-
・translate 翻譯
このあいだテレ東『ハイパーハードボイルドグルメ リポート』を観て、ちょうど『もの食う人々』を思い出していたところ。
今日は偶然にも目を留めたEテレで、辺見庸氏が小説『月』について独り語るのを聴いている。

関心の向けどころが違うのかもしれないが、さすがに言葉のプロだなあと尊敬の念を抱いた。
インタビューも無いのに独り淡々と静かに、しかし淀みなく流れるような語り口が心地よい。楽器の独奏にも似ている。
内容は重苦しいが……。

小説の有用性、意義


辺見氏といえばジャーナリスト出身のノンフィクション作家というイメージが強い。
その人がフィクション小説の意義を次のように語っていて感銘を受けた。

「ノンフィクションは、死者や動物などに語らせることはできない。
しかし小説は死者や“意識がない”とされる植物や動物に語らせることができる。また、空間や時系列に縛られることもない」
「我々の世界は時系列に従って整然とできているわけではない」
(記憶による要旨なので正確な引用ではありません。以下同じ)

つまり、フィクション小説のほうがむしろ真の意味でリアルであるということ。
確かにそうだと思う。
空間や時系列に縛られず、死者も植物も語り出す小説世界は現実の我々の思考に近い。

歴史や事件の当事者側にしてみれば、他人である作家の勝手な空想が入り込むフィクション小説はどれほど上手に書けていても
「事実と異なる」
代物になる。
だから当事者にとっては他人が書いた小説というだけで凌辱に等しい犯罪、ということになるので、なるべくなら現実の人物名などを使った小説は書かないで欲しいと願う。

ただ事件から着想したのみで人物名などが一からフィクションであるなら、正当で素晴らしい文学にもなるだろう。
架空世界として小説に閉じこめた時点で、作者の内面を描いた「リアル」「真実」となるからだ。
あくまでも作者の「リアル」であり犯罪者の「事実」ではない点、留意すべきだが。


『月』が書かれた経緯


『月』は、相模原の障碍者施設殺傷事件に衝撃を受けた辺見氏が、「書かなければ」と奮い立ち執筆した小説だという。

参考記事 ⇒隠された悪意は、善意のかたちをとって立ち上がる――辺見庸『月』インタビュー 辺見 庸

番組では事件について辺見氏が、
「あの血しぶきを浴びていない人間はいない」
と仰っていたのが印象的だった。

その通りだ。
あの報道に触れて、何も思わなかった日本人はいないだろう。
私などは他人よりも鮮明に
「血しぶきを浴び」
そして重さを感じ取る人間なので、あの事件報道は辛かった。
あの時だけではない、日々のニュースが今は全て想像を超える不条理さで、ニュースに触れるのが辛い。
(先日の京アニの凄惨な事件もそうだ)

だけど、こだわることなく・囚われることなく毎日を生きている。血しぶきを拭うことすらなく。
何故なら、常に「血しぶき」が飛び交っているのが我々の世界だと思うから。
知らないだけ、見えないだけで、我々は地上に生まれた瞬間から悲しい事件の血しぶきを浴び続けて生きている。
そんなことに今さら気付いて騒ぐのは、自分としては違うかなと思う。

私は事件を起こした者たちの思考世界はあまりにも陳腐で、善悪を語る価値すら無い低次元だと思っている。
たとえば曹操が徐州住民を虐殺したのは、サイコパスが我が侭な復讐心を発揮した結果だ。ただそれだけで深い意図も計画もない。愚かな曹操崇拝者が「我らが曹操様は深い意図をお持ちで虐殺されたのだ! 虐殺素晴らしい! マンセー」と叫ぶ様子は馬鹿丸出し。(自分は過激派ですと告白してくれているようなものだから、公安警察はマークすべき)

私が彼ら犯罪者を赦したり崇めることはもちろん無いが、心を病むほど異常に憎み続けることはない。家族を殺された当事者でない限り。
ただあの低次元な者たちの犯行を許してしまった、社会システムの欠陥には興味がある。この欠陥をどうにかすべきと思うのみ。
そちらのシステム改善のほうこそを語りたい。
人間精神について語るなら、まずそういう低次元な犯罪を抑えることができなかった教育の欠陥を考えたい。インターネットの洗脳システムや、愚かな陰謀論でも何でも鵜呑みにする現代人の脳の劣化なども。

決して自分を「善」の側において「おためごかし」を言うつもりはないのだが、ただ本質的に犯罪へ共鳴できず同化できないのだ。
こんな私も辺見氏が言うように、「見て見ぬ振りをしている」「偽善者」ということになるのだろうか。


どうして皆さん殺人事件に「文学性」を感じるのだろう?


殺人などの凶悪犯罪に「文学」を感じる人は多い。
だけど私はそんなものに文学を感じるべきではないと思ってしまう。
眺める価値もない。眺める余地があるほど深い精神をもって行われた罪ではない。あまりの浅さに驚くだけだ。

でも、現代の多くの人は兇悪事件にこそ「深い文学性」を感じるらしい。
確かに小説の世界は殺人事件で溢れている。
ミステリ要素(殺人を描いたもの)のない小説を探すほうが、今は難しい。

「血しぶき」は動物である人間に興奮を与える。その興奮でまず、皆さん惹かれるのだと思う。さらに理解の及ばない衝撃的な事件だと、きっと自分よりも優れた人による、何か深い考えのもとで行われたに違いないと考える――
だけどそう思ってしまうのは眺める側の一方的な幻想だろう。

それはそれで、書いた作者本人の「リアル・真実」ではある。
私は「真実」にだけ興味があるので、作者である辺見庸氏の心を味わうために上の本『月』を読むかもしれない。

皆さんも、もし上の本を読む機会があったら、それは作者だけの「真実」であり犯罪者の本心ではないことを忘れないようにして欲しい。
犯行に及んだ者に深い意図があったのだと勘違いして崇めないようにして欲しいのだ。
文学的な解釈は、その犯罪者を崇拝すべきだと勘違いさせる毒を持つから。


メモ。耳に残った言葉の数々


番組では、淡々とした辺見氏の独白の後、彼の講演を放送した。

以下、内容に触れていると話が終わらなくなるので耳に残った言葉のみ列挙していく。

「与死」「反論のない殺戮」
「末枯れている」
「言葉から腐っている」
「居丈高」「軽侮の響き」「お金で歴史を解決できるのか」
(ヘイトについて)「それを気持ち悪いと思わないのか」
「私の正体である激昂老人に戻らざるを得ないのだけど」
「言い逃れをする者たちと、その言い逃れを受け入れてしまう社会が気持ち悪い」
「アジ演説をしたくない。かっこよく文学の話をしたい。でもできないでしょう。あいつらが間違っているんだから」
「どんなに醜くても怒る、罵倒することをやめないでいようと思うんです」

醜くても怒る、ということは私も同じだ。
みっともないな、引かれているだろうなということは分かっているのだけど、犯罪に関して黙ってはいられない。

辺見氏も左翼的な人に見え(かつては左翼だったのかもしれない。学生運動世代なのだろうな)、NHKも反日思想を宣伝するつもりで放送しているのだろうけど、仰ることはまあ普通。
右にしろ、左にしろ、法律や歴史を歪める嘘つきが嫌いで「気持ち悪い」と思うのは私も同じ。
とにかく、悪質な捏造とごまかしが気持ち悪い。
日本政府はK国やC国政府のような歴史捏造・法律無視・文化破壊・人権侵害をしないで欲しい。
関連記事

吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)
記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

管理用 anriy3@gmail.com

 カウントは2014年頃から、お休み期間もあり