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プラトンの予言、民主主義の末路

しばらく仕事を控えまして、読書に勤しむことにしました。
数年ぶりに仕事以外の本を罪の意識もなく読んでいます。

それで以前いただいたメールをきっかけに購入し、積読となっていました佐々木毅『プラトンの呪縛』をようやく読み始めました。 98年の出版だそうで、私にはかなり興味深いジャンルなのですが未読でした。
 読書感想はこちら。⇒佐々木毅『プラトンの呪縛~二十世紀の哲学と政治』感想

読書家の方々は「今さら読んでいるのか……」と呆れられることでしょうが、2015年の今だからこそ読み返してみると面白いかもしれません。
冒頭からメモしたくなることで一杯です。


プラトンが民主主義を舌鋒鋭く批判したことは有名です。このために20世紀前半には共産主義の創始者だの、ファシストだのと呼ばれていたそうです。実際、ナチスにも利用されたのだとか。
(私はプラトンが共産主義者に利用されたことは知っていましたが、明確にファシスト扱いされたことがあったとは知りませんでした。P40、「プラトンは結局のところ、ファシストだったのである/雑誌ジャーナル・オブ・エジュケーションからの引用」という文句にはそこそこの衝撃を受けました)


確かに、プラトンの著作は全体主義に偏っていて、ファシズムと言われればそう読むことも可能に思えます。

正直に言えば私もプラトンの著作は生理的に受け入れることが出来ず、若い頃『国家』『法律』を読んで気分が悪くなった記憶があります。私は、これらの著作物は全てプラトン本人が書いたものではなく後世の人が書き足しているのではと疑いを持ち、以降読むのをやめたのですが。※上記の本を一通りは読んだが他の著作を追いかけることはしなかったという意味
ただし、「哲人王の統治による理想国家」と「僭主批判」「民主主義批判」に関しては妙に筋が通っていて共鳴出来ると思いました。

なおよく勘違いされますが、「哲人王」は暴虐な独裁者のことではないです。
「哲学を身に付けた者が王となるべし」、ということで、東洋では「徳の高い賢王が国を治め民を率いること」と言ったほうが理解しやすいですね。(ちょっと違うかもしれませんが、初めての方へニュアンス的に説明するなら)

民主主義への批判についても、もう少し冷静に読むべきと思います。
近現代人は「民主主義批判」と聞いただけで反射的に嫌悪するものです。
だからすぐに「プラトンは破壊的思想の持ち主で、危険人物だ」と言いたくなる。
ところが、つい先日のギリシャにおける国民投票の結果※を見て、苦笑しつつ
「あー……なるほど。プラトンが言ったのはこのことか。確かにプラトンが言う通り、あの人たちには民主主義は無理だったんだな。笑」
と納得した人は少なくないはず。
特に最大の迷惑を被ったドイツ人はその想いを強くしたのではないでしょうか。

※2015年ギリシャにおける国民投票の結果: ギリシャはEUが求めた財政緊縮政策を、国民投票で圧倒多数により「NO」と言った。自分に甘いために財政破綻に陥っている本人たちに投票させてもこうなるのは当たり前…。2015年ギリシャ国民投票

プラトンという人物は形而上の神秘のベールに包まれているように感じます。だからつい、マルクスやナチスなどの尊大な思想に結びつけたくもなります。(追記 形而上なのにマルクス的と言うのは謎ですが。共産主義は反形而上でなければならない)
でも冷静に現実を見てみれば、プラトンは本当はもっと身近で具体的な危機感を示したかっただけのような気がしてきます。
プラトン曰く「民主主義はヤバい」とは、2015年ギリシャの国民投票くらいに単純な現実に過ぎなかったのではないか、などと。


近ごろ私も第二次大戦のドキュメントを眺めていて思うのです。
あの中の悲劇の多くが、民主主義(共産主義含む)でなければ止められていた可能性がありました。
アメリカ大統領は議会を意識して日本に原爆を落とすことを決定せざるを得なかったし、日本は民意を意識して無謀と分かっていた戦争を続けるしかなかった。そして、そもそもドイツは民主主義でなければヒトラーを生まなかった。……etc.
無論、民主主義でなかったとしても止められない戦争はあるでしょう。いつの時代でも戦争とは民意が起こすものです。
ただし民主主義以外の政権では、爾後の様々な判断を専門家が行います。
(共産主義を除く。共産主義では専門家が判断しない点、民主主義に類似する。いや僭主制か)
少なくとも軍事のプロは「兵糧が確保出来ない戦闘」を必ず中止・軍を撤退させますし、政治のプロは勝利不可能を悟ればかなり早い段階で交渉または降伏するでしょう。
プロが素人である民に翻弄され、民の顔色ばかり窺い迎合しているから先の大戦のようにストップ出来ず、大量の人命が奪われる。

(システムとしての手続きが未熟な)民主主義は、安全装置のない単純設計の爆薬が大量に詰まった倉庫のようなもの。だからいったん火がつくと誰も止められず暴発し続けるのかもしれません。


暴発だけではなく、今もっと恐ろしいのは自由という名の「我がまま」「怠惰」「無知」「無関心」です。

上の本で引用されていたプラトンの言葉が、恐ろしいほど現代を予言しています。
 思うに、民主制の国家が自由を渇望したあげく、たまたまたちのよくない酌人たちを指導者に得て、そのために必要以上に混じりけのない強い自由の酒に酔わされるとき、国の支配の任にある人びとがあまりに抑制的で、自由をふんだんに提供してくれないような場合、国民は彼ら支配者たちをけしからぬ連中だ、寡頭制的なやつだと非難して迫害するだろう。……
 他方また、支配者に従順な者たちを、自分から奴隷になるようなつまらぬやつらだと辱めるだろう。個人的にも公共的にも賞賛され尊敬されるのは支配される人びとに似たような支配者たち支配者に似たような被支配者たちだということになる。このような国家においては、必然的に、自由の風潮はすみずみにまで行きわたって、その極限に至らざるをえないのではないかね?……
 そしてこの同じ風潮は、友よ、個人の家々のなかまで浸透して行って、ついには動物たちに至るまで、無政府状態に侵されざるをえないことになるのだ。
 たとえば、父親は子供に似た人間となるように、また息子たちを恐れるように習慣づけられ、他方、息子は父親に似た人間となり両親の前に恥じる気持ちも恐れる気持ちももたなくなる。自由であるためにね。(略)
 このような状態の中では、先生は生徒を恐れて御機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し……、若者たちは年長者と対等に振る舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて面白くない冗談だとか権威主義だとか思われないために、若者たちを真似て機知や冗談でいっぱいの人間となる。……
(略)  ……彼らは君も知るとおり、最後には法律さえをも、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになるからだ。絶対にどのような主人をも、自分の上にいただくまいとしてね。

【P21-22 上の本からプラトンの著作引用を再引用。(略)と、太字は当ブログ筆者による】


私はこの本を読み始めたばかりなので結論は知りません。
ただ、いかなる結論であろうとも、著者・佐々木氏が引用した上の箇所は現代そのままを示唆していることは確かです。
難しい哲学などに興味がない人でもスパッと理解できるほど、隠喩も何もない、ものすごく単純な事実として。

もちろん、現代に似ている箇所を引用したことは著者の意図によります。
ところが末尾の引用(最後には法律さえをも、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになる)は、不思議なことに現代日本への予言となってしまいました。

おそらく、これからもプラトンの予言は当たり続けるだろうと思います。

★重要★ 私は反民主主義者ではないので誤読しないでください。 この記事の補足 >>筆者スタンス補足。民主主義か、独裁主義か?

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他で書いた通り、筆者は民主主義を「絶対的な悪」と考えている者ではありません。
転載しておきます:
民主主義自体の根本が悪なのだとは私は思いません。
民主主義は素晴らしい。 
言論の自由と人権の尊重という理念は人類が勝ち得た最高の宝物。
人類はこの宝を失ってはならないと思います。
だけど今のままの民主主義では駄目。

本当の意味で民主主義が機能するためには、前提として教育が不可欠ですね。
「教育」と言っても知識を詰め込むものではなくて、道義の教育。
もちろん宗教を押し付けるのでも絶対に駄目で、自分の頭で考えて何が正しいかを導き出すための教育です。
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