2015
Aug
20
-
大陸人は悲観主義、日本人は楽観主義
前から思っていたが、最近の戦争番組を眺めて確信となったことをメモ。
「欧米人は悲観主義である。日本人は楽観主義である」
これは一般的なイメージと逆で、意外なことかもしれない。
一般に欧米人は楽観主義で、極東の日本人は悲観主義と言われている。
ところが戦争を眺めていると気付くはずだが、欧米人、特に米国人は「IF文」を分析するのが好きなんだね。
もっと簡単に言うと、
「もしも(IF)こういう最悪の事態が起こったら、こう対処する」
ということを彼らは常に考えているということ。
だから常に常に、米国人は悲観的な側面を眺めている。
むしろ病的なほどに悲観的な「IF」ばかり抜粋して突つきまくる。
――これを「悲観主義」と言わずして何であろう。
さらに米国の一般国民は、「勝利している」と宣伝すると誰も見向きもしないが、「同胞がこれだけ殺された」と言えば急に奮い立ちそのマイナスをどうにかしようと行動する。
真逆に東洋人、特に日本人は、どれほど悲観的な状況であってもその悲観的側面を直視しようとしない。
「日本人は優れている。日本人は勝っている。日本人は外国人に好かれている」云々……。
自己暗示のように楽観的なことばかり唱え続けることで、現実にそうなると心から信じる。
むしろ、そのように楽観的な情報を流し続けなければ国民を鼓舞できず、士気が落ちる。
悲観的な側面を一瞬でも見てしまうと士気は萎えるから、IF文(もしも不利な局面となったらどうするか)を考えることはしない。このため当然ながら、憂いに備えることは絶対不可能。
【例1】
・太平洋戦争で、始めは無関心だった国民が戦場の被害映像を見て奮い立った米国
・太平洋戦争で、嘘の勝利報道ばかり流し続けて国民の士気を煽った日本
【例2】
・2001年の同時多発テロをきっかけとしてアフガニスタン~イラク戦争へ暴走した米国
・イラクに取材へ行ったジャーナリストが殺害されたことで萎え、戦争協力に消極的となった日本
この民族性の違いがあるため、米国と日本はいつもすれ違う。
危機感を煽って操作しようとする米国の思惑は、日本には通用しないどころか逆効果を生む。
米国にとって日本は永久に理解不能な国だろう。
このような違いはどこから来るのだろうか、考えていた。
やはりこれは古代から、外国(異民族)の脅威に晒されてきたかどうかの差ではないだろうか?
証拠として、欧米と極東の間にある中国は見事に「悲観・楽観」の中間を生きている。
一般庶民はファンタジーを愉しむが、現実の冷たさも知っている。いざ現実に戦争が起きれば甘い夢など見ない。
基本的に軍事は徹底して悲観主義でなければ勝てないはず。
毎日IF文ばかり考えて鬱病になるくらいでなければ一歩も先へ進めない。進んではならない。
そもそも日本には古代から遠征がなく兵站の概念が弱い。
「備えなしでOK」という超楽観主義な性格を持つ時点で、他国との戦争は無理だと私は思う。
やはり根本的な民族性として戦争が苦手な国なのだから、もう今後は永久にやめるべき。
「日本人は楽観主義である」
この性質を日常的に表しているのが、契約に関することだと思う。
日本人は契約書を作成することを嫌う傾向にある。
どれほど大手の会社でも口約束で済ませることが多いから驚く。
言葉を尽くして契約書が必要だと説いても
「大丈夫、大丈夫! 心配し過ぎなんだよ」
と笑って済ませるのが日本の社長たちの常識。
さらに説得しようとすると
「うるせー。めんどくせー」
と怒りだしてシャットアウトする。
それで本当にスムーズに事が運べば良いのだが、たいていは後で重大なトラブルに発展して弁護士等へ泣きつくことになる。トラブルとなってから念書の一枚も無しではお手上げなのだが……。
比べて欧米人は分厚い契約書を用意するのが常識。
イギリスやアメリカの慣習法(文として書かれていない法律)社会ではそうせざるを得ないとしても、民族性として彼らは
「備えあれば憂いなし」
を知っているから自然にそうするところがある。
“城壁”の文化だ。
異民族間の戦争を繰り返してきた民族ならでは、備えることが本能に刷り込まれているのだろうか。
事が起こってからなんとかすればいいと思っているのが日本人。
この他国に侵略された経験のない民族故の楽観主義は、とうてい戦争には向かない。
「欧米人は悲観主義である。日本人は楽観主義である」
これは一般的なイメージと逆で、意外なことかもしれない。
一般に欧米人は楽観主義で、極東の日本人は悲観主義と言われている。
ところが戦争を眺めていると気付くはずだが、欧米人、特に米国人は「IF文」を分析するのが好きなんだね。
もっと簡単に言うと、
「もしも(IF)こういう最悪の事態が起こったら、こう対処する」
ということを彼らは常に考えているということ。
だから常に常に、米国人は悲観的な側面を眺めている。
むしろ病的なほどに悲観的な「IF」ばかり抜粋して突つきまくる。
――これを「悲観主義」と言わずして何であろう。
さらに米国の一般国民は、「勝利している」と宣伝すると誰も見向きもしないが、「同胞がこれだけ殺された」と言えば急に奮い立ちそのマイナスをどうにかしようと行動する。
真逆に東洋人、特に日本人は、どれほど悲観的な状況であってもその悲観的側面を直視しようとしない。
「日本人は優れている。日本人は勝っている。日本人は外国人に好かれている」云々……。
自己暗示のように楽観的なことばかり唱え続けることで、現実にそうなると心から信じる。
むしろ、そのように楽観的な情報を流し続けなければ国民を鼓舞できず、士気が落ちる。
悲観的な側面を一瞬でも見てしまうと士気は萎えるから、IF文(もしも不利な局面となったらどうするか)を考えることはしない。このため当然ながら、憂いに備えることは絶対不可能。
【例1】
・太平洋戦争で、始めは無関心だった国民が戦場の被害映像を見て奮い立った米国
・太平洋戦争で、嘘の勝利報道ばかり流し続けて国民の士気を煽った日本
【例2】
・2001年の同時多発テロをきっかけとしてアフガニスタン~イラク戦争へ暴走した米国
・イラクに取材へ行ったジャーナリストが殺害されたことで萎え、戦争協力に消極的となった日本
この民族性の違いがあるため、米国と日本はいつもすれ違う。
危機感を煽って操作しようとする米国の思惑は、日本には通用しないどころか逆効果を生む。
米国にとって日本は永久に理解不能な国だろう。
このような違いはどこから来るのだろうか、考えていた。
やはりこれは古代から、外国(異民族)の脅威に晒されてきたかどうかの差ではないだろうか?
証拠として、欧米と極東の間にある中国は見事に「悲観・楽観」の中間を生きている。
一般庶民はファンタジーを愉しむが、現実の冷たさも知っている。いざ現実に戦争が起きれば甘い夢など見ない。
基本的に軍事は徹底して悲観主義でなければ勝てないはず。
毎日IF文ばかり考えて鬱病になるくらいでなければ一歩も先へ進めない。進んではならない。
そもそも日本には古代から遠征がなく兵站の概念が弱い。
「備えなしでOK」という超楽観主義な性格を持つ時点で、他国との戦争は無理だと私は思う。
やはり根本的な民族性として戦争が苦手な国なのだから、もう今後は永久にやめるべき。
「日本人は楽観主義である」
この性質を日常的に表しているのが、契約に関することだと思う。
日本人は契約書を作成することを嫌う傾向にある。
どれほど大手の会社でも口約束で済ませることが多いから驚く。
言葉を尽くして契約書が必要だと説いても
「大丈夫、大丈夫! 心配し過ぎなんだよ」
と笑って済ませるのが日本の社長たちの常識。
さらに説得しようとすると
「うるせー。めんどくせー」
と怒りだしてシャットアウトする。
それで本当にスムーズに事が運べば良いのだが、たいていは後で重大なトラブルに発展して弁護士等へ泣きつくことになる。トラブルとなってから念書の一枚も無しではお手上げなのだが……。
比べて欧米人は分厚い契約書を用意するのが常識。
イギリスやアメリカの慣習法(文として書かれていない法律)社会ではそうせざるを得ないとしても、民族性として彼らは
「備えあれば憂いなし」
を知っているから自然にそうするところがある。
“城壁”の文化だ。
異民族間の戦争を繰り返してきた民族ならでは、備えることが本能に刷り込まれているのだろうか。
事が起こってからなんとかすればいいと思っているのが日本人。
この他国に侵略された経験のない民族故の楽観主義は、とうてい戦争には向かない。
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