバトルが展開されていたのだという現実が誰にも伝わっていない。笑
このことが1800年の誤解を生んでしまったのだろうなと思います。
今回の段、よんでいて「我傍に立つ」の譲位を受ける受けないのくだりをおもいだしました。>「我傍に立つ」の譲位を受ける受けないのくだりをおもいだしました。
劉備様は依存をうけいれない方とお見受けしました。もちろん、君主と部下という役割分担はありますが、対等にじぶんの足で立っているひとでなければ受け入れなかったのかもしれないとおもいました……勝手な想像すみません。
そうですね、実はあの小説を書いていた頃に劉備の記録はざっとしか読まなかったのです(コラ。笑)。
今回、改めて陶謙のくだりを読んでいてのけぞりました。そのまま『我傍』の主人だったので。
小説を書いていた時に思い描いていた、あの「地位を受けろ」「嫌だ」の攻防戦を思い出して、苦笑しつつ懐かしいものを感じました。
そう、今ようやく気付きましたが、劉備と諸葛亮はやっていることが一緒だったようですね。
「地位を受けろ」「嫌だ」の攻防。
性格タイプは違えど、やはり似た者同士だったのでしょうか。
>劉備様は依存をうけいれない方とお見受けしました。
確かに自分を利用しようとするだけの甘えた大人は嫌いだった気がします。
利用されて余計なものを背負うのも大嫌い。利用しようとする汚い相手には憤る。
ただし弱い者、いじめられている者を見るといてもたってもいられず、自ら危難に身を投げて救いに行こうとするんですね。
だから決して個人主義の、ケチで厳しい人というわけでもない。
「相手によりけり」で態度を極端に変えるところがあったので難しいのですが。
対等で、信頼関係でむすびついている世界……まさに水瓶座世界の片鱗をみせていただいた気がしました。でも、同時に……>いまさらながら「我傍に立つ」というタイトルはすごい
わたしは劉備様におそれを感じてしまいました。わたしはまだその世界にはいれるほどの準備ができていません。じぶんの足で立つというのは理想ですが、なかなか覚悟がいることだと感じます。
いまさらながら「我傍に立つ」というタイトルはすごいとおもいました。みんな、じぶんの足で立たなくては。
世界の扉をみせていただいた気がします。扉をみたからにはあけてみないといけないですよね。こわいけど(笑)←じぶんをふるい立たせています
ありがとうございます。恐縮です。
自分の足で立つ覚悟というものは確かにあったはず。ですが、きっぱりクールな世界というわけではなかったような気もします。
「信愛」というものはやはりどこか補い合い、支え合うというものであるはずです。
利用するというのとはまた違う形で、ですが。
要は、俗語の
「ニコイチ」
というものでしょうか。
(諸葛亮は劉備が)欠けて一人置いて行かれたらやはり弱ってしまったので、その意味では世間から見て「甘えがあった」と言われても仕方ないと思います。
でも私は、それでいいのではないかという気もします。
仲間はお互い補い合うもの。
だからこそ欠けたらパワーが弱まって当然。
(そうでなければ仲間ではない)
だからそんな恐れる必要もないと思いますよ。
自分の持っているものを全てさらけ出して、お互いに支え合って立つ覚悟があるなら運命の相手と仲間になれると思います。
わけのわからないメールですみません。いえいえ。私こそ、何を書いているのだか分からないような雑文ですみません。
今日は細かいことにこだわらず、楽しく雑談してみました。
こんな機会を与えてくださり感謝しています。