-
・translate 翻譯
前記事、ロンブー亮が嘘をついていたことに怒った件、あまり興味を持たれないかなと思ったら意外とアクセスが高い。

あの後何点か追記したからご確認のほどお願い致します。
志らく氏の『謹慎処分の芸人ら謝罪文をバッサリ「被害者に対して誰もわびていない」』を読み、そう言えば私も記事で被害者に触れた箇所はカットしてしまったと思い出し改めて書き足しておいた。
詐欺で稼いだ金を受け取ったことは罪。被害者に謝罪すべき。
そんなことは言うまでもない当たり前の話だと思ったのでカットし、亮が嘘をついて名を汚したことについてのみ怒りを強調したのだが、「被害者に対して謝らなくて良い」と述べているように誤解されたら不本意だ。


ところで私がこの種の、犯罪や道徳に触れる話をするとけっこうアクセス高いのだけど何故?
やはり私が「狭量と言われる」などの話は興味あります?

相変わらず、
「ルールに厳しい」
「杓子定規」「狭量」
などというイメージが強いのだろうね。
これは前世云々という異次元の話を抜いて、純粋に今の私に限っても同じ。
子供の頃から真面目な優等生・学級委員長的なレッテルを貼られがちだったので仕方ない。

でも、冷静に観て欲しい。
私はそんなに小さなルール違反に怒ってばかりいるかな?
現実そうでもないと思うのだけどなあ。

前にも書いた通り、私が怒るのは表面的なルール違反や礼儀などではなくて
「人としての道義違反」
のみだ。

 前に書いた記事 →今も、「狭量」「厳しい」と言われること。ちゃんと生きて欲しいだけなのに

あり得ない嘘をつく・他人をないがしろにして私腹を肥やす・下位の人や子供を虐待する・拷問や殺戮を賞賛する、虐殺王をヒーローと崇める・事実あった虐殺を無かった(その逆)等と歴史捏造する・未必の故意で軍隊を全滅に追いやる、妙なセミナーや宗教にはまって家族(特に子供)を危機に追いやる……等々、
猿にも劣る非人道的な犯罪者、つまり「人でなし」に怒っているだけだけどね。

※なお私は「本質の道義・人道=法律」であって当然と思っているため、「法は守るべき」と主張している者。前も書いた通り、現代の法律が道義にかなっていないように見えるのは運用者のせい。

「年下なのに敬語を使わなかった」
「下位の者が上位者へ意見した」
などという、ごく浅い表面的な礼儀違反などは本当にどうでもいい。
日本人が目くじら立てがちなそういった表面的な話はつくづく、くだらないと思う。
年下だろうが目下だろうが、正当であるなら意見していっこうに構わないはずだ。
フラットでいこう。
(ただし、他人の人格を踏みにじる目的の、筋が通らない悪口は人道に反するから許されない。日本人は「対等な意見」と「ただの悪口」の区別がついていない。だから何でも言っていいしやっていいと思っている、嘘つきも殺人も許すのが「公平」だと勘違いしているお子様が多い)

言葉遣いなどの遥か以前に、どうしてもっと本質的な道義違反に怒る人が少ないのか理解不能過ぎる。

古代、「正義」はとてもシンプルな基準で考えられていたはずだ。
「人道に反するかどうか」。
ただそれだけ。
そして人道に反した行いをした者には同等の報いが与えられる。
それが公平というもの。

ところが近現代、人道に反する者たちが嘘偽りの「正義」の旗を掲げたので「正義」という言葉が使えなくなってしまった。
「右の頬を打たれたら左の頬を出すべきだ」
「罪を犯した者を愛せ。快楽殺人者も無罪放免にし、自由に殺人を愉しませろ」
と説く。
殺された被害者の命のほうは、とてつもなく軽い。空気よりも軽い。
そのいっぽうで、礼儀違反や言い間違いなどの小さな罪を犯した者は過剰に叩く。
冤罪で苦しむ人のことは「疑わしきは罰せよ」と叫び、証拠捏造してまで死刑にしようとする。

「正義」という言葉が汚されて作り変えられてしまった結果、犯罪者たちがお互いを守り合うだけの社会になってしまった。

もう一度、人類原始の道徳観念を蘇らせたい。
悪いものは悪い。
嘘をつくな。
盗みをはたらくな。
無実の人を殴るな、殺すな。
それらシンプルな基準を蘇らせるべきだ。

でなければ国家が滅ぶし、人類が滅ぶよ。何度も書くが。

人として最低限の道義さえ通らないこの地上は既に生きる価値のない場になりつつある。
関連記事

吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com

 カウントは2014年頃から、お休み期間もあり