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見直しをしていて、こちらの記事が分かりづらかったので修正しておきました。

 →経緯3.付属的考察・当該人物と自分との共通項

上の記事は追記を繰り返して無駄に長いわりに、肝心の結論で何も「断定」していませんでした。
これでは覗きに来た方も肩透かしだったのではないでしょうか? 怒りを抱かれた人もいるかもしれない。

私としては本当に断定できなかったので断定しなかっただけなのですが、皆様は「結局どっちなんだよ」とモヤモヤされたことでしょう。

実を言えば若かりし頃に『我傍に立つ』を書いた頃は、まだ記録と自分自身が一致している感覚がなかったのです。
確かに照らし合わせれば共通項が多い……から現実なのだろうな?……と頭で認識しているだけでした。これは科学の実験で実証されたようなもので、頭では分かっていても感覚としては受け入れがたいものがありました。
だいいち輪廻転生という現象が現実にあるなどと思わなかったし、ずっと「何かの間違い。他の理由があるはず」という考えは頭の片隅に置いていたものです。

本音を言うとそれだけではなく。
私の心情としても、記憶を自分だけのものとして保管しておきたい想いが強くありました。
個人としての思い出があまりにも大切だったので、他人の意識が決して混ざることのないよう分厚いガラスケースの中へ閉じ込めておきたかったのです。
ある意味で我が侭だったのかもしれません。
たとえ現実記録であっても、「記録者」という他者のイメージで思い出を汚されることが嫌だった。
まして、オモチャとして遊ばれているフィクションで汚され踏みにじられることなど、とうてい耐えられなかった。

それでずっと「記憶」と「記録」、『我傍』の主人公と現実人物との間に厳重なラインを引いて「関係ない」と思おうとしていたのです。
もちろん今の自分自身と過去の人生とはもっと関係ないと思っていました。関係があると思うことは私にとって「自惚れ」にも当たると考えたせいもあります。

だけどここのところかなり自分の潔癖なラインが緩やかになってきました。
去年の年末に「人格一致」を体験したからでもありますし、悪口のおかげでハードルが下がったせいでもあります。

世間で過去が「無能」と言われ続けたおかげで、私はずいぶんと肩の荷が降りてラクになりました。
そう考えると、悪口も逆に私の助けとなります。
(工作員たちが政治的な謀略で、日本人とC国人を虐げる目的で歴史捏造しているという犯罪行為は絶対に許せませんが)

このように評価が反転して下がると逆に受け入れやすくなる。
普通は逆だろうと思います。私はやはり天邪鬼なのでしょうか? 笑

かつては評価が高過ぎたせいで「とうてい届かない」と思っていた過去の自分に、今は手が届く感覚があるのは我ながら驚きです。
手が届くと言うよりむしろ、「完全に無能」と呼ばれている過去についての世間評価より今現実の私のほうが遥かに上回っている気さえしてしまいます。笑
(今は地位も低いですがね。生まれつきのスペックは平均より若干、高かった気がします)

愚かなアンチたちのおかげで私は逆に自信と確信が持てました。
そして戦いのために受け入れるという理由まで得ました。
今、文化破壊が迫り、人の根幹が破壊される危機が迫っています。我が侭は捨てなければなりません。もう自分一人の思い出としてガラスケースの中に閉じ込めておくこともやめようと思います。

こうなったのもアンチたちのおかげ。
なんでも「おかげ様」ですね。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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