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今日も三国志話で恐縮ですが、軽めの話で遊んでみます。不謹慎だったらすみません。
笑っていただければ幸い。


実写版『シンデレラ』感想


昨夜、ディズニー映画『シンデレラ』を家族と見ていた。
相方はこういうファンタジー映画が好きらしく、私が「この声って高畑充希だよね? シンデレラが充希ちゃんにしか見えなくなってきた」などと話しながら見ていたら、「映画の世界に入り込んでるのに邪魔しないで!」と叱られた。ごめん。

cinderella.gif(C)The Walt Disney Company

確かに素晴らしい映画だった。上のドレスの鮮やかな青も綺麗だったね。
意地悪な継母たちに虐められている心優しい女性が、王子様に見初められて逆転の人生を叶えるストーリーは「ご都合主義」と呼ばれても希望に溢れているな。大人の殺伐とした世界に汚れそうな心を癒してくれる。
改めて、古典は完璧だと思った。

現代風アレンジの箇所は興味深く見た。
シンデレラと王子が、城で初対面ではなかったところはいかにも現代風。お互いの身分を知らず森で会い、会話をして「心の交流」があり、そこから恋愛が始まる。
確かに舞踏会でダンスを踊っただけで王子が一方的にシンデレラを見初め、国中探し回るのはアウトな設定。
それでは男が女性の美貌だけを求め、権力を使ってストーキングしたように見えて「女性蔑視だ」と批判が来そう。会話もなく心の交流もないのに結婚するのはおかしいのだ、昔の権力者はほとんどそういう結婚をしたのだろうけど。

役人がガラスの靴でシンデレラ捜索をするとのお触れを出す際、「(王子は彼女の)同意があれば結婚したいと望んでいる」と、同意を強調したのも現代的だなと思った。
そう、権力者が一方的に女性を探し求め、ガラスの靴に足が合えば当然に結婚するに決まっているという話は変なのかもしれない。でもその前にお城へ行った時点で昔なら「同意あり」とみなされるはず、だろうけど。現代はそれでも厳密に、改めて同意を取らなければならないことを強調している。
ふむ。教育的観点からはよろしい。

現代は女性関連の話ですぐ炎上するから、製作者が色々と気を遣っているのが分かり苦笑した。
こういう世情込みで見てしまうのが大人の汚さなのかな?

それから私は個人的に、王女となったシンデレラの「めでたし・めでたし」の先まで考えてしまった。
「王子様と結婚、玉の輿」
という結末はファンタジーだと「幸せに暮らしましたとさ」で終わるのだけど、王女様やお姫様は現実では大変だ。
波乱万丈間な人生となること間違いなし。夫とともに国家運営するのはそれだけでも気苦労が多く大変だし、もし他国に侵略された場合は真っ先に命や純潔を奪われるのだから。

この映画の中の国は「大国に囲まれた小国」という設定だから、きっとシンデレラも結婚後は苦労しただろうと想像した。
「こんなに大変なら、庶民で、灰をかぶって暮らしていたほうがずっとラクだった!」
と叫んでしまう日もあったはず。それが現実。

でも。
真実を言えば、そういう苦労があるからこそ本物の幸福が得られる。
「めでたし・めでたし」で安穏として終わるファンタジー以上の、心底から痺れるほどの幸福が苦労の先にある。
これこそ現実の醍醐味で、我々が現実に生きている意味だと思う。


孔明も、いわゆる「シンデレラ」だった


上の映画を眺めながら私はつい、「あの時代の諸葛亮もシンデレラみたいなものだったな」と思って自分で気持ち悪くなった。笑
(「気持ち悪い」とは現に恋愛ではないから、という理由。LGBTを差別するための意見ではないです)

美しいファンタジーを、オッサン臭が漂う歴史物へ引き寄せて語ってしまい誠に申し訳ないのだけど、状況はまさにシンデレラのようなものだった。
何故なら、

 みすぼらしい衣(布衣)の青年が、お供もなくお城へ行って
  ↓
  王子様  偉いオジサンに見初められ
  ↓
 何故かスカウトを断り逃げ帰り
  ↓
 住所特定され、ストーキングされ(三顧の礼)
  ↓
 オジサンの誠心誠意で対等な態度に感激、出仕に同意し
  ↓
 白馬に乗ったオジサンに迎えられる

という経緯だったため。
 ※「お城に行って」は裴松之注にある異説、「スカウトを断り~白馬に乗ったオジサンに三顧礼で迎えられる」は私の考えです。ちなみに現実では白馬だったかどうか分からない、ここは貴人の喩え。

どうです、シンデレラとそっくりでしょう。
(え、かなり違う? 白馬のオッサンでは嫌?? 笑)

まあもちろんだけど恋愛ではないので(ここ強調しておきます)、シンデレラに喩えるのは抵抗あるかもしれない。

ただ、状況はそっくり。
また一般的に男にも当てはめて使う、常套句としての「シンデレラ・ストーリー」には完全に当てはまると思う。
有力者に気に入られていきなり出世したのだから。

自分でお城へ行っておきながら始めスカウトを断っているところはイレギュラーで変人炸裂しており、お話にならないが。
わざわざ探しに来てもらってガラスの靴が合っているのに、「確かにお城へ行ったけど、別に出仕するつもりなかったんですよ」と断るというね。
これでは相手は「??? 何コイツ意味わからん」と混乱するよな。
一般の方々も混乱すると思う。こんな設定、フィクション小説でも読者が混乱するから書けない。私は『我傍』で書いたが。読者の方々に理解してもらったかどうかは定かではない、笑。


正史と異説、どちらが本当? 再確認


ところで正統な史書(正史)には諸葛亮のほうが城へ行ったという話は本文に記載されておらず、異説としてのみ収録がある。
本文では当時、劉備のほうが人材を探し回っていて、水鏡先生や徐庶から「優秀な若者がいるから行ってみては」と言われ「三顧の礼」をしたのだということになっている。

確かフィクション『演義』でもこの記録書の通りの設定になっていたはず。
つまりこの件については『正史』『演義』ともに一致していることになる。
違っているのは『異説』のみ、今のところこの『異説』に従って書いている三国志創作はこの世に存在していないと思う。
(もしも『我傍に立つ』を実名で書いていれば、世界初で異説を描いた三国志創作となっていたはず。残念)

この経緯について、私の意見はこちらに詳しく書いているので読んでみてください。よろしければ次のパスワード記事も。
 →三顧礼の真相。本当にあった? なかった? 論理的に考えてみる
 要パス →主人と会った日のこと=異説で確定してください

そんなわけで歴史学者の推測からも、私の感覚でも、『異説』が現実だったと言えるのだけど――だとすれば『正史』の著者・陳寿は嘘を書いたのか? いったい何故? という疑念が湧く。

諸葛亮を貶めたい人々は
「陳寿も嘘をつくからぁ~ 出師表なんか嘘に決まってるわ! それか、諸葛亮は自分の評価を上げるために『出師表』で自分は三顧礼されたというエピソードを盛ったのよ!」
などと頭の悪い発言をして失笑を買っているが、自分たちにとって都合の悪いことを何でも「フィクション」と決めつけて騒ぐだけではお遊びでも歴史の話にならない。
(それにこの人たちは、「劉備がコネ目的で諸葛亮に三顧の礼をしたのだ」という誹謗中傷を掲げているので、正史が事実でなければ困るはずである。自分たちの矛盾に気付かない、つくづく頭が悪い。後述)

確かに陳寿は『正史』の中に数多くのフィクションを挿入している。
しかし彼は、一から無かった状況を創作して書くということはしない主義だったらしい。
国家権力からの依頼でフィクション挿入を求められたとしても、彼は小説家ではなかったので、無かった状況を作り上げてまで物語を描こうとはしていない。そこは歴史家としての矜持(プライド)を持って仕事に当たっていたのだと思われる。

つまり、陳寿が本文に書いたことは必ず、現実その状況があったのだと考えて良い。(陳寿の手元にあった情報そのものが誤りであった場合を除く)
彼がフィクションとして書き換えたり挿入したりしているのは、ざっくり言えばオフレコの会話文や本人が言ったとされる台詞部分だ。
具体的に『諸葛亮伝』で言えば「梁父の吟」や「管仲・楽毅」のくだり、三顧シーンでの「天下三分計」は丸ごと挿入しているし(後年の計画から持って来たもの?あるいは創作)、劉備の遺言は根幹は合っているが付け足しがある(公式な遺言なので根本から捏造はできない)。
詳しくはそれぞれの訳のときにまた説明するし、記事にも書く予定。

ともかく、三顧礼の件では
「劉備が諸葛亮を探し回ったという状況だけは現実にあったと考えて良い」
と言っておく。


劉備が亮を探し回ったのは、「諸葛」という姓のせい


『正史』では、諸葛亮の学問上の師匠であった水鏡先生や、同じ先生のもとで学んだことのある徐庶が諸葛亮を
「優秀な人材」
として劉備に推薦したことになっている。
このとき徐庶が、「あいつは気位が高いので呼んでも来るような奴じゃない。あなた自ら行かないと駄目だ」と言ったというのだから、ずいぶん高飛車な人物だ。本当に嫌な感じ。
そこは陳寿の創作だと思うのだが、こういう高飛車な態度がフィクション『演義』にもそのまま投影されて、「孔明は出仕前から天狗」というキャラクターで描かれることになったらしい。
そのわり晩年の記録文は急に現実的となり高飛車キャラが消えうせるため「孔明、晩年キャラ変した?」と言われることになる。

現実は、単に劉備が
「こういう容貌でこういう性格の若い奴を探してるんだけど、名前知らない?」
と探し回ったときに水鏡先生や徐庶が
「それなら彼で間違いないでしょう。うちに学びに来ていました」
「(襄陽から出て、郊外の)あの辺りに住んでいます」
と教えたのだと思う。
特に住処を教えたのは徐庶ではないだろうか?

それにしても、樊城に来たことがあるのにいったい何故、劉備は諸葛亮を探し回らなければならなかったのか?
亮は姓名を名乗らなかったのか?
という疑問が湧くのだけど、必ず姓名は名乗っていたはずだと思う。

しかし……ここからは私の想像だが、おそらく劉備は諸葛亮の姓をヒアリングできず記憶していなかったのでは。
劉備をバカにしているわけではなく、きっと「諸葛」を一度でヒアリングできないことでは当時の誰でも同じだったと思う。
樊城で対面したとき、劉備のほかにも家臣たちがいたはずだが(関羽や張飛ら?)誰も「諸葛」を記憶していなかったのだと思われる。
おそらくは諸葛亮も樊城に行った際、親に伴われて行ったわけではないので常識が分からず、名刺も用意していなかっただろう。
だから劉備は樊城で話した青年の名前が分からず、そのため住所も分からずに地元の人々に聞きまわって捜索したのだと考えられる。

何故、私がこう推測できるのかと言うと、現実に筆者の人生で姓を記憶されない経験がとても多かったので。
ここ日本の戸籍法では姓が変わることがある。私は親の都合などで何度か姓が変わっていて、今は誰にでも聞き取っていただける一般的な姓なのだけど、かつてめずらしい姓で生きた期間があった。
その際、名乗っても相手はほぼ全員がヒアリングできず、確実に
「え? なんて?」
と聞き返された。
しかも何度か名乗って聞き取ってもらえたとしても、次回に会った時には忘れられているという悲しさ。
めずらしい姓には一度でヒアリングされ覚えてもらえる姓と、どうしてもヒアリングしてもらえず記憶に残らない姓とがあるらしい。
たぶん私の姓は後者で、記憶に残りづらかったのだと思う。

おそらく「諸葛」も当時の中華で同じような種類の姓だった。
そもそも二文字の姓というだけでも中華でめずらしくヒアリングしづらいはず。
「諸葛」は今でこそメジャーな姓となったが、当時の中華では地方の豪族の姓に過ぎなかった。諸葛亮の若い頃には、出身地以外の人にはほとんど知られていなかったと思われる。
当然、北方出身の劉備たちは一度も聞いたことがなかった姓だったはずだ。
しかも細かいことを気にしない性格の劉備様、ざっくばらんに「聞き取れないからいいや」と考え確認もせずに会話していただろう。
まさかその後、若者からの連絡が途絶えるとは思わずに。

それで劉備は「こういう奴、知らない?」と荊州中を探し回ることになった。
そんな捜索状況が、『正史』に反映されたものと思われる。

このように捜索があったのもシンデレラに似た状況。
言わば「諸葛」がガラスの靴に相当するな……。笑
(ではなく、残したガラスの靴は「亮」のほうか。下の名だけはありふれているから記憶していた可能性が高い)

阿呆な話を書いて申し訳ない。

まとめ。何故、劉備は亮を捜索したのか?
遠慮なく書けば、劉備は純粋に人格で亮を求めたと言えるのだろう。
世間的な意味での才能を求めたわけですらなかったと考えられる。(もちろん才能も劉備が求めた理由だろうが、才能とは人格に含まれるもの。劉備は、単に知識があるなどの一般的な能力を求めたわけではないと思う)
劉備は高度な眼力を持つ面接官のような人だったから、樊城における初見で諸葛亮の人格を見抜いていたはず。その後の会話で確信したのかもしれない。
捜索し、三顧礼までして迎えに行ったのは劉備にとって亮が伴侶となり得る確信があったからこそだろう。
決して形式に従ったわけではない。


アンチは三顧礼をどう説明しているか


最後に嫌な話を書いて申し訳ないが、この件についてアンチ蜀たちがどう主張しているか紹介しておく。

例。
ある活動家が運営する歴史アフィサイトの説(たぶん渡邉義浩説のコピー):
「劉備は荊州を地盤としてのし上がるためにコネを探していた。
各方面から情報を仕入れ、目をつけたのが諸葛亮だった。
諸葛亮は地元の有力者と姻族にあり、本人も豪族(貴族)だからコネとして最適だった。このため三顧の礼をして迎えた。
したがって、劉備が諸葛亮の才能を求めてスカウトしに行ったなんて真っ赤な嘘!
劉備の人生はコネまみれ。諸葛亮のバックにある豪族との、ズブズブの関係だった」

……いや、C国K産党とのズブズブの関係にあるのはあなた方でしょう。苦笑
この人たちはいつも自分の心の声が漏れてしまうらしい。

いったい、いくらお金をもらっているの? 
赤い国家から金をもらえたら生活安泰だろうね。雨に打たれながらデモするよりは楽に稼げるよな。
そもそも三国志などという閑古鳥ジャンルで、広告収入などアフィで食べていくのはまず不可能だ。だから活動の目的は陰謀工作しか有り得ないだろう。普通に考えれば分かる。

それにしても彼ら、工作員たちの主張には
「陳寿の『蜀志』は100%フィクション! 一つも史実なし! 劉備の遺言も嘘! ぜんぶ嘘!!」
という前提があったはずだから、三顧礼を認めたら自分たちの説を元から否定することになるが。 …気の毒なほどバカなのだろうか。

その前に君らのお仲間の腐女子は
「陳寿も嘘をつくからぁ~ 出師表なんか嘘に決まってるわ! それか、諸葛亮は自分の評価を上げるために『出師表』で自分は三顧礼されたというエピソードを盛ったのよ!」
などと言っている。
正史が嘘なのか本当なのか、どっちなんだよ。笑

矛盾あり過ぎ、愚か過ぎて笑うしかないな。

バカバカしいが論破しておくと、上に書いた通り
裴松之注の異説は史実
だから「劉備はコネ目的で諸葛亮を求めた」という話は否定される。

そもそもコネだけが目的なら、他の若者を求めていたはずだ。
荊州に豪勢な血統を持った若者は山ほどいたのである。
襄陽の親族とも距離を置いて、遺産も僅かしか与えられずに貧しい暮らしをしていた諸葛亮などは、荊州の豪華絢爛な血統を身にまとった若者に比べたら底辺だった。

それに第一、樊城で会話した時点では劉備は諸葛亮を知らなかった。
諸葛の姓すら記憶していない。
姓名さえ把握していない相手のことを、どうしてコネ目当てで捜索するんだ? 嗤
発想が稚拙過ぎて全くお話にならない。

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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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