生き残っていることに感謝、という話

吉野 圭-Yoshino Kei

新ブログのほうから、雑談記事の 心理的な話のみ更新報告だけはしていきましょう。
(三国志関連は需要がないと思うので報告しません)

これはいつも書いていることの繰り返しかな。
 ⇒今生きている人は皆がサバイバー。生きる意味を探すより生を肯定して歩こう

スピリチュアルも占星術も抜いた現実限定の話だからこそ、説ける話もあります。
(もちろん裏付けとしての体験があるから言えるのだけど)

この種の話は賛同も批判も両方あるはず。
でもとにかく平和だから単純に幸福とは言えない、ということは確か。

平和なこの国であっても、いや平和だからこそ精神の危機は重くなる。だから他人の悩みを簡単に嘲笑してはならない。
「平和な日本で悩んでいる人は甘えてる!」
などと決めつけられる人はよほど甘えた人生を生きてきたのだろうなと思います。

八月になり、また戦争物の番組が増えてどうしても気分が重くなってしまいますが……。
「あの時代は本当に悲惨だった」
と憐れに思いながらも、決して平和な時代に生まれたことへ優越感を抱いたり、現在現実が生きやすくなるということはないのですよね。

私は平和な時代も、戦争の時代も両方実感を伴う感覚で知っているわけですが(記憶があるという意味です)、戦争の時代よりも今のほうが幸せだとは言えません。
むしろ、それこそ濃厚な「物語」があった戦時の過去のほうが痺れるほどの幸福があったと思います。壮絶に苦しかったけど。

「前世に戻れ」
あるいは
「前世と同じ状況を引き受けろ」
と言われたら、丁重にお断り致します(笑)が、過ぎ去った遠い時代は楽しかったなとも思い返すのです。

比べて、今。
真っ直ぐに歩いて行く道はついに見えず、闇の中を低空飛行している感じで、これはこれで苦しみがあります。
それでも私は棄権することなく進んでいこうと思っています。
せっかくいただいた命、もったいないから残り時間まで余さず使おうと。

誰にも求められなくなり、独りぼっちで何もすることがなくなっても自分が読書を愉しむために生きていたいです。

――結局、それ。笑
綺麗ごとも何もなく趣味のために生きる時間を棄てるのが惜しい、と思うのも悪くないですよ。

「生きる意味がない」と思う人は日々味わえる好きなことだけ見つければいいのにと思います。
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