親族との転生での縁 (DNAと転生の関係)

吉野 圭-Yoshino Kei

前にも少し触れましたが、DNA(遺伝子)と生まれ変わりの関連性についてお話しします。
あくまでも私個人の体験による推測に基づきます。
生物学、遺伝子学とは当然ながら無縁の考えなのでご了承ください。

■DNAが同じボディでも、愛する人の代わりにはならない

「転生というものが本当にあるならば、どうして親と子の性格は似るのか?
やはり魂なんてものは存在せず、人の性格は純粋にDNAだけで決まるのでは?」
という疑問を持たれることはあると思います。

私も同じ疑問を持ったことがあります。
育った環境ではなく、離れて暮らした親子・兄弟でも性格が似るものなので、DNAが性格に影響していることは疑いようもない事実です。

このためやはり思ってしまいがちなのは、
「個性とはDNAのことではないのか」
ということです。

つまり昔の言葉で言うならば、「しょせんは血統。血が全て」ということです。

でも本当にそうなのでしょうか?

我々人類は、長いあいだ「魂の生まれ変わり」を信じてきました。

西欧においても、ある宗教が登場して教義的に否定し弾圧するまでは、「魂の生まれ変わり」という考えを自然に信じていました。むしろ仏教圏よりも素直に。

つまり、「個性」=「魂」という考え方は、人間の自然な本能から発する考えだということです。

だからこそ、愛する伴侶が死んだら代わりにその親族と結婚すればいいなどとは考えないわけです。

もし個性がDNAすなわち肉体に過ぎないのなら、似たDNAを持つ人を代わりとすれば良いだけとなります。
いや、究極を言えば、愛する人のクローン人間を製造すれば、完全にその人を取り戻すことが出来たということになるでしょう。
しかし近い将来、クローン人間の製造ということが本当に実現したとしても、愛する人を求めてそれを実行した人は失望するだけではないでしょうか。
クローンという、完全にDNAが同じボディであっても、それは全く別の人であることにすぐさま気付くであろうからです。
(姿形が同じだけで同じ人なのだと強固に妄想できる方なら、ずっと幸福のなかにいられるかもしれませんが。普通はさらに虚しくなるだけ、寂しさが増すだけでは)

やはり、DNAは決して「その個性を形作っている主体」ではない、ということは人間が本能的に分かっていることです。

ではいったい、「主体」とは何なのか?
そんなものは本当にあるのか?

■肉体は「ハード機器」、記憶は「ファイル」、それらを動かす「何者か」

話がややこしくなってきたので、分かりやすく現代のパソコンに喩えましょう。

まず、肉体を仮に「パソコン」のようなハード機器と喩えます。
それを動かす何者かが、「主体」です。

「主体」は「主体」の能力のうちでしか、パソコンを動かすことが出来ません。
どんなにスペックの高いパソコンを与えられても、主体の能力に適合しなければ無駄となってしまいますから、主体は自分の能力に相応しいスペックレベルのパソコンを選びます。

(ここは無限に何でも買える世界ではなく、自分が買える範囲のパソコンしか買えません。たとえばポイント制のようなもので、過去にした仕事に応じてポイントが与えられ、そのポイント内で買えるパソコンしか買えないようです)

さて、「主体」が過去に貯めたポイントで買える範囲で、どうにか能力に適合したパソコンを手に入れたとします。

ただそれだけでは空っぽの箱に過ぎないので、さらに現実の仕事や遊びなどをするため、アプリケーションをインストールする必要があります。

好みのアプリを入れれば良いわけですが、このアプリ選びに「主体」の個性が出ます。
当然ながらパソコンのスペックに応じて、インストール出来るアプリも限られてきます。好みとスペックの複合でアプリが決定され、インストールされていきます。

ここから新・パソコン生活のスタートです。
新品のパソコンなので、起動時には過去のデータはありません。
(データは旧パソコンが壊れる前に、クラウドに保存してあります。必要ない限りこのデータはクラウドからダウンロードされません)
しかし実際にそのパソコンを動かし、現実にデータを蓄積していく際には、「主体」の個性が表れます。
結果、後でクラウド上のデータと現データを照らし合わせたら、継続した個性が表れていることでしょう。

■パソコンの話を転生の話に戻して考えると

……そろそろ転生の話に戻します。

■「パソコン」→「肉体」
「パソコンのスペック」→「DNA」
■「主体」→「魂」
■「ポイント」→「魂の過去生での経験値」
■「アプリ」→「魂が個性を現実化していく手段」

こう読み替えてみていただければ、なんとなくDNAと魂との関係性が想像できるのではないかと思います。

 ※あくまで想像上の喩えなので、前に書いた喩えと若干違っていたらお赦しを

つまり、「魂」は自分に合った「DNA」というスペックを持つ肉体を選んで生まれて来るということ。
同じ「DNA」を持つ親族同士、個性が似通ってしまうのは、過去に積んだ経験値が似ている魂が一つの家系に自然と集まるからです。もちろん上の喩えで言えば「パソコンの利用目的」、つまり今世で何をしたいかという「志」も、根本的に家系の選択に関わっています。

(占星術のホロスコープとも同じ仕組みです。ホロスコープが当たるのは、魂が自分に合った時と場を自ら選んで生まれて来るからです。それと全く同じことがDNAにも言えるらしい)

だからよく、
「能力は結局は血統で決まるんだ」と僻んだり
「DNAの良い家系に生まれて、羨ましい。憎たらしい」
などと他人を妬んだりする人がいますが、それは間違い。

自ら過去に積んだ経験と選択の結果、今そこに生まれるしかなかったわけなので、他人を妬むのはお門違いと言えます。

■親族との関係は? 前世からの縁なのか

ところで私個人の体験に基づいて付け加えれば、親族とは前世からの縁があることも多いようです。

私は今まで似たような種類の血族に2回ほど生まれ変わっています。
同じ魂たちの集まりとは限りませんが、種類としては似ています。

具体的に言うと、貴族的・名門等と呼ばれる家系に生まれています。
(「前世で私は貴族さまだったの~♪」などと妄想を主張したいわけではなく、現世も含めて2回ということです。前世のことは皆様いかようにも否定できるでしょうが、今世の事実まで否定することは不可能かと)

これは私がある人生において孤児だったときに、貴族的な家柄の方に拾われて育てられ、その方が私を親族として招き入れてくださったことからの縁のようです。

仮に「スペック」と「ポイント」「志」が適合したとしても、このような縁がなければ、ある一族(ある種類の魂の系統)の仲間に入ることは不可能なのかもしれません。

その意味で、今生まれている親族との縁は貴重で“有り難し”ものであるはずです。

//ちなみに私は若いころ自分の親族を非常に嫌っていました。でも、この前世の縁を知ってから考えが変わりました。今の親族とは過去の出会いという奇跡的な縁に基づくもの。以降、親族の存在も有り難いと思うようになったものです。
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Posted by吉野 圭-Yoshino Kei
スピリチュアル前世


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