2019
Jul
10
-
「伝書鳩」は自分自身に生まれ変わるシンボル (すたくろさん解釈に唸った)
久しぶりにサビアンシンボルの解釈サイト「すたくろ」さんへ伺い、伝書鳩のシンボルを読んで唸っていた。
⇒Code.no 142 獅子座22度 伝書鳩
※「サビアンシンボルで、お奨めのサイト」とはこちら↑です。以前に紹介した記事は整理のときに削除してしまったため行方不明になっていました。リンク切れでご迷惑おかけしました
「獅子座22度 伝書鳩」は、筆者の太陽シンボル。
と書くと、ほぼ誕生日ばれてしまうけど。
(お願い: 私は自分の誕生日をほとんど公開していているようなものですが、どうかネット上でテキスト文字にて私の生年月日を書かないようお願いします。生年月日は重要個人情報なので、書き込んだ方へ法的責任が生じます)
「すたくろ」さんは独特な切り口から表現をされるので面白い。
オーソドックスな解釈に縛られない自由さと深さ、そして全シンボルについてネガティブなことを書かないのが凄いなと思う。
自分の太陽シンボルは長年親しんできただけに、逆に見落としていたこともありこちらの解釈にハッとさせられた。
若い頃の自分には思い当たるふしのある言葉だ。
最近この気持ちを忘れかけている気がする。自戒のために引用させていただく。
⇒Code.no 142 獅子座22度 伝書鳩
※「サビアンシンボルで、お奨めのサイト」とはこちら↑です。以前に紹介した記事は整理のときに削除してしまったため行方不明になっていました。リンク切れでご迷惑おかけしました
「獅子座22度 伝書鳩」は、筆者の太陽シンボル。
と書くと、ほぼ誕生日ばれてしまうけど。
(お願い: 私は自分の誕生日をほとんど公開していているようなものですが、どうかネット上でテキスト文字にて私の生年月日を書かないようお願いします。生年月日は重要個人情報なので、書き込んだ方へ法的責任が生じます)
「すたくろ」さんは独特な切り口から表現をされるので面白い。
オーソドックスな解釈に縛られない自由さと深さ、そして全シンボルについてネガティブなことを書かないのが凄いなと思う。
自分の太陽シンボルは長年親しんできただけに、逆に見落としていたこともありこちらの解釈にハッとさせられた。
若い頃の自分には思い当たるふしのある言葉だ。
最近この気持ちを忘れかけている気がする。自戒のために引用させていただく。
「気づき」のメッセージを受け取り伝えていく・啓発の人
Keyword・エネルギー
「啓示」「啓発」「奉仕」「貢献」「努力」「忍耐」「メッセージ」「愛と平和」
…略…
この度数の人の特徴
・善意に溢れた人。
・建設的な人。
・目標に向かって邁進できる人。
・損得勘定抜きで人のために貢献する道を選べる優しい人。
この度数のエネルギーを使用している時
・自己啓発的な教えや教訓を人々に伝えているとき。
・洗脳された人を現実に連れ戻す力を発揮しているとき。
・自分の時間を犠牲にして人々に協力しているとき。
「愛と平和」「善意に溢れた人」「人のために貢献する道を選べる優しい人」かあ。……耳が痛いお言葉。
「平和」を叫ぶ資格が自分にあるのかどうか昔から疑問なのだが、何故か平和主義のイメージで見られることは多い。
「貢献」については今、できているのかどうか疑問。
「善意」もどうなのかな……悪いことを全く考えていないことは確かだけど、自分を善の人だと考えたことはない。人として普通でありたいと思うだけだよな。
でも、私が憧れるのは確かに上で書かれたような世界だ。
最近は忘れかけていたが。
伝えても伝えても届かないメッセージ、腐敗して悪意ばかり膨らんでいくばかりの地上に嫌気がさして早く高く飛びたいと思う日が増えた。良くないな、本当に。
ルディアの解釈でこのシンボルは
「使命を果たす伝書鳩」
であり、「使命を果たす」というところが若い頃はとても響いた。ちょうど、「役目がある」というメッセージを受け取った頃だったので。
お役目を終えなければ自分は帰れないのだろう。
あるいは元の場所へ帰るために長く飛び続けることでお役目を果たすか。
でもあまりにも長く低空飛行し過ぎて、少し疲れつつあった。
もう少し引用。太字は当ブログ筆者による注目ポイント。
「本来の自分に戻る」、
確かにそれが私の人生テーマだった。
若い頃は分からなかったけど、今は分かる。
正直、この人生の始まりは前世晩年のトラウマがあまりにも深過ぎて、微塵も自信などなかったし消えたいとばかり思っていた。(あれだけ賞賛されたのに信じられないでしょうが。絶大な賞賛は逆に徹底した自己否定を生むのか)
分厚い殻の中に閉じ篭もって目を閉じて震えていた感じ。それを子供の頃の私は、「氷に閉じ込められている」と表現していた。
むろん、「自分らしさ」など表に出してはいけないものだと思っていた。
本当の自分がばれたら殺される・消されるという恐怖が何故か強くあり、自分らしく生きるという選択肢があることさえ思いつくことができなかった。
――何故、そんな不可解な恐怖を抱いていたのか。理由は『僕が見つけた前世』で詳しく書いています
今から思えば、恐怖を抱いて当然だった。
前世で生きていた頃もまあまあ壮絶に耳目を集め、「生きた心地もしなかった」というのが本音なのだけど、遥か未来でこんな事態になっているとは夢にも思わなかった。
今はまた前世以上の危険な地雷の上を飛んでいるのかもしれない。
でも今になって深く、
「もといた場所へ戻る」
ということが理解できるようになってきた。
現実に前世で生きた地へ戻るという意味ではないし、前世のような人生を送るという意味でもない。当然に現実人生も平凡なまま変わっていないのだが、精神世界はもうほとんど昔の場所へ帰っている。
だんだん、前世の精神世界から抜け出せる日が少なくなっている。
同時に、自己信頼という意味での自信も取り戻してきた。
人生の後半になってからで遅いのだけど、ようやく今、「自分らしく生きよう」という叫びが心に響いている。
若い頃ヘルマン・ヘッセの小説にはまったのは「自分らしく生きよ!」という強いメッセージに救われたからだ。
『デミアン』はよく誤読されているようにニーチェの影響で書かれた小説などでは全くなくて、当時流行していたニーチェを揶揄しつつ、モチーフを借りただけのことだろう。(実際ヘッセはニーチェの著作について「わずかも理解できなかった。何故、皆があの著作をもてはやすのか分からない」と言っている)
むしろインドに馴染み深いヘッセらしく、仏教の影響のほうが強いと感じる。
「閉じ込められた少年たちよ、再び自分自身へ生まれ変われ!」
という激しく人間的な愛のメッセージだ。
実は、「アプラクサス」とは本来の自分自身のこと。
神でもある自分の中の核心を目指すには、分厚い殻を破壊してもう一度生まれ変わるほどの勇気が必要だ。
「自分自身へ生まれ変われ」
とは「生きろ!」と同義の言葉で、命への賛歌でもある。
氷の世界で呼吸ができず死にかかっている少年少女へ、ヘッセは第二の親として命を吹き込んだ。
私も彼のおかげで息を吹き返した一人。
『デミアン』を読みながら一ページごとに泣いてしまったのは、この第二の親である人の膨大な愛を受け取ったからだった。
今思えば、『デミアン』のメッセージは『伝書鳩』に似ていた。
確かに私は今、神の住まう故郷(自己の核心)へ向かって飛び続けている。
続き。>>他の惑星シンボルについても引用させていただきました
「平和」を叫ぶ資格が自分にあるのかどうか昔から疑問なのだが、何故か平和主義のイメージで見られることは多い。
「貢献」については今、できているのかどうか疑問。
「善意」もどうなのかな……悪いことを全く考えていないことは確かだけど、自分を善の人だと考えたことはない。人として普通でありたいと思うだけだよな。
でも、私が憧れるのは確かに上で書かれたような世界だ。
最近は忘れかけていたが。
伝えても伝えても届かないメッセージ、腐敗して悪意ばかり膨らんでいくばかりの地上に嫌気がさして早く高く飛びたいと思う日が増えた。良くないな、本当に。
ルディアの解釈でこのシンボルは
「使命を果たす伝書鳩」
であり、「使命を果たす」というところが若い頃はとても響いた。ちょうど、「役目がある」というメッセージを受け取った頃だったので。
お役目を終えなければ自分は帰れないのだろう。
あるいは元の場所へ帰るために長く飛び続けることでお役目を果たすか。
でもあまりにも長く低空飛行し過ぎて、少し疲れつつあった。
鳩の帰巣本能
もう少し引用。太字は当ブログ筆者による注目ポイント。
かつての通信手段としてなるほど。
使用されたいたのが伝書鳩。
なんでも伝書鳩は
メソポタミア文明の頃から
使用されていたという記述があるそうです。
1000Kも離れた遠くの場所で放しても
自分が住んでいる場所へと
飛んで戻ってくる鳩の習性を利用して
情報を伝達してたんですよね。
「帰巣」とは
見知らぬ場所から
自分のテリトリーや生まれ故郷に戻る行動のことで
生まれ持っての
本能的なナビゲーションシステムのようなもの。
……
「もといた場所へ戻る」
つまり
それは
本来の自分に戻ることを意味してたりもして
「本来の自分に戻る」、
確かにそれが私の人生テーマだった。
若い頃は分からなかったけど、今は分かる。
正直、この人生の始まりは前世晩年のトラウマがあまりにも深過ぎて、微塵も自信などなかったし消えたいとばかり思っていた。(あれだけ賞賛されたのに信じられないでしょうが。絶大な賞賛は逆に徹底した自己否定を生むのか)
分厚い殻の中に閉じ篭もって目を閉じて震えていた感じ。それを子供の頃の私は、「氷に閉じ込められている」と表現していた。
むろん、「自分らしさ」など表に出してはいけないものだと思っていた。
本当の自分がばれたら殺される・消されるという恐怖が何故か強くあり、自分らしく生きるという選択肢があることさえ思いつくことができなかった。
――何故、そんな不可解な恐怖を抱いていたのか。理由は『僕が見つけた前世』で詳しく書いています
今から思えば、恐怖を抱いて当然だった。
前世で生きていた頃もまあまあ壮絶に耳目を集め、「生きた心地もしなかった」というのが本音なのだけど、遥か未来でこんな事態になっているとは夢にも思わなかった。
今はまた前世以上の危険な地雷の上を飛んでいるのかもしれない。
でも今になって深く、
「もといた場所へ戻る」
ということが理解できるようになってきた。
現実に前世で生きた地へ戻るという意味ではないし、前世のような人生を送るという意味でもない。当然に現実人生も平凡なまま変わっていないのだが、精神世界はもうほとんど昔の場所へ帰っている。
だんだん、前世の精神世界から抜け出せる日が少なくなっている。
同時に、自己信頼という意味での自信も取り戻してきた。
人生の後半になってからで遅いのだけど、ようやく今、「自分らしく生きよう」という叫びが心に響いている。
「伝書鳩」とヘッセの励まし
若い頃ヘルマン・ヘッセの小説にはまったのは「自分らしく生きよ!」という強いメッセージに救われたからだ。
『デミアン』はよく誤読されているようにニーチェの影響で書かれた小説などでは全くなくて、当時流行していたニーチェを揶揄しつつ、モチーフを借りただけのことだろう。(実際ヘッセはニーチェの著作について「わずかも理解できなかった。何故、皆があの著作をもてはやすのか分からない」と言っている)
むしろインドに馴染み深いヘッセらしく、仏教の影響のほうが強いと感じる。
鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。これは翻訳すればただ、
『デミアン』より引用
「閉じ込められた少年たちよ、再び自分自身へ生まれ変われ!」
という激しく人間的な愛のメッセージだ。
実は、「アプラクサス」とは本来の自分自身のこと。
神でもある自分の中の核心を目指すには、分厚い殻を破壊してもう一度生まれ変わるほどの勇気が必要だ。
「自分自身へ生まれ変われ」
とは「生きろ!」と同義の言葉で、命への賛歌でもある。
氷の世界で呼吸ができず死にかかっている少年少女へ、ヘッセは第二の親として命を吹き込んだ。
私も彼のおかげで息を吹き返した一人。
『デミアン』を読みながら一ページごとに泣いてしまったのは、この第二の親である人の膨大な愛を受け取ったからだった。
今思えば、『デミアン』のメッセージは『伝書鳩』に似ていた。
確かに私は今、神の住まう故郷(自己の核心)へ向かって飛び続けている。
続き。>>他の惑星シンボルについても引用させていただきました