政治思想的な内容なので、G神様からペナルティを受けないために用語を濁しつつ書きます。
現代日本では残念ながら、「人道主義」「平和主義」を叫んでいる者たちの正体が左翼(K産主義者)であることがほとんどです。
2015年に安保法制反対・護憲デモをやり世間を騒がせた学生団体も、やはり左翼団体だったことが後に確定。(選挙で堂々とK産党を応援した)
沖縄でデモをしている団体も同じ。メディアが映さない所ではもっと露骨に極左の暴力団体。
そんな暴力愛好家の凶暴団体が、「民主主義」や「平和主義」「人道主義」「弱者救済」を叫んでいるから腹が立ちます。
嘘も甚だしい。
もし「民主主義愛」や「平和主義」が本当なら、まず自分たちの親であるC国を民主主義化し、軍備を放棄すべきです。
当然ながら左翼たちはそんなことはしません。
彼らの主張は嘘でしかないので。
仮に日本の左翼が政権を執り国を支配すればたちまち「主義」を翻し、民主主義を禁じて一党独裁化、人民を殺すための軍備を強化。「人道」「弱者救済」を叫びながら、銃を持ち人民を殺戮するなどの蛮行に明け暮れるでしょう。
C国政府が今、そうしているように。
K産主義者は堂々と嘘がつけるという特技を持ちます。
どうやらK産思想は、「嘘をついていい」「嘘をつくことが正義」と教える思想のようです。
だから口では反対のことを叫びながら、手は蛮行をし続けることが可能なのです。
(当然、歴史捏造も朝飯前。三国志ジャンルで行われている通り、歴史を歪める嘘を吐くことなどK産主義者たちにとって呼吸するより簡単です)
看板を奪われた人々
問題はK産主義者ではなく、本当に心から平和を願い、人道が叶うことを願っている人々です。
今、「平和主義」や「人道主義」の看板はこの暴力愛好家の左翼たちに完全に奪われてしまいました。
このため現代日本で平和を願ったり、弱者(マイノリティ)救済を願えば「左翼」のレッテルを貼られます。
あるいは、叫んだ時点で左翼団体のメンバーが笑顔ですり寄って来ます。同じ志の仲間だと信じてしまったら利用されます。
現在、左翼たちは本心から善行をしたいと願っている人たちを騙してメンバーに引きずり込んだり、芸能人やブロガーなどを広告塔にする工作を行っているのです。
(筆者も本性は平和主義・人道主義であるため、何度か勧誘を受けたことがありました。蹴散らしましたが)
この工作に騙されて左翼の操り人形となってしまう人たちを、よく見かけますね。
五十代以下の人たちはもう学生運動のことを知らないため、あっさり罠にかかり左翼団体の言うなりになってしまうようです。
芸能人には左翼の操り人形になる人がとても多いですし、ツイッターで「平和デモ」に参加した若い人にも多いようです。
この人たちは左翼がとても危険で凶暴な集団であること、過去に殺戮をたくさん行ってきたことも知らず、
「K産主義は善、イイ人たちの思想♪」
という勘違いを本気で信じて夢見ているようです。
このように詐欺に引っ掛かり操り人形になる人たちを、デュープスと呼ぶそうです。
騙されやすい人、間抜けな人を指す英語。 特に、K産主義者でも無く、K産党員でも無いのに結果的にK産党やソ連と同様の主張をしてしまい意図せずK産主義者の味方をしてしまう人たち、そういう芸能人、アスリート、学者、政治家、文化人などのことをDupes(デュープス)と言う。左翼に騙され、反原発セミナーやデモに参加するなどしてK産団体に加入してしまった人は既に犯罪者の仲間入り。
Wikipedia - ウィキペディア
気の毒だが同情の余地はありません。向こう側の仲間と見て批判して良いと思います。
ただ団体に加入してもいないのに、単に平和主義や人道主義を叫んでいるだけの人々を「デュープス」と呼んで責めることは違うのでは、と思うのです。
何故なら彼ら彼女らは本当にただ善意からそれを叫んでいるに過ぎないからです。
本心では微塵も「弱者救済したい」などとは思っていないのに嘘をついているK産主義者たちとは違います。
>K産党員でも無いのに結果的に共産党やソ連と同様の主張をしてしまい意図せずK産主義者の味方をしてしまう
のは、デュープスたちが左へ寄って行ったのではなく、初めからあった「平和主義」「人道主義」の看板をK産主義者たちが奪っただけのことです。
悪いのは他人の看板を奪ったK産主義者たちであり、デュープスと呼ばれる人々ではありません。
元々、平和主義や人道主義は人類にとってなくてはならないものです。
この義が奪われてしまったら殺戮や暴力したい放題、蛮行することを目的として生まれてきた者たちの天下です。
――実はこれが今、蛮行をする目的で生きているK産主義者たちの狙い。
看板を奪うことで、「平和主義」「人道主義」を封じる。
普通の人たちがその言葉を叫ぶことを妨げて、「平和」「人道」そのものの概念を潰してしまう。
オーウェル『1984年』で描かれた通り、言葉の意味をすり替えて変質させてしまうことで、その言葉そのものを殺す謀略なのです。
だから今、「平和」や「人道」を叫んでいるというだけの一般人を叩いている右翼の皆さんこそ、奴らの謀略に見事に引っかかっていると言えます。
つまり、本当のデュープスはネトウヨなのです。
言葉を殺さないために
「平和」「人道」という言葉を殺さないために今、どうすべきか?
言葉の表面だけを見ないことです。
表面的なレッテル貼りで、仲間同士、叩き合わないことです。
それこそ左翼たちの思うツボ。
(左翼は我々一般人が仲間割れして自滅するときを待っています)
だからそろそろ、新しい看板を立てましょうよ。
「K産主義ではない平和主義」※
「K産主義ではない人道主義」
――これ「ネオ人道主義」とでも名付けますか?
「ネオ」という言葉自体がもう古いかな。笑
ネオと言うより真実の。
「真・人道主義」という言い方が正しいのだけど、これだとちょっと宗教臭い。
もっとお洒落な名前があったらご提案ください。
※追記。私が言う「平和主義」とは単純な「護憲主義」とは違いますので勘違いなさらぬよう。平和を守る、という意味での平和主義であり、「今のまま侵略され殺されるのを待つべきである」との自暴自棄な考えではありません。
今この国際情勢下で日本が護憲し続けることは、戦略上不可能と私は思います。理念として平和を掲げつつも、防衛は手を抜かない姿勢を貫くため国民の手による改憲は必要でしょう。
まとめ
傷付けられているマイノリティの人たちを救ったり、平和に生きたいと願うのは人間として当たり前のこと。
こんな当たり前のことを叫んだだけで「左翼」のレッテルを貼られ言論を封じられる現代は、絶対に間違っている。
しかし
あれは左翼、これはカルト宗教、、
……という感じで。
現代は危険な団体で溢れているため皆さん迷われていることでしょう。道を選ぶことさえ出来ない悲しい世の中です。
そんな迷える多くの善良な人たちを新たな看板で救うべきでは? とふと思いました。
この記事に書いたことはメモに過ぎませんが、賛同してくださる方がいたら嬉しく思います。
(と言っても私が政治家として新党立ち上げるとか、そんなつもりは毛頭ありませんので悪しからず。あくまでもコミンテルンと一般人を分けるための新看板のご提案です)