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おじさん向けの現実的な話を別館で書くことにしたので、ここでは以前のように軽めの雑談やオカルト系のメモを書いていきます。

今日はちょっと怖い話を含みます。大丈夫な方はつづきをどうぞ。


低俗と言われそうな心霊番組が懐かしい


昨晩、家族と一緒にテレ東の心霊番組を眺めていた。
⇒最恐映像ノンストップ7【死者が蠢く病院…最恐の呪いの品…必ず撮れるトンネル】

タレントがバスに乗って心霊スポットを回る古風な番組。

こういうの、懐かしくないですか? 四十代以上の方々。
昔の夏はこんなオカルト番組で溢れていたな。子供としては怖がりながらも愉しんでいた。

YouTubeから引っ張ってきた「いかにも作り物」という心霊動画は、退屈だ。このYouTube動画が流されている間は映像のクオリティについて家族と話し合うだけの時間となる。
でも実際の心霊スポットのエピソードや、人が語る体験談は興味深い。
また、冝保愛子さんや丹波哲郎さんの過去映像を流すところは「さすがテレ東」という感じでにやつく。マニア心をよく分かってらっしゃる。

いかにも低俗なので、スピリチュアル界隈から「こんな番組を見ると悪い波動の影響を受けるからダメ!」というお叱りが飛んできそうな気がする。
だけどオカルトを「低俗」「有害」と決めつけ全排除する世界のほうが危険だと私は思うのだよね。

怪談話は夏の風物詩で、大切な日本文化だ。
某カルト宗教団体のテロ以降、霊的な話が過剰なまでに排除されたのは悲しく、逆に危険なことだと思う。
今の子供たちはこういった心霊物に免疫がないだろうから心配だ(YouTubeの心霊動画は別ジャンル)。
免疫がなく、怪談という文化を愉しむ習慣もない。このためなおさら一瞬でカルトにはまる若い人が増えている
子供たちの目を塞げば穴に落ちることはないだろうという大人たちの考えは傲慢で、さらに子供たちを危険へ追いやっている。

そして死者への敬意を忘れたから日本の民度は落ちている。
事実の背後に潜む真実を読み取ることができないので、侮辱すべきではない人を侮辱する。声を上げられない者、抵抗できない者への暴力は留まるところを知らない。
(これは死後世界を否定し、思うぞんぶん殺戮を愉しみたいと思っている左団体がそちらへ誘導しているのだが。謀略に乗って洗脳されている日本人が悲しい)
見えない世界の否定はまず文化教養を崩壊させ、やがて人間の道徳や、社会そのものを全て破壊し尽くす。
この文化破壊を押しとどめるためにも怪談話は役に立つ。死者の悲しみや怒り、寂しさを想像することが人間性を育てる。現に昔の日本人は霊魂を信じ「怨念」へも気を払ったので優しい民族性を獲得していた。

もちろん本気でこういうオカルトにのめり込むのは良くないと思う。
「悪い波動を受ける」という話も、事実あるかもしれない。
ネガティブな死者は、生きている人間のストーカーと同じ。なるべくなら関わらないほうがいい。
だから私も現実に心霊スポットへ行くことはない。
でも、せめて怪談話を夏の風物詩として愉しめるような心の余裕を持っていたいなと思っている。

いつまでも子供心を忘れずに。それと死者への敬意を持っていたい。


呪いはいけない、という説法


昨日の番組で有益な説法にもなるなと思ったのは、いわくつきの物を預かるお寺の住職さんが経験した体験談だ。

ある父親が、息子が学校で虐められたため怨みを抱き、いじめた相手に復讐したいと言って呪いをかけた。
占い師に教わった強力な呪いを実行したところ数日後に相手の子が交通事故に遭い、意識不明の重体となった。
怖くなった父親は住職のもとへ駆け込み、住職がお経をあげると呪いをかけた相手の意識は回復した。
住職が念のため詳しい話を聞こうとその占い師のもとを訪ねたが何故か占い師は姿を消していた。
さらに調べたところ占い師は呪われた子と全く同じように交通事故に遭い、意識不明で入院しているという。
呪いは呪いをかけた当人に還るという実体験――だから絶対にやってはダメ、というお話。

この話を「ただの偶然」と嗤う人は多いと思う。特に現代は。
だから弱い人を殴ったり蹴ったり、誹謗中傷したり、場合によっては殺すことまで自由に愉しんでいいと思っている。(そういうことを快楽だと思っている人種は、実は多い)

しかし仏教でもスピリチュアルでも、自分のしたことは自分に還るという法則が語られていて、私も自分の体験でそのことを真実だと思っている。

来世などとても長い期間を経て本人に還るので人間の目には分かりづらいが、必ず自分のしたことは自分に還る。
呪いなど魔術的な手法で運命を捻じ曲げ復讐すると恐ろしく早いスピードで実現するし、倍増した見返りが自分に還ってくることになる。
だから風水や「引き寄せ」で莫大な富を得ようとは考えないほうがいい、と私も前から言っている。

我々は、我々自身の運命の結果として今を生きている。
与えられた人生計画は「恵み」だと思ってなるべく捻じ曲げないように。どうしても今の運命を変えたかったら現実の行動で変えていくように、と。

【関連記事】 風水に中毒し過ぎてはならない理由

上の話だったら、虐めをした子はいつか自分の罪としてカルマ解消するときがくるので復讐などする必要はなかった。
ただ、それでは相手の子の現世における反省がないし、我が子が自殺する前に救いたいと思うなら現代の法的手段に訴えるべきだった。
学校などに相談しても虐めは解決しないので、刑事なり民事なりで責任追及すべきだと思う。
これからは学校に丸投げするのではなく一般社会の感覚で子を教育すべきだ。自分のしている「イジメ」という暴力行為が犯罪であることを教えてやらなければならない。

何でもそうだけど、まずは
「人事を尽くせ」(現実で正当にやるべきことをやれ)
ということ。

短絡的に呪いへ走るのはいけない。もちろん放火殺人なども。
言うまでもなく当たり前のことだが。


水子が名づけを望んだらしい


もう一つ、住職が語った体験談で興味深かったのは水子の話だった。

生まれてすぐに亡くなった子、流産や死産で失った胎児のことを「水子(みずこ)」と呼ぶ。
日本の寺では昔からこの「水子」の供養(くよう)を行ってきた。
住職の寺でも水子供養を行っているが、あるときの供養の際、奥さんのほうが具合が悪くなり倒れてしまった。
他の何者かにとり憑かれたのではないかと思った住職が彼女へ「あなたは誰ですか」と問いかけると、生まれることなく死んだ奥さんの妹だと答える。
水子は「皆嫌いだ」と言い、お姉さん(倒れた女性)だけが好きだから彼女をあの世へ連れて行くと言った。
連れて行かれたら困ると思った住職は、「あなたが成仏するために何でもしてあげるから何を望むか言ってごらん」と尋ねた。
すると水子は急に泣き出して答えた、
「名前を付けて欲しい。皆がお墓に来ても名前を呼んでもらえなくて寂しいから」
名前を付けてあげると約束したところ水子は喜んで女性の具合も良くなった、とのこと。

この話を聞いて、日本に生まれることなく死んだ水子が日本語を話せるのか、家族を怨むほど愛着を抱いていたのか私は不思議に思った。

転生記憶を持つ人々のレポートによれば、そもそも出生まで魂は胎児の肉体と完全に結びつくことはないらしい。だからと言って胎児の命を軽々しく扱っていいということではないのだが。
魂は肉体を持って生まれてある程度まで育ってから、初めてその土地や家族へ愛着を持つ。
家族は血の繋がりがあれば無条件に家族となるのではない、精神的な愛情の交換があってから家族に育つ。だから、冷たい関係の肉親よりも愛情のある友人のほうに家族より深い絆を覚えることがある。
言語に関してはもっとそっけないもので、魂は自分が生まれたことのない地上の国の言語を話せることはない。(と言うより、去った地でも同様。大昔に去った地の言語は必要ないからデータを引き継ぐこともない)

なのでスピリチュアル的に考えれば「水子」が家族を怨んだり寂しがったりするということはないと言える。
魂はいつまでも愛着の薄い土地にこだわって留まることはなく、早々に次の人生へ向かっているだろう。
土地に縛られやすい傾向がある魂でも、生まれたことのない未知の土地に縛られるのはおかしな話。どうせ縛られるのなら一つ前の前世で生きていた土地へ向かうだろうな。思い出のない場所に縛られることの意味が分からない。

まあ、稀に水子でも自分が生まれたと勘違いして何かの物体にとり憑き、言語なども学んで意思を育てる魂もいるのかな……。
『ブラックジャック』のピノコみたいに。
私にはよく分からないが、こういうことがあったとしてもレアケースだろう。

水子も始めから家族とみなして愛情を持って供養するのは、かつて優しかった日本の民族性のなごりと思われる。
こういう優しい文化は素敵だ。
だけど情が深過ぎて、怨みまで創作して怯えることはないと思う。
上の話で、奥さんにとり憑いた霊はもしかしたら水子ではなく、幼くして親に棄てられ亡くなった子の浮遊霊なのではないか?
「寂しい」「名前を付けて欲しい」
と望むのは意思を持って話すことができるほど大きくなった子だ。(せめて2歳か3歳)

私も自分の過去生の記憶で、無名のまま死んだ人生をたくさん覚えている。
「著名人ではない」という意味の「無名」も多かったが、名前さえ持つことがないという文字通りの「無名」も多かった。
ほとんど生まれてすぐ荒野に放り棄てられ、意思を持つまで育つことなく死んだのだった。
そのような人生で親を怨んだ記憶は一度もない。
寂しいという想いを抱いたこともない。
生まれてすぐに死んだ地の国や家族への愛着は僅かもなく、とにかくさっさと次へ行った記憶がある。万華鏡のように何度も生まれる→棄てられて死ぬの場面が繰り返された。

二本足で立ち独りで歩けるまで育つ、ということは実は人間にとって非常にハードなチャレンジだ。(だから私は今世でも5歳まで育ったとき、「これでひとまず安心。生存できる」と思ったのだ)
魂は、生きられるまで何度もチャレンジを重ねていくしかない。生まれてすぐに死んだ土地などへこだわっている暇は僅かもないはずだ。

冷たいようだけどこれが生まれてすぐ死ぬ魂の感覚。
逆に言えば、この地上で生存できること、名前を持って生きるということは気が遠くなるほどの幸運なのだと言える。
だから名前を持っている皆さん、人生を大切にしよう。


まとめ


冒頭にも書いたが、こういう番組が低俗であることは事実。
全て本当か嘘か分からない話ばかり。ほとんどはテレビ局の作った嘘であることが多い。
心霊写真なども気のせいであることがほとんどだろう。

※上の番組でタレントが映した写真は全て壁の染みだったり、手振れだったりして失笑した。出演した藤田ニコルさんによれば下のツイートの通りで、本当にやばいものは放送しないのかもしれないけどね。

だけど中には本当に誰かが体験した話が含まれていて、そんな話に触れたとき「魂」や「死後世界」を考えることができる。

この「考える」ということが大事だ。
死後世界は現世の鏡。
見えない世界について想いを馳せ、考えることによって現世を映し見ることができる。
それは今この時の、自分たちが生きている地上を深く知るということでもある。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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